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不死の国のアリス  作者: 幽幻乃 紫
第一章「獲物」

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一話「憂鬱な結婚式と白兎」

プロローグ


深淵がアリスを覗いていた。


「こっちに、いらっしゃい」


次の瞬間、アリスの体は深淵に喰われた。


――半日前。


アリスはとても退屈だった。

客人たちは綺麗なドレスに身を包み、優雅に結婚披露宴を楽しんでいた。


アリスのドレスは澄んだ青色で、裾には銀色の刺繍が施されていた。

喉元には銀の高価な首飾りが下がっている。

その姿は一段と輝き、視線を集めていた。


アリスが花嫁であるから仕方がない。


人の視線をあちらこちらから感じとり、アリスはより不機嫌になった。

なかでも、年頃の女性たちの視線が嫌だった。


美しいドレス。

澄んだ青色の目。

そして黄金のように輝く髪の毛に、嫉妬の視線が突き刺さる。


他人の目など気にもしないで、アリスは退屈な結婚式がすぐにも破談になればいいのにと心底願う。


あからさまに不機嫌な態度を見せても、不思議と周囲の視線に軽蔑はなかった。

むしろ、彼女が醸し出す、独特な雰囲気と悲しみに哀れんでいた。


そもそもアリスは結婚なんてしたくなかった。

二年前にお父様が亡くなるまでは。


父は貿易商の仕事を営んでいた。


欧州各地を股にかけ、異国の話をよく聞かせてくれた。

アリスにとっては、その話を聞く瞬間が何よりも幸せな時間。


銀の首飾りも、アリスが誕生日にお父様から頂いた大切な贈り物。


父はアリスに首飾りを渡すときに何か言っていた。

しかし、首飾りの美しさに目も、意識でさえも、虜にされ。

話したことを記憶の中に留めて置けなかった。


ただ、その時のお父様の笑顔、そして嬉しかった記憶だけが存在していた。

思い出すたびに自然と涙が零れ落ちた。


もし、父が生き返るなら。

アリスは、大切なものすべてを差し出しても構わないと思っていた。


お母様はアリスが生まれてすぐに病気で死んでいた。

母親の顔を覚えていない。

楽しかった、時間も、記憶もない。


覚えているのは、父が泣いている姿だけだった。


お父様は仕事が忙しく、外出が多かった。

アリスを育ててくれる人を探していた。


そのとき、メリーサが現れ再婚した。


アリスからしたらお金目当てで、父との時間も奪う他人だった。

正直、毛嫌いしていた。


メリーサはアリスを愛そうと努力してくれていた。

でも、無理だった。


アリスは幼少期のころから他の少女たちと違い。

この世界に生きていなかった。

ドレスも、首飾りも、欲しいと思ったことがない。


今もそうだ。


ただ、父からの贈り物だから、大切にしている。


アリスの夢は、父の仕事を手伝い。

欧州各地を旅することだった。


十九世紀の大英帝国では、淑女の素晴らしい生き方が決まっていた。

資産家で気品のある紳士と結婚する。

そして、優雅なお茶会を楽しむ。


アリスにとって、それは退屈な人生であり、心から嫌悪するものだった。


この国で、女が仕事に就くなど珍しく。

他人から、奇妙な目で見られることが普通だった。


それでも父は、アリスの考えを否定しなかった。


アリスが働けるよう知識を授け、諸国の話を聞かせてくれた。

そればかりか、商船に乗って仕事を手伝って欲しいと頼みさえした。


そんな父はもういない。

いつもなら、頬を伝う涙もなくなっていた。


最愛の父は、二年前の流行り病にかかり亡くなった。


アリスは悲しみに暮れる日々を送っていた。


メリーサは、幸せな結婚がアリスの心を救うと信じていた。

だから、アリスの婚姻を勝手に決めた。

花婿は、ターグだった。


ターグは、父の同業者レナードの息子で、

見てくれはいいらしい。


アリスは、たまに遊びに来るターグが嫌いだった。

家柄や見てくれをいつも気にする。

そんな態度が鼻につき、幼稚でつまらない男に見えた。


悲しんでいるアリスにも、わずかな猶予は与えられた。

十八歳の誕生日――つまり今日、結婚式を挙げることが決まっていた。


メリーサは、それが幸せな結婚になると信じていた。


客人をたくさん招待し、大金を投じて煌びやかな会場の準備をしていた。


アリスにとっては、お金の無駄遣いにしか思えなかった。


「結婚おめでとう」

アリスに会えばみんなが同じ言葉を投げかけていた。

何もうれしくない。


アリスの表情を見た人々は、不思議と「大丈夫?」と声をかけてきた。

そんな、言葉を無視して、アリスは歩き続けた。

結婚式から逃げ出した。


「こんな不幸な結婚式なんてあんまりだわ」

アリスは、ドレスの裾をたくし上げ、人混みの多い場所から逃げた。


目の前には、手入れの途絶えた庭木。

不思議と、そこに近づいた。

草木がドレスを汚す。


アリスは足を止めずに進んでいた。


やがて、結婚式の賑わいが嘘の様にあたりが静まり返る。


静まり返った世界は、アリスを孤独から解き放ってくれた。


深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出す。

少しだけ、心が軽くなり、笑顔が戻った。


ふと、草木の中に何かを発見した。

それは、小さな生き物の足跡。

足跡は、茂みの奥に続いていた。


アリスの足取りは軽く、子供の様に、はしゃぎながら追いかけた。


やがて、足跡の持ち主が見つかった。

白色の兎。

その生き物は、いびきをかき、腹を上に向けて眠っていた。

白兎を見たアリスは、思わず口を覆い、声を殺した。


なんと、服を身に着けていたのだ。

深紅の生地に金色の襞襟が施された、アリスでも高価だとわかる服を身につけていた。

片眼には知性を感じさせる、モノクル。

白兎の手には、小さなラッパ。


アリスは結婚式のことなど頭の中からすっかり抜け落ちた。


白兎に興味を抱き、息を潜めて観察した。

毛並みは艶やかで、体は大きく、獣の匂いが漂ってくる。


「グルルルル……」突然、遠くから、

地響きの様に大きな猛獣の声が鳴り響いた。


「キャアーー」とアリスは叫び、尻もちを着いた。


悲鳴を聞いた、白兎は飛び跳ね。

衝撃で、ラッパと服のポケットから懐中時計が落ちた。

白兎は金色の懐中時計を拾い上げ、時間を確認していた。


「しまった!! 心地よさについ眠ってしまった。早く行かないと女王様にまた、首を跳ねられてしまう。」

白兎から、見た目には似合わない低く渋い男の声が響いた。


アリスは、起きたことが理解できずに、その場から動けないでいた。


白兎は、ラッパも拾い、半分だけポケットの中に詰め込み。

茂みの奥へ、兎らしく跳ねながら消えた。


アリスは、逃げた小動物を追う獣のように、

夢中で後を追った。


読んでいただきありがとうございます。

気になった場面などあれば、感想いただけると嬉しいです。

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