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第一章(7)


 7



 その夜、使者たちに対する歓迎の儀が盛大に行われていた。


 昨夜の戦の後の宴と違うところは、ムラの民衆は参加できない点である。参加者は、ヒノイリノクニから来た面々と、ムラの長や要人たち。会場の周囲をヒノイリノクニの兵たちが交替で見張り、間違えても外から襲って来る人間がいないよう警護していた。

 小さなムラであるが故、立て続けにご馳走や酒を用意するのは厳しいものがあったが、そこはヒノイリノクニが持参した土産物も使用させてもらうことにした。海に面しているヒノイリノクニは、さすが新鮮で見事な魚介類がたくさん採れ、それらの食物を保存する記述も進んでいる。ムラで備蓄していた農作物や山の幸に、ヒノイリノクニがもたらしてくれた海の幸を合わせれば、それなりに豪華な食事となった。


 和やかで楽し気な雰囲気でありながら、それぞれの抱える思惑は複雑なものがあった。ムラの要人たちは、当然ヒノイリノクニの使者たちの要求を快く受け入れてはいない。ヒノイリノクニの側も、そんなムラの面々の心情はすでに察していることだろう。

 お互いがお互いにの不信感をもちながら、相手にそれを悟らせないよう笑顔を取り繕い、温和な雰囲気を醸し出す。しかし、背筋には緊迫した空気が張りつめていた。

 今回は、マオも同席している。昨夜と宴と同じく、遠慮するつもりだったが、シラヌイの強い希望でここに残される羽目になったのである。


(はやく祈祷場に戻りたいものじゃ――)


 内心そんな風に思いつつも、涼しい顔で料理を口に運んでいた。彼女はお神酒くらいは口をつけるが、酒をがぶがぶ飲めるような年齢でもなく、集団の中にいるのを好む性分でもない。このような会にいても、楽しくもなく、ただ堅苦しさを覚えるだけだった。唯一、この辺りでは滅多に食べられないヒノイリノクニの食物にありつけたことだけは、幸運だったかもしれない。


「お隣よろしいですか?」


 ふと、声をかけられた。見ると、シラヌイをはじめ、日中に会った使者一同が立っていた。はじめは、ムラ側の人間たちと、ヒノイリノクニの人間たちはそれぞれの陣地に固まって座っていたが、会が進むにつれ多少は気持ちが打ち解けてきたようで、いまでは互いに場所を行き来する人もそれなりに増えていた。


「もちろんじゃ」

 と、マオは応える。彼らはマオの隣に座った。シラヌイは手に持っていた椀を口に運んで酒を飲んだ。顔がかすかに紅潮している。


「マオ様は、このムラの巫女を務めてどのくらいになるのですか?」


「かれこれ5年ほどじゃ」


「そんな頃から――」


「わらわの両親は、わらわが幼い頃に疫病で亡くなってしまった。これしか生きる道がなかったのじゃろうな」


「そうですか。しかし、それほどの間、ムラを治めているというところからみても、あなた様にとって、このムラはとても思い入れのある場所なのでしょうね」


「……そうでもない――が、この部族の一員であることは誇りに思っておる」


「日中には、あんなお話をして、申し訳ありませんでした」


 シラヌイはマオに向かって深々と頭を下げた。後方に控える他の使者たちもそれに続く。


「そなたたちが謝ることではない。そなたらのクニの方針を伝えに来ただけなのじゃろう。――むしろ大変な役回りじゃ」


「いえ、大したことはありませんよ。私たちはこれまで、さまざまな地のムラや小国に使者として赴き、同じことを伝えに行きました。恨まれることには慣れています」


 シラヌイは優しい笑みを浮かべた。その表情には、悟っているとも諦めているともとれる感情が滲み出ていた。


「しかし、これだけは分かっていただきたい。我々は、我々の利のためでなく、本当に我がクニの周りで生きる皆さんのことも考えて動いているのです。この地を他の地の者たちから護り、我々が未来永劫この地で暮らしていくためには、我々が一つの部族となって団結するしかない」


 シラヌイの言葉には力があったし、シラナミとヒブリの顔にも信念がみなぎっている。心の底からの想いなのだと感じられた。


「――マオ様」


 また別の方から別の声がした。見ればひとりの青年が立っていた。


「この方は……?」


 シラヌイの問いにマオは答える。


「この者はイッキという。長の孫じゃ。日中の会合にも参加しておった。年齢はわらわより少し上くらいじゃが、聡明で勇気があり、次の長として有望視されておる。――そなたも座れ。いま、ヒノイリノクニの使者の方々とお話しているところじゃ」


 マオの声はいつになく快活だった。一方で、イッキは少し神妙そうな顔でマオと使者たちを見た。


「……お話とは?」


「いえ、大した話ではありません。それより、我々と乾杯をしていただけませんか?」


 シラヌイが椀を差し出すと、シラナミが酒器を手にお酌をした。マオも目でイッキに座るように合図をし、彼がそれに従うと酒器を手に取って、イッキの椀に酒を注ごうとする。


「マオ様にお酌していただくなど、滅相もない!」

 とイッキは言ったが、

「遠慮するな。わらわがしたいのじゃ」

 と笑うマオに圧されて、それを受け入れた。そんな二人の様子を、シラナミが微笑みながら見ていた。隣のシラヌイに顔を近づけて、耳打ちをする。すると、ぱっとシラヌイの表情も変わった。


「では、イッキさん。出逢いに乾杯」

 と、シラヌイが椀を掲げた。イッキもそのようにするが、その顔にはまだ警戒心が滲み出ていた。酒の飲み方も対照的で、シラヌイは一気に酒を飲みほしたが、イッキはまだ酒は飲みなれないとはいえ、数回に分けて確かめるように喉に流し込んでゆく。


「マオ様はとても素晴らしいお方だ」


「当然です。ムラで最も神聖な立場にいる方ですから」


「ですがあなたも、そんなマオ様から信頼を寄せられる、素晴らしい方のようですね。年頃は我らに同行するヒブリと同じくらいにお見受けするが――若いのに素晴らしいことだ」


 シラヌイは、イッキをあえて褒めるように話しているようだった。だが、イッキ本人は、会合の時のマオと同様の部分に引っかかったらしく、

「あなたも大して変わらないでしょう」

 と、ぶっきらぼうに言った。シラヌイは大口を開けて笑った。

「あはは、確かに。私もさほど変わらないな」


「――兄君。もう少し節度を弁えてください」


 シラナミに嗜めるように言われ、シラヌイは「そうか、すまん」と姿勢を正した。


「酒が入ると、少々気が大きくなってしまうようだ」


「そうですよ。軽率な言動は謹んでくださいませ。兄君はやがてわがクニの王となるかもしれないのですから」


「王位は兄者が継ぐであろう」


「いいえ、兄君にも十分にその可能性はあります。もっと自分の立場を自覚してくださいね」


「これは手厳しい――。だが、イッキさん、本当に失礼なことを言うつもりはなかったのです。私は、これからは若い世代の者が、新たな時代を築いていくべきだと思っているのです。あなたともぜひ手を取り合って未来を歩んでゆきたいと心から思う」


「はぁ――」


 イッキは明らかに気のない返しをしたが、シラヌイはニコニコとした表情を崩さなかった。ふと、思い出したように言った。


「そろそろ宴会の余興といきませんか。どうでしょう。わがクニとこのムラで、力自慢をそれぞれ出し合って、力比べなどしてみては」


 シラヌイは宴に参加している面々に対して言った。


「ほぅ。それは一興じゃ。そちらは誰を代表に出つもりじゃ?」


 マオの問いに、シラヌイは言った。


「ここにいるシラナミを推しましょう。そちらは――イッキさんにお願いできませんか?」


「――私が?」


 イッキが驚いたような声を出す。


「そうです。ムラの長の次期後継者であるあなたに、ぜひ手合わせをいただきたい」


 彼は戸惑ったが、マオが信頼を寄せる顔で自分を見ているのに気づいて、決意を固めた。


「分かりました。やりましょう」


 シラナミとイッキは広場へと出ていった。ヒノイリノクニの従者が、木の棒で広場の地面に大きな円を描いてゆく。シラヌイが言った。


「勝負の方法は、我々のクニに伝わる競技を簡略化したものとしましょう。代表者はこの円の中に入って、『勝負はじめ』の号令に伴い力比べを行います。相手を倒すか、円の外に相手の身体を出した方が勝ち。その場に倒れたり、円から出てしまえば負けです」


 シンプルではじめてでも分かりやすいルールだ。シラナミとイッキの両名は円の中へと入り、対峙した。


「女性だからといって手加減はしませんよ」


 イッキの言葉に、シラナミは自信ありげに頷いてみせる。


「いっこうに構いませんわ。私も武術と腕力には多少の心得はあります」


 確かに、シラナミの身体は女性にしては逞しかった。とはいえ、体つきは、いくらイッキが華奢だといっても、男子のそれには及ばない。なのに、彼女の自信は、どこから来るのだろうか――と、イッキは訝しみながら、腰をかがめて構えの姿勢をとった。

 やがて、従者が「勝負はじめ!」と叫んだ。イッキがシラナミに突進する。シラナミは少し後ろに下がった。イッキがわずかに前につんのめる。シラナミはその身体を片腕で支え、後方に送り返した。2、3歩よろめいて、イッキが立ち止まる。


「その程度? 大したことないのね」


 シラナミは不敵な笑みを浮かべた。馬鹿にするようなことを言われ、イッキの頭に血が上る。さらに勢いをつけてシラナミの方に向かっていった。彼の猛攻をシラナミはひらりとかわす。だが、足をひっこめるタイミングをわざと遅らせて、彼の左足の付け根にひっかけた。たまらずイッキはバランスを崩し、倒れそうになる。しかし、すんでのところで身体の動きが止まった。シラナミがイッキの手首を掴んでいた。腕を引き、彼の体勢を元に戻させる。


「落ち着きなさい。ここであなたが無様な負け方をすれば、あなたを応援する人たちはどう思うでしょう…?」


 イッキは自分たちの試合を見ている観客たちの方を見た。心配そうにこちらを見守るマオの姿を発見した。彼は急に冷静になった。ふぅ、と口から息を吐き、シラナミに向き直る。


「さあ、今度はこちらから行きますわ!」


 シラナミが向かってきて、彼の顎に向かって掌を繰り出してくる。彼女の手首を掴んでそれをかわすと今度は脇腹に膝蹴りを入れてきた。「ぐっ……!」とイッキは呻く。そんな彼の身体を軸に回るように、彼女は後方へと移動し、首に腕をかけて締めあげる。苦悶の表情を浮かべながら、イッキは身体をのけぞらせた。今度は反動をつけて、シラナミは自分の身体ごと彼の身体を思いきり前方へと押しやる。


(ダメだ、やられる……!)

 とイッキは思った。このままいけば、自分は地面に叩きつけられてしまうだろう。万事窮す――。そう思った時、ふいに一瞬、シラナミの腕の力が弱くなったことに気づいた。ここしかない、と彼は咄嗟に足を出してバランスを保つと、彼女の両肩あたりを自分の両手で突いた。シラナミは後ろにつんのめり、数歩後ずさる。外周の線から足が越えたところで、バランスを崩して後ろにばたりと倒れた。


「勝負あり!」


 従者の号令の後、周囲から歓声が上がった。ムラの面々がイッキの華麗な勝利を喜んでいる。だが、勝ちを譲られたのでは――と、マオは思っていた。あのままいけば、地面に投げ飛ばされていたのはイッキだったに違いない。だが、勝負が決まる一瞬の間、シラナミはわずかに隙を出し、イッキに攻撃の間を与えたのだ。

 なぜ――。マオははっとした。マオ自身が胸の内に秘める想いに、シラナミは気づいていたのかもしれない。


 シラナミはさっと立ち上がり、身体に点いた砂を軽く払い落としてから、イッキに向かって手を差し出した。


「参りましたわ」


 イッキもその手を握り返した。だが、余裕のある表情のシラナミに対し、彼の吐く息は荒かった。


「お見事! シラナミも健闘はしたが、イッキさんには及ばなかったようだ」

 と、シラヌイが叫んだ。そして、ひと呼吸おいてつづけた。

「だが、我々も負けっぱなしなのは悔しい。私は負けず嫌いなのです。そこでもう一戦、申し込ませていただきます!」


 ムラの面々は、ぜひやろう! のぞむところ! と、意気揚々と応えた。


「次にもあなた方が勝てば、私も潔く負けを認めましょう。そこで、互いに勝負の結果に納得できるよう、今回は互いに一番強い者を出すことにしませんか? どうでしょう?」


「……このムラのいちばんの力自慢といえば、イゾウをおいて他あるまい」


 長が応えて、イゾウの方を見やった。イゾウは目をぎらつかせた。


「よし、分かった。受けて立ってやる」

 と立ち上がり、手に持った椀を地面に投げつける。周囲から歓声があがった。


「では、我々はここにいるヒブリを出しましょう」


 シラヌイの言葉に、一同は驚いた。確かに、ヒブリの体はそれなりに逞しい。しかし、それは年齢にしては良い体つきをしている、という話であり、まだまだ成長過程であることは否めなかった。事実、イゾウの方が彼よりふたまわりも大きい。てっきり、従者のなかから、とりわけ図体の大きな者を選ぶと思っていたのに、その人選を誰しもが意外に思った。


 イゾウとヒブリはそれぞれ広場の方へと出ていった。

 イゾウは目を血走らせていた。今すぐにでも、ヒブリに嚙みついて殺してしまいかねない勢いだ。ヒノイリノクニに対し、目に物をみせてやるという気持ちがありありと滲み出ている。


 両者、円のなかに入り、腰をかがめた。従者が「勝負はじめ」の号令をする。

 思いきり勢いをつけて、イゾウがヒブリに迫ってきた。ヒブリは彼の身体を真向から受け止める。ザアア――と、砂埃があがった。さらに、イゾウはヒブリの首根っこを掴み力をこめる。

 しかし、ヒブリはのけぞりながらも、ニヤリとした。その不敵な笑みに、イゾウはひるんで思わず力を緩めてしまう。その一瞬の間に、ヒブリは力をこめ、イゾウに対抗した。ヒブリののけぞった身体が、徐々に元の体勢へと戻されてゆく。

 イゾウは、まさか自分の力に相手が対抗できるとは思わず驚いた。しかし、すぐに相手を睨み直し、その大きな掌でヒブリの顔面を捕えんとした。ヒブリはそれをひらりとかわし、勢いで前につんのめったイゾウの腰元に手を添えた。


「なっ……!?」


 イゾウが声を上げるとほぼ同時に、ヒブリは力をこめて腕を掲げた。イゾウの巨体が持ち上げられ、宙に浮く。そのままヒブリは腕を薙ぎ払う。イゾウは声を上げる間もなく、投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 イゾウは動くこともできず、ただ痛みに悶えている。ムラの面々は唖然となった。部族一の腕力を誇る彼が、はるかに体の小さな若者に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。


 マオはシラヌイとシラナミの方を見た。二人とも、あたかもこの結果が分かっていたかのように、涼しい顔をしている。彼女は悟った。すべては、シラヌイたちの計画通りだったのだ。

 先の勝負は飽くまでも布石であった。そこでわざと負けておいて、再戦を申し込む。気を良くしたムラの一同は、やすやすとその申し出を受けてしまった。しかし、ここでヒノイリノクニは、実力を発揮し、絶対的な勝利を収める。これにより、ムラの面々に思い知らせたのだ。我々には、お前たちに勝ちを譲る程度の余裕がある。だが、その気になれば、力の差は歴然だぞ――と。


(わらわたちは、何という者たちと関わることになってしまったのじゃ――)


 マオは今さらになってヒノイリノクニの真の恐ろしさを知った。逆立ちをしたって、敵う相手ではなかったのだ。

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