第一章(8)
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マオたちが宴会に出ている間、イチコは小屋でずっと一人でいた。
人けのない森の入口であるこの周辺の空気はひっそりとしていて、時おり遠くから狼や猪の鳴く声が聴こえてくるのみだ。小屋の中は、行灯にわずかに照らされているのみである。薄暗い部屋で、イチコはただ寂しい時間を持て余していた。
ふいに尿意を覚えた。便所は小屋を出て、森に囲まれた真っ暗な道をしばらく行ったところにある。お化けが出たらどうしよう――そんな恐怖心が募り、行くべきかどうか迷った。
けれど、このまま我慢したところで、朝まで持ちこたえられそうにはなかった。勇気を出して、夜間外出用の提灯を持ち、履物を履いて小屋を出た。
便所で用を足し、スッキリして出る。小屋に戻ろうと思いつつも、何気に反対の方向に目をやった。木々の向こうに、ぼんやりとした明かりが広がっていた。マオが参加する宴が行われている場所から漏れてくるのだろう。周囲がまるっきり暗い分、遠くの火の光も、目立って見えた。
――と、その手前。地面辺りに、ぽつりと黒い点のようなものを発見した。
(何かいる!?)
イチコは一瞬どきりとした。よくよく目を凝らしてみると、草むらに座り込んでいる人の影のようだった。誰かがいるのだと察知した。一体何をしているのだろう――こんな夜更けに、こんな場所に独りでたたずんでいるなど、気味が悪い。だが、確かめないともっと不安だと感じて、その方へと歩いていった。見えてきた横顔に、イチコは「げっ」と声を漏らした。
「『げっ』って何だよ」
イチコの方を見ると、目の前の少年はぶっきらぼうに返した。そこにいたのは、日中に出逢ったトワリという少年だった。
「別に」
と、イチコはあえて素っ気ない態度で訊いた。昼間のことがまだ許せないのだ。
「あなたこそ、宴には参加してないの?」
「あんな宴、退屈で参加したくもねえよ」
「ふーん。じゃ、こんなところで何をしてるの?」
「星を見てる」
「――星?」
イチコは何気なく空を見上げて、思わず「うわ」と声が出た。何にも天が阻まれることなく、視界一面に満点の星空が広がっていた。昨夜にも、イチコは空を見上げたが、その時は建物や宴の光のせいで、見える空の範囲は限られていた。だが、この場所はほぼ真っ暗で、死角となる建物や木々もなく、かなり遠くの方まで星が見渡せる。長らくこのムラで過ごしているが、星を見るのにこんな良い場所があるとは知らなかった。
「どうして星を見ているの?」
「好きだから」
「星空を見るのが?」
「別に星空だけが好きってわけじゃない。海や川、山や森、そして太陽に月に星――この世のあらゆるものを観察するのが好きなんだ」
そういえば、昼間には彼は地面の土を触っていたと、ミノカが教えてくれた。
「――別に俺のこと変だと思うんなら、それでもいいぞ。気にしないでさっさと行ってくれ」
「そんなこと思ってないよ。どうしてそんなこと言うの?」
イチコはトワリの言葉とは逆に、彼の隣に座りながら尋ねた。
「皆が俺のことそんな風に言うからさ。変わり者だって」
「確かに、そういうのが好きって人はあんまりいないかもね」
イチコがくすりと笑うと、トワリは面白くなさそうに返した。
「俺からすりゃ、神なんて不確かなものを信じてる他の連中の方が、よっぽど物好きさ。明らかに存在していると分かるものに目を向けた方が、よっぽど有意義だ」
「目を向けて、どうするの?」
「考えてみるんだ。この世界は一体どうなってるんだろう、とかさ――。お前はどうなっていると思う?」
今度はトワリが訊いてきた。
「――え?」
「ほらさ、俺たち、この大地に立ってるだろ。星は空で流れている。昼になれば太陽が流れていく。どうしてそうなると思う?」
「太陽や星が動いているからじゃない?」
と、イチコは答えた。おそらく、誰でも当たり前のようにそう答えるだろう。
「本当にそう思うか」
「――え?」
「本当は俺たちがいるこの世界が動いているとしたら?」
「まさか」
「もうひとつ不思議なことがある。空には数多の星があるが、季節によってその様相は変わるだろ。それでも次の年になれば、また同じ星空になる。どうしてだと思う」
「それは……」
「太陽だって同じだ。空を通る軌道や、出ている時間の長さは1年を通じて規則的に変わってゆく。星や太陽からみたら、俺たちはどう見えると思う。俺たちが動いてるように見えないか」
トワリの言うことを、イチコははっきりと理解できたわけではなかった。ただ、その口調からは、決して出まかせではない、彼なりの真意が含まれているように感じた。トワリはつづけた。
「俺たちは自分が立っている場所が、世界の中心だと思ってしまう。でも、そんなことは絶対にない。鳥は俺たちが飛べない空を自由に飛び交っているし、海には魚が泳いでる。俺たち人間がまだ見ていない世界は、きっとたくさんあるんだ。まして、宇宙がどれほど広いかなんて、想像つかないや。宇宙からみれば、むしろ俺たちの方が、とるにたらないくらいちっぽけなものなんだろうぜ」
「――そんなこと、考えもしなかったな」
イチコは膝を抱えて呟いた。確かに、見方を少し変えるだけで、世界は様相を変える。問題は観測する側の立ち位置なのかもしれない。
「俺が興味をもつのは、そんなこの世の真実だ。この宇宙は物体で成り立ち、生きとし生けるものはこの自然の中で存在を許されている。俺は、そんなこの宇宙がどういう原理で動き、成り立っているのか、物理を知りたいんだ」
「それで、星や土を眺めているんだね」
「ただ見てるだけじゃないぜ。細かなところまで観察して、よく考えるんだ」
「だから、目に見えない神様のことは信じないの?」
「まあな」
「私は信じるけど。今ごろ、トワリくんことを見ているかもね。『ああ、我の存在を疑う、救われない子供がここにいる――』って」
イチコは前で手を組んで、空を仰ぎながら言った。無数に咲き誇る星たちを見ていると、このどこかに神様がいらっしゃるような気がしてきた。或いは、それはこの天ならびに、この世界全体が神そのものなのかもしれない。
「案外、突き詰めてみたら、たどり着くのは同じところかもしれないよ?」
「んじゃあ、勝負だな。どっちが先に真理にたどり着けるか」
「のぞむところ。トワリくんに、神様が本当にいるってこと、見せつけてあげる」
「言ってろ、馬鹿」
と、トワリはほくそ笑んでイチコの方を見た。はじめて互いの視線が合った。イチコも好戦的な笑みを返す。彼女は気づいた。トワリのことを気に置けない理由。互いに大事なものが違うようでいて、根っこのところはつながっているのだ。一見、ひねくれ者のトワリだが、その実、自分の信念にまっすぐに向き合っている。それは、マオの祈祷への姿勢にも共通しているように思えた。
「さて、そろそろ戻らねえと、また兄貴に怒られちまうな」
トワリはそう言って立ち上がった。
「ねえ……!」
そんな彼にイチコは声をかけた。
「何だよ」
「また、こうやってお話できる?」
イチコの問いに、トワリは驚いたように目を剥いた。照れくさそうに彼女から視線を外して、頭を掻きながら答えた。
「たまには相手してやるよ」
上から目線な物言いにも、子供らしい天邪鬼な性格が滲み出ていて、可愛いと思えた。イチコも寝床に帰ろうと立ち上がった。
「じゃ、またね」
「んじゃ――」
と言い合って互いに別れようとした。その時――。
――ドオォォォォォォォン……!!
突然、遠くの方から轟音が響いた。さらに、獣の咆哮と人々の阿鼻叫喚も聴こえてくる。
「一体何だ!?」
トワリが驚いた声を上げた。
「行ってみよう!」
二人は音がする方へと走っていった。




