第一章(9)
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宴の最中、ある集落の方から轟音と阿鼻叫喚の声が聴こえ、マオたちムラの面々は急いでその方へと向かった。
たどり着いてみると、そこはまさに地獄絵図だった。
家という家が軒並み倒れ、辺りに茅葺きの痕やぼろぼろになった木々が散乱している。ところどころに、血を流し倒れているムラ人たちもいた。さらに、奥の方では逃げ惑う人々と、それを追いかけては一人一人に襲い掛かっている獣の姿があった。
「一体どうなってるんだ、これは……!」
イゾウが呆気にとられた顔で呟いた。ヒブリとの戦いで著しく腕を傷めてしまったため、彼の腕は布で固定されている。
「森のけものがムラに降りてきたのじゃろう、先日の戦に加え、連日宴で騒がしくしておったからの」
籠から降りてマオが言った。イゾウは一瞬マオの方を見たが、すぐに獣の方へと向き直り、「チイッ」と怒りをこめた目をして叫んだ。
「ムラを荒らされてたまるか……!」
マオたちに一歩遅れて、イチコとトワリも到着した。
「何があったんだ!?」
トワリが目を剥いた。イチコも周囲の惨状に驚くばかりである。見れば、怪我でもしているのか、右腕を布で固定したイゾウが、兵士たちに弓を構えさせていた。
「放て!」
というイゾウの号令に、いっせいに矢が放たれる。しかし、けものの身体が貫かれることはなく、体表に弾かれて散った。けものは兵士たちの方へと身体を向けた。
グゥゥゥ――。
とけものは唸り声をあげたと思うと、兵士たちに突っ込んできた。彼らが「あっ」、と声を上げる間もなく、けものが飛びかかってくる。数名の人間が一度に押しつぶされた。けものはさらに兵士たちに襲いかかる。ある者は弓を引いたが矢を放つ間もなく、ある者は剣を抜いたがけものに刃が通らず、次々と犠牲となっていった。
「ひるむな、どんどん矢を放て!」
とイゾウは命じるが、やはり矢はけものには通用せず、どんどん兵士が失われていく。
「こっちじゃ――!」
ふと、甲高い声が夜の空中に凛と響いた。見れば、マオが少し離れた場所に立ち、大幣を掲げてけものを見ている。
グゥゥゥ――。
けものはゆっくりと身体の向きを変え、マオの方を睨みつけた。マオはたじろぐこともなく、ただけものを睨みつけている。けものが砂埃をあげて、マオに迫っていった。
「マオ様、危ない!」
イチコが叫ぶ。とそこへ――。
ザクッ――!
という音がして、けものがよろめいた。見ると、ヒノイリノクニの使者らの姿があった。ヒブリが巨大な弓を掲げていた。そして、太く逞しい体躯の矢がけもののこめかみあたりに突き刺さっている。ヒブリが放ったものだ。
しかし、それでもなお、けものは倒れず、一瞬ヒブリやヒノイリノクニの兵士たちのいる方へと視線を向けた。しかし、
「間違うな。そなたの相手はこのわらわじゃ!」
とマオが鋭く言い放ち、けものの注意を再び自身に向けさせる。けものはグゥゥゥゥゥ――と邪悪な唸り声をあげた。
その時、イチコはふいに、マオの全身から緑色の炎が舞い上がるのを見た。そして、それは腕をつたって、彼女が掲げる大幣へと集中していく。けものは何かを察したのか、「グワァツ!」と雄叫びをあげて、再びマオへと迫る。刹那、大幣の先端から緑の光が放たれ、飛んでいった。けものはその光に包まれて、自らの動きを止める。やがて憎悪にぎらついていた目の光が失われ、その巨体がずしんと地に倒れた。
マオはけものの方へと歩み寄る。けものの目は安心したかのようにとろんとなっていた。永遠の眠りについたのである。マオは、さっさっ、と大幣を2度振ると、目を瞑り唱えた。
「邪悪なものに侵されし哀れな者よ。せめてその魂は、安らかに眠り給え」
イチコがマオの方へと駆け寄っていった。
「マオ様!」
「――イチコ、来ておったのか。無事で何よりじゃ」
「これは、何なのですか?」
動かなくなったけものを見て、イチコが訊いた。マオは答える。
「“邪獣”じゃよ」
「ヤジュウ?」
「森のけものが、人間の欲望や憎悪、嫉妬といった悪しき情念に憑りつかれて、凶暴化したのじゃ。近隣のムラのとの戦や、ヒノイリノクニの一件など、ここのところ色々なことがあったからの――。あさましい人間たちに怒った神が遣わしたのかもしれんな」
「けものが死んでしまったのは……?」
「浄化の力じゃ。わらわの念力で、けものに憑りついた悪しき情念を取り払い、清めたのじゃよ」
マオは慈愛を悲哀を織り交ぜたようなまなざしで、けものを見下ろしていた。そして、イチコに言った。
「イチコ、そなたはもう休め。わらわはこれから祈祷場に行って、犠牲となったムラの人間たちと、この哀れなけものを弔わなければならぬ。今日も眠れんわ――」
マオはぼやくように言って、ムラの要人たちの集まる方へと戻っていった。イチコはその後ろ姿を見ながら、声を弾ませて言った。
「すごい。やっぱりマオ様の力は本物だ……!」
「そうかな?」
ところが、トワリはなおもそんなことを言う。イチコはムッとした。
「マオ様があのけものを退治するところ、見てたでしょ?」
「違う。あれは兄貴の放った矢のおかげだ。あの矢には、即効性の毒が塗ってある。それで死んだんだ」
「矢で射られても死ななかったじゃない」
「よっぽど生命力の強くて、毒が回りきるのに時間がかかったんだろ。それは兄貴にも予想外だったのかもな」
「でも、マオ様が放った緑色の炎は……」
と、イチコはさらに食い下がった。けれど、トワリはあっけらかんとして言う。
「思い込みじゃね? 緊急事態では現実にないものが見えたり、間違った情報を真実だと思い込むこともあるからな」
何から何までイチコの言うことを否定してかかるトワリに、
「……やっぱりあんた嫌い」
と、彼女はふてくされたように言った。
「はぁ? お前なんかに好かれたいと思ってねえよ」
トワリも抵抗感ありありに返してくる。イチコはツン、とそっぽを向いた。互いに認め合えるようになるには、二人はまだ子供すぎるのだ。
皆の元へ戻ったマオは、シラヌイに向かって言った。
「わがムラの大事に巻き込んでしまったこと、申し訳なく思う」
「とんでもない。大変なことになりましたね。しかし、さすがはマオ様。あの巨大なけものを、いともあっさりと鎮められました」
「いや、わらわの力だけでは間に合わなかったかもしれぬ。そなたたちが矢を放ってくれたのが、功を奏したのじゃろう」
「それでも、あなた様の聖なる力には、目を見張るものがある。今回のことで、より強く思いました。あなたには、ぜひともわがクニで、まつりごとの中心を担う巫女を務めていただきたい!」
シラヌイは目を輝かせていた。マオは何も応えなかったが、ただ微笑んでシラヌイと向き合っている。その様子を、イゾウらムラの要人たちは、腹に一物あるような目で見ていた。




