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第二章(8)

 8



 ヒブリとイチコを背に乗せた馬が、道なき道を駆けてゆく。

 行く手を塞ぐかの如く乱立する木々や、ごつごつした岩の間を切り抜け、崖から崖へと飛び移り、険しい山をどんどん登っていた。


 イチコは振り落とされないようにふんばるので必死だった。あまりの怖さに、何度も「止めて!」と口から出かかったが、何とか堪えた。一刻も早く、マオに追いつかなくてはならない。


 なぜこのような悪路を進んでいるのかといえば、それはヒブリの考えによるものだった。彼は、人が通りそうな平坦な山道ではなく、なるべく一帯が見渡せるような高台のルートを選んだのだ。その方がマオたちの姿を発見しやすい、という算段である。さらには、登りやすい道は、イゾウ率いる兵たちが歩いているだろう。彼らとかち合わないため、という理由もあった。

 もっとも、高台の目立ったところを進むと、イゾウの軍勢に見つかってしまう可能性は高くなる。それで、ところどころ回り道をしたり、およそ険しい場所を進まざるを得ないのだった。


 だが、そうであっても、順調に進めていることは間違いないだろう。マオが山に入っていったという情報だけを頼りに、延々と捜索を続けるムラの兵たちに対し、ヒブリとイチコはマオたちがイネノクニに向かっているのではないかと当たりをつけている分、迷いなくその方に進むことができるからだ。

 時おり、いま進んでいる方角が分からなくなったり、どの道を走ればいいのか迷ってしまうこともあったが、そこはトワリの発明が役に立った。イチコは一瞬、ヒブリに馬を止めてもらって、胸元の方位器を手に取り、地面と水平になるよう掲げてみると、それは進むべき方角を、青色の石で示してくれた。

 あとは、自分たちの立てた予想が正解であることを祈るばかりである。


 やがて、二人は辺りが岩だらけで構成された一角に出た。


「あっ、イチコさん、あれ……!」


 ヒブリが崖を見下ろしながら言った。イチコもその方を見てみると、崖下の、上面が平らになった大きな岩場に、二人の人間がへたり込むように座っているのが見えた。


「マオ様に、イッキさん!?」


「間違いありませんね……」


 馬が崖の斜面を滑り降りながら、マオたちの方へと近づいていき、岩場の上で止まった。思いがけず近づいてきた一頭の動物に、マオとイッキは驚いた顔を浮かべる。さらに、その上に跨る男性を見て、驚きの声をあげた。


「そなたは――たしか、ヒノイリノクニの」


 そこへ、「マオ様!」と男の背後からひょっこり顔を覗かせたイチコを見て、マオは3度目の驚きの表情をみせた。


「イチコまで……一体どうしたのじゃ!?」


 ヒブリは馬を下りると、イチコの手を引いて彼女も下ろさせた。そして、改めてマオとイッキの方を向き直った。


「イチコさんから手紙をいただいたのです」


「何ゆえに――」


「イゾウらの率いるムラの兵が、あなたたちを追ってきています」


「そうか。思ったよりも早かったの」


 マオは落ち着いていた。イゾウたちが追いかけてくることは、すでに予想していたようだ。イッキが弱々しい声で言った。


「マオ様、いざという時は、私を置いて逃げてください。あなた様だけでも助かるのなら、私は一人で奴らに捕まり、処罰されても構いません」


 イチコは、彼の投げ出された足から、血が流れているのを見た。山を登る最中で、岩場にでもぶつけたのだろう。


「何を言うか。何があっても、二人で一緒に生きてゆくと決めたじゃろう」


 イッキとは対照的に、マオは気丈な様子である。ヒブリが、二人のことを交互に見ながら、それに継いだ。


「ご安心ください。お二人は、我々がお守りします」


「これからどうするのじゃ」


「いったん、山を降りましょう。ムラに戻れば、ヒノイリノクニの軍があなたがたをお守りできます」


「じゃが、どうやって山を下りる。ムラの軍が迫ってきておるのじゃろう。――馬に乗るということか」


 マオはヒブリの馬を見やった。ヒブリは一つ頷いてみせる。


「全員を運べるかの」


「マオ様、やはり私は、この場にとどまります」


「まだそんな後ろ向きなことを。二人で生き延びなければ意味がないと言っておうじゃろうが。もっと気をしっかり持て!」


 なおも気弱なイッキに、マオは叱りつけるような口調になる。この二人が結婚したら、イッキさんはマオさんの尻に敷かれるようになるんだろうな――とイチコは内心で思った。ヒブリが言った。


「――4人いっせいに馬に乗って、山を下りるのは難しいかもしれない。ここは二度に分けましょう。まず、マオ様とイチコさんをムラに帰す。そして、すぐにここへ戻り、次はイッキさんを運びます。ムラの兵たちが追い付くまでにはまだまだ余裕がある。急げば、間に合うでしょう」


「確かに、それが最善の方法かもしれぬな」


 方針は決まった。ヒブリが立ち上がる。イチコもそれに従った。マオもイッキに肩を貸しつつ、ふたり一緒に立ち上がった。


「イッキ、自分で立てるか?」


「大丈夫です。それより、お渡ししたいものが」


「何じゃ?」


 イッキは自力で立つと、「お戻りの途中で、もし何かあれば」と、懐から短刀を取り出して、マオに差し出した。


「ありがとう。使わせてもらうぞ」


 マオはそれを受け取り、自分の懐にしまった。


「さあ、行きましょう」

 と、ヒブリが促す。マオとイチコはそれに頷いた。その時――。




「いたぞ!」




 山下から叫ぶ声がした。見ると、遠くから武装したムラの兵が数名立っている。


「……追いつかれた!?」


 まさか、これほどまでに早く追いかれるとは――。彼らが思うより、ムラの人たちのマオに対する執念が強かったと考えるほかはない。

 兵の呼びかけに、イゾウをはじめ、ムラの軍勢がぞろぞろと集まってきた。

 イゾウは岩の上を見上げて言った。


「マオにイッキ……ついに見つけたぞ。あと、お前らはイチコとヒノイリノクニの……。そうか、お前たちが裏で糸を引いていたのだな」


 イゾウは勝手に合点をして、「貴様ら、これ以上逃げても無駄だ。覚悟しろ!」と、岩場にたたずむ4人に叫んだ。

 次の瞬間、弓を掲げた兵士たちが、矢を次々と放ってきた。


「キャッ!」


 イチコが悲鳴を上げて、その場にうずくまる。ヒブリが腰の剣を抜いて薙ぎ払い、迫る矢を跳ねのけて彼女を守った。イッキも兵たちに背を向けて、マオを覆いかぶさるように抱きかかえた。


「待てっ! 誰が矢を放てと言った!」


 イゾウが慌てて兵を止めさせる。いったん矢の襲来が収まり、一同ほっとしたのも束の間――。




 ずるっ。




 マオの身体から、滑り落ちるような感触があった。


「えっ――?」


 見ると、イッキがその場に倒れ込んでいる。背中に矢が刺さっていた。放たれた矢の1本が、運悪く彼めがけて飛んできたのだ。


「イッキ!」


 マオは叫んだ。イッキの口からごぼりと血が漏れる。彼はかすれた声で、「マオ様、ご無事で……」と言った後、がくりとこと切れた。


「イッキ、イッキ……!」


 マオは何度もイッキの名前を呼び、彼の肩をゆすった。しかし、イッキがそれに応えることはもうなかった。


「そんな……」


「なんてことだ!」


 イチコもヒブリも、とんでもない事態に呆気にとられている。マオはイッキの亡骸にすがって、泣き叫んでいた。

 だが、そのうち、彼女の泣き声は、怒りの呻きへと変わっていった。マオはがばっと上体を起こして、


「おのれっ、あやつら許さんぞ!!」

 と、イゾウたちの方を睨みつけながら叫んだ。その表情は、これまでに見せたこともないような憎悪に満ちていた。彼女の全身に、紫色をした気が渦巻いてくる。それは、イチコでさえも、彼女のもとから逃げ出したいという衝動に駆られるほどの禍々しい情念だった。


「マオ様、いけません。このままでは……!」


 イチコはそう言ってマオを止めようとしたが、

「分かっておる……分かっておるが…………もう止まらん!」

 と、マオは天を仰ぎ、そして力の限りに叫んだ。山じゅうに響き渡るほどの咆哮だった。彼女のあまりに巨大な怒りの感情が、叫び声に乗って山へと散ってゆく。






――ドドドドドドドドドドドドドドドド……!






激しい地鳴りとともに、山全体が揺れだした。


「一体、何が起こったのだ!?」


「あっ、あそこ!」


 イチコが叫んで、ある方を指さした。見れば、向こうの崖の斜面を、何頭もの大きなけものが猛スピードで山道を下りてくる。そればかりではなかった。辺りを見渡せば、方々からけものたちが現れ、その大群が常軌を逸した興奮をもって、瞬きする間もない速さでイゾウの軍勢に迫ってきた。彼らは、抵抗することも敵わず、ただ断末魔をあげ、けものに蹴散らされていった。


 そして、けものの大群はさらに山道を駆け下りてゆく。


 イチコには分かった。いま、何が起こったのか。そしてこの先、何が起こるのか――。


 祈祷によって、ムラに平和と幸福をもたらしてきたマオ。しかしその分、マオ自身は、人々の嘆き、悲しみ、怒りを一手に引き受けていた。そんな内面にため込んだ負の情念が、イッキを失ったことへの怒りで爆発したのだ。それは、この山じゅうのけものたちをことごとく邪獣化させるほどに大きなものだった。


 先日にも、たった1頭の邪獣によって、ひとつの集落が壊滅に追い込まれた。あれだけの数の邪獣が一度に押し寄せたらどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。


「……これで分かったじゃろう。わらわもただの醜い人間のひとりじゃということを」


 マオは力なく笑った。その笑みには、自らムラを手にかけてしまった悔恨と、積年の恨みを果たせたことへの満足、両方の感情が滲み出ていた。

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