第二章(7)
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ヒブリが100ほどの兵を率いてムラを訪れたのは、その翌日の朝のことだった。
そのことをミノカから聞かされたイチコは、急いで彼らのもとへとやって来た。
周囲ではムラの人々が困惑した様子で兵士たちの方を見たり、ヒソヒソと互いに言い合ったりしている。突然のヒノイリノクニの使者の来訪にもかかわらず、イゾウらムラの要人たちは不在であり、対応に困惑していたのである。
イチコだけが、落ち着いた様子でヒブリに話しかけた。
「突然、呼び出してごめんなさい」
イゾウたちがマオ奪還を目指し山を登ると決めた直後、イチコはヒノイリノクニの使者たちに向けて、伝書鳥を送っていた。もちろん、事情を伝え、彼らの暴走を止めてもらうためである。
「いえ、こちらこそ到着が遅くなってしまいすみません」
「とんでもない。思ったより早くて助かりました」
「こちらこそ、手紙をいただけて助かりました。ムラの兵たちは、すでに行ってしまったようですね」
「そうです。一刻も早く手を打たないと、取り返しのつかないことになります」
「分かりました。すぐに出発しましょう」
イチコはヒブリに仕える兵士たちを見渡した。
「兵の皆さんに山を捜索してもらうのですか?」
「――いや、この者たちは、もしもの時のために連れてきました。それに、あまり大勢で行って、ムラの軍とかち合うのも良くはないでしょう。私が自ら向かうつもりです」
「ヒブリさんだけで?」
「はい。単独で先回りして、マオ様に追いついた方が得策です」
ヒブリは傍らに、逞しい体つきをした馬を引きつれていた。この馬に乗っていくつもりなのだろう。
「でも、山道は険しいですよ」
「今までともに歩み、道なき道を切り開いてきた、私と私の相棒を舐めてもらっちゃ困りますよ」
ヒブリはニヤリと笑い、馬の首をポンと叩いた。それに応えるように、馬も一つ鳴き声をあげた。自信ありげな様子にイチコは勇気づけられる。
「分かりました。でも、私も連れて行ってください」
「いいでしょう――。そうだ、トワリからイチコさんにと渡されていたものがあったのでした」
「トワリくんから?」
「ええ。あいつもここへ来たがっていたのですが、足手まといになると困ると思って止めたのです。そしたら、代わりにこれを持っていってくれ、と言われて」
ヒブリは懐からあるものを出し、イチコに渡した。それは、手のひらに収まるくらいの大きさで、円型をした透明な翡翠の容器の中が水らしき液体で満たされ、中央に何やら細長い小さな棒が浮かんでいる。棒は半分が赤、もう半分が青色になっていた。先端には紐がくくりつけてある。
「……何ですか、これ?」
「あいつの妙な発明品ですよ。“方位器”と命名しているようです」
「ホウイキ?」
「あいつが言うには、棒の赤い側が冷たい風が吹く方角、青い側が温かい風が吹く方角を常に示しているそうです。さらに、赤い側を上にして右手は日の昇る方角、左手は日の沈む方角だとか」
「へぇ~」
と、イチコは言いながら、それを軽く振ったり、向きを色々と変えたりしてみた。しばらく棒は液体の中でしばらく迷った素振りを見せるものの、結局は同じ方向を指し示す。
「まあ、ただのオモチャで、大して役に立たないとは思いますが」
と、ヒブリは肩をすくめてみせるが、イチコは感心したように言った。
「そんなことないですよ。さすがトワリくん、すごいや――」
イチコは、方位器の先端の紐を首の回りにかけ、後ろで結んだ。
「さあ、あまりうかうかしている余裕はない。すぐにマオ様を追いかけないと。――だが、問題は彼女たちがどこに向かっているかだ」
「それについては、出発前にマオ様がこう言ってました。山を越えたところにあるクニに向かうって」
「なるほど。確かに、ここから温かな風が吹く方角に山を越えた先には、イネノクニがある。穏やかな気候と恵まれた大地のなか、農耕が盛んに行われている恵まれたクニだそうです。マオ様たちがそこを目指している可能性は高いですね」
ヒブリは馬に跨った。それから、イチコに手を差し伸べる。
「さあ、イチコさん、後ろに乗ってください」
イチコは頷いた。自分の小さな体では、大きな体躯の馬に乗るのはひと苦労だと思われたが、ヒブリがイチコの手を握って、強い力でひょいと彼女の身体を持ち上げると、すんなりと馬の背にイチコもまたがることができた。
「では、行きます。しっかり捕まっていてくださいね!」
ヒブリに言われて、イチコは彼の腰元に腕を伸ばして、ぎゅっと捕まった。ヒブリは馬を走らせる。馬はひとつ鳴き声をあげると、ものすごい速さでムラを駆けていった。




