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第二章(1)

 1



 ヒノイリノクニの使者の来訪から少し経ち、季節がひとつ過ぎ去った。


 日照時間が徐々に長くなり、緑が覆い茂っていたあの頃とは対照的に、いまは昼間でも涼しい風が吹き、早朝や夜は少し肌寒さも覚える。木々の葉も少しずつその緑に黄色が混じり始めていた。

 過ごしやすい時期といえばそうなのであるが、ムラの人々は来る冬に向けての支度で忙しくしていた。

 稲の収穫の時も近い。山で備蓄できる木の実や山菜も多く取ってこなければならない。それらを入れるための容器もたくさんこしらえなくてはならない。冬を越す間、寒さをしのぐための衣服も必要だ。


 イチコもムラの人々に混じって、そんな労働に従事していた。少し前までは、あまり多くの人と関わることを嫌がり、一日の大部分を祈祷場で過ごしていたイチコだが、最近はマオの付き人をする傍ら、他の人々と関わる機会も増えていた。いつかのミノカの助言や、トワリのような癖のある男子と仲良くなれたことに後押しをされたのかもしれない。

 実際、自分から勇気を出して他人に話しかけてみたり、ムラの仕事を手伝ってみると、相変わらず彼女を敬遠する人もいる一方で、案外優しく接してくれる人もいた。それに、イチコは土器づくりや布織りなどのやり方について、教えられたことはすぐに覚え、器用にこなすことができた。幼少期から、マオにそれなりに厳しく育てられたこともあり、人の話を素直に聞き、すぐに飲みこむことができたのである。即戦力になったというのも、認められやすさの一因であった。

 このようにして、親しい関係の人が増えていった。すると、不思議なことに、イチコを嫌っていた人も、あからさまな嫌がらせをしてくることは少なくなっていった。


 人間には群れる本能があり、ある人物がこうだと言えば、他の人たちもそれが常識だと思ってしまうところがある。ところが、そこに別の見解が入り浸透すれば、それが新しい共通認識となり、以前の風潮は影をひそめてしまう。

 イチコは気づいた。現状がすべてではなく、自分をとりまく状況は、流動的に変わり得るものなのだ。そして、それを変えるためには、自分から動いてみることも大切だと学んだのだった。


 この日も、イチコはムラの女性たちと一緒に、器づくりを行っていた。ろくろの上で、細長くした粘土で輪をつくり、それを重ね、練り合わせて形を整えてゆく。

 その時、ふいに空からバサバサッという音がして、一羽のカラスが飛んできた。くちばしに何か咥えている。手に取ってみると、それは手紙だった。


「届けてくれたんだね、ありがとう」

 とイチコが微笑むと、カラスは「カァ」と一声鳴いた。そして、再び羽音を響かせながら、森の方へと帰っていった。

 カラスが飛び立った方角から視線を戻して、イチコは驚いた。なぜだか、周囲の人たちからの注目を集めていた。


(手紙が珍しいのかな――)

 とイチコは思った。当時はまだ木から紙を製造する技術はなく、手紙は植物の繊維を溶かして平らにしたパピルスと呼ばれるものや、木簡を使うのが通例である。いずれにせよ貴重なものであり、一般の人々がなかなかお目にかかれるものではなかった。

 しかし、ムラの人たちが興味津々になっているのは、当然それだけが理由ではなかった。


「例の男の子からかい?」

 と、女性の一人が訊いてきた。イチコがヒノイリノクニの男の子と文通をしているという噂を、ムラの人々はすでに聞きつけて知っていたのである。イチコからしたら、トワリは飽くまでも遠方に住んでいる同い年の男友達なのだが、他の人々はどうにもあらぬ期待をもってしまっているようだ。彼女たちは、トワリの癖のある性格を知らなかった。もちろん、ヒノイリノクニ側の思惑も知らない。


 イチコはイチコでまだ幼いが故、大人たちの心の機敏には疎く、「何でこんなに盛り上がってるんだろう――」と首をかしげるばかりであった。


「なんて書いてあるんだい?」


「おばさんたち、字が読めないからさ、読んで聞かせてよ」


 などと周囲にせがまれるままに、イチコは手紙を開いてみた。すると、期待に輝いていたイチコの顔が、どんよりと曇った。




 祈祷場に戻ると、マオが茶を飲んでいた。祈祷の儀を終えたばかりらしく、ひと仕事を得た充足感のようなものが顔に現れている。


「どうした? ひどく不満そうな顔をしておるぞ」


 イチコの顔を見るなり、マオは言った。


「これですよ」


 イチコはトワリからもらった手紙をひらひらとさせた。


「トワリとかいう男子からかの」


「そうでなんですけど……」


「こう書いてあったんです『あんまり無意味に伝書鳥を働かせすぎると嫌われるぞ。呼び出される鳥の気持ちも考えろ』って――」


 実際、ここしばらくの間、頻繁にトワリと文通を行っていた。トワリから譲り受けた伝書鳥を手なずけるべくお世話をしてみたところ、鳥はすぐにイチコになついてくれたので、早速それを使って彼に手紙を送ったのである。


『どう? もう鳥さんを使えるようになったよ』


 その際に、このような旨の文言を入れた。すると、しばらくして伝書鳥が、トワリの返事を持って戻ってきた。


『もともと俺が時間をかけて育てたおかげだ。お前の成果じゃない』


 そんなトワリの物言いにイチコはムッとして、さらに手紙をしたためた。


『そんなことないもん。信心ある清らかな私の心が、鳥さんに通じたんだよ』


 それを伝書鳥咥えさせてトワリに送った。そしたら、さらにトワリからこんな返事が来た。


『相変わらずの神頼みかよ。前にも言ったろ。自分で考えて道を切り拓かない限り、未来はないぜ』


 ――云々。イチコが手紙で何か言うと、トワリがそれに言い返してくる。それにまた言い返すと、さらに言い返される。そんなことが続いた挙句の例のトワリからの文言である。


「トワリくんだって、人の気持ちが分からないくせに……」

 と、イチコはぼやいてみせる。


「なるほどのう。じゃが、そこまで頭にくるのなら、友人関係をやめてしまえばいいのではないか?」


「それは――」


 イチコは口ごもった。マオはさぞ可笑しそうにほくそ笑みながら言った。


「不思議なものじゃの。腹を立てたり、喧嘩したりしながらも、相手のことが嫌いになれない。そういうのを本当の友というのかもしれんの。うらやましい限りじゃ」


 マオの言葉に、イチコははっとなった。マオはその立場上、そのように呼べる存在が一人もいないのだ。一応、イチコがそれに近しい立場ではあるが、飽くまでも付き人というのが前提にあるため、本当の友とは言い難い。なのに、自分はそのような相手の話を持ちだしては、怒ったり愚痴ったりしている。イチコはマオに対して、少し申し訳ない気持ちになった。


「まあ、無理に関係を続けることはないが、気の置けない相手だと思うのであれば、これからも付き合っても良いのではないか」


 しかし、マオは寂しがっている風ではなく、イチコにこのように言った。彼女の優しげな笑顔を見て、イチコはほっとした。

 これからも、トワリくんには手紙を書こう――。マオの助言を受けてイチコは思う。ただ、確かにここ数日は躍起になって手紙を送りすぎていたので、今度は少し冷静になって間を置くことにする。伝書鳥を働かせすぎるのも可哀想だ。


「まあ、実際のところ、その男子とは仲睦まじくしていた方が、今後のそなたのためになるじゃろうな……」


 ここで、マオは呟くように言った。やけに意味深な物言いに感じて、イチコは「ん?」と眉をひそめた。ムラの人々と同様に彼女も、先日のヒノイリノクニの使者たちの真の目的を、まだ知らされていなかったのである。

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