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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その7.存在の証明に必要なもの
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05







 けれど問題はそこではなかった。


 この山の管理を師匠が亡くなったことで、自動的に居を共にしていたサラザールに引き継がれていたのだ。


 ここははっきりと目的地を認識していないとたどり着けないような木々に覆われた上に、普通に山である。かなり上の方に居を構えているせいか、例え山に変な術がかかっていなくとも辿り着くのが非常に困難な場所だった。


 さほど高くない山とはいえ、人の手が必要以上に入らない場所は道も次第に機能しなくなり、利用者が減れば道も道と呼べなくなってくる。


 それほどあの土地は、長い間放置されてきたのだ。ただ一人サラザールに…いやサラザールの師匠に管理を任せて。


 そして任せた管理は山の保全などではなく、あの場所にあるものを他者に触れさせないことだった。


 そのことをサラザールが知ったのは、師が亡くなった後だった。話を聞いたとき、サラザールはすぐに「あの場所」がどこなのか、なにを言っているのかぴんときた。


 けれどサラザールはこの時、師匠はもしかしたら黒竜のことを知らなかったのかもしれないと思った。黒竜が居る場所はまるで隠されるように谷間の奥まったところだったし、師匠が隠れて何かをしたりどこかへ行っている姿なんか見たことがなかったからだ。


 それになにより、彼の師はサラザールになにも話さなかった。行ってはいけない場所があるとか、やってはいけないことがあるなんて事はなにも。だから単純に、国が勝手に人員を割り振っているだけなのだと思っていた。


 必要があればきちんと自分に伝えてくれると思っていたからだ。


 彼が死ぬずっと前に自分は進言していたからだ。貴方がいなくなっても、自分はここを去らないと。


 それは黒竜の結界への興味もまだ潰えていなかったのもあったけれど、単純に師匠の残すものを守りたかったからだ。引き継ぐ人間がいなくなってしまえば、彼が生み出した素晴らしいものだって、人知れず忘れ去られてしまうと思ったから。


 自分が口にしたその言葉が、どういう意味なのか分かってなかったなんて事は無いはずだ。


(…いや、あんな遠回しな言い方じゃ理解できなかったのかな…)


 ちょっとズレたところがある人だったと、師を思い出すサラザールは少し遠い目をした。


 そう。なにも言わなかったけれど、知らなかったなんて事あるわけがなかったのだ。ちょっとズレたおかしな人だったけれど、そういう人だということを少し忘れていた。


 全て知っていたくせに、黙っていたくせに、後はなんとかして欲しいなんて勝手なことを言わないでくれと、言えるものなら言いたかったくらいだ。


 サラザールがあの黒竜の結界管理を、師が国から任されていることを知ったのは彼の書いた日記をたまたま見つけて読んだからだった。そして自分に自動継承されている事実は、サンディアルトが教えてくれた。ご丁寧に契約書まで一緒に添えて。


 日記の方は一見読めない字で綴られた不思議なもので、最後の頁まで読めない文字で綴られていた。気になったサラザールが興味本位で魔力を浮かせた視界で見ると、読める文字になって浮かんできたのだ。


 なんでそんな面倒な処置をしたのか知らないが、それをやってみなければ自分は一生何も知らないままだったということだ。


 別にそれならそれでいいが、知らなくても管理者の名前は自動的に自分になっているのだ。知らないところで責任追及をされるなど溜まったものではない。

それともあの人は、そこまでサラザールが関知することが分かっていたのだろうか。面倒くさいと、逃げ出すとは思わなかったのだろうか。


 面倒くささと興味を天秤に掛けて、サラザールなら後者を取ると確信があったとでもいうのだろうか。


(…死んでからも、読めない人だな。まあ、あの日記見つけることなんかお見通しだったんだろうけど)


 でなければ、自分に宛てた手紙のような最後の頁は存在していなかっただろう。


 ――日記を付けていたなんて知らなかった。そんな細かなことが出来る人間性の人だと思っていなかったから。


 だから興味本位で解読してみたくなったのだ。しかしそれが、あの大きな黒竜の観察日記だなどとは思わなかったけれど。


(…ああ、だからか)


 ふと思い立ったサラザールは一人納得した。


 きっとだからあの観察日記に、自分への手紙を残したのだ。


 足を滑らせて落ちた後、夜遅くに戻ってきたサラザールが土くれだらけでぼろぼろだった理由も、その大きな翼を広げられない事を哀れんだ気持ちも、何かに焦がれるような目をずっと絶やさないことにその結界への興味の方向性が少しだけ変わったことも、きっと彼は知っていたのだろう。


 だから、お前が好きなようにやったらいいと、あんな遠回しな伝え方をしたのだ。


 結局サラザールの師匠は、黒竜も結界もサラザールの行動も、全てを知った上で黙認していたということだ。それが管理契約書に書かれた項目に違反していると知っていて。


 もしかしたら、彼も自分と同じ気持ちだったのかもしれない。彼を哀れんで自由を望むならば、それに応えてやりたいと。


(馬鹿だな。…貴方に出来ないのに、僕に出来るわけないじゃないか)


 でも、それでもどうしても。


 長い間たった一人で生きてきたあの黒竜に、焦がれているものを与えてやりたいと思った。


 別に同情心だけではなかった。なぜかは分からないけれど漠然と、あの大きな翼竜の願いを叶えてやりたいと思ったのだ。


 彼が何を願っているのかなんて知らないくせにと笑う自分がいる反面、なぜかあの黒い竜がなにを求めているのかを自分は知っている気がした。それは気のせいでもあり、確かな確信さえあった。


 その瞳の奥にある憧憬は隠されることなく届いているからだ。


 それは一体誰が、いつから言っていたのだろうか。どこにあるのかもしれない、本当にあるのかも、ただの幻なのかさえも。


 遙か昔からずっとあるただの噂話。自由に空を飛んでいる竜たちには、たった一つ帰る場所があるのだと。日が落ちる頃、竜の姿が一斉に見えなくなるのはみんなそこへ帰っているからだと。そう真しやかに囁かれていた。


 竜の群れを狩りたいという野心のある人間、興味本位でその場所を探す人間、竜の群れから金策を企む商売人間。色々な人が、地上に生活する姿が全く見えない竜たちを探して、その噂の域を出ない場所を探し続けた。


 けれどどこを探しても、誰一人としてその場所を見つけることは出来なかった。


 結局、ただの噂だったのだ。そう言って、次第に誰もが興味を失っていった。


 いつしかそれは、御伽噺の中にだけ存在する「竜たちの理想の郷」として、その言葉だけが今の世に残っている。


 サラザールもそんなものは存在しないと思っている。いや、思っていた。


 きっと誰かがおもしろおかしく口にしただけの泡沫の幻想。野生性に長けているから、鼻がきくから、欲にまみれた人間から上手に隠れているだけだと。


 今でも頭の片隅ではただの空想だと思っているのに、それがただの空想でない事実を知っている。


 それを理解してから、黒い竜が何を見てあんな目をしているのか分かってしまった。


 きっと彼はそこへ帰りたいのだ、と。


(あの落胆の理由は、今も分からないけど…)


 客観的に見て、サラザールは自分は何かに取り憑かれているのではないかと思う瞬間があるくらい、自分で自分の思考が理解できない時があった。だからこそ、自分の度重なる奇妙な発言にも軽蔑の目を向けないこの二人にだって、その事実を言えないでいた。


 頭がおかしいと思われることを忌避したわけではなく、どうしてそう思ったのか、どうしてそんな考えを持ったのか、それを上手く説明できる自信がないのだ。自分自身おかしいと思っているのに、それを他人に説明するのはなかなか難しかった。


 いつからそんな事を思うようになったのかも定かではなくて、なんだか考えすぎると頭が痛い気がしてくるから深く考えないようにしていたのだ。すでに頭が痛い気もしてきて、サラザールは額を抑えた。


 黒い竜の帰りたい場所がどこにあるのかは知らないけれど、無心で漁った資料から辿った憶測が少なからず的を射ているなら、きっと自分のやりたいことは不可能ではないはずだと確信があった。


 それと同時に分かったことは、黒竜を覆う長い長い止まった時間は、きっと途方もないものだということだった。


 当然と言えば当然だ。今を生きている人の誰もがその始まりを知らない。始まりを知らないどころか、あんな巨竜が現在していることだって知らないだろう。きっと人の身ではその十分の一だって推し量れはしない。


 いくら異質者だと揶揄されていたとしても、サラザールにだって哀切に痛む心はあるのだ。なんとかしてやりたいと思うことは必然だった。


 まるで引き摺るようにしてここまで連れてこられたわけだが、サラザールとしては知りたいことを確かめるいいタイミングにもなったことには違いない。


 この二人なら隠す事情もない。黒竜の存在も結界の事も知っているのだ。知った上で、出来ることを協力してくれている。放任という手段でもって。


 言葉を選ぶ気を、遣う必要もないと思うとそれはそれで良かったと思い直して、それを確認しようと口を開き掛けた時ふとあることを思い出す。


「…そういえば、変な痕跡があった。黒竜の結界に」


 それまで黙ってサラザールの反応を伺っていたサンディアルトは、その言葉にぴくりと反応を示した。


「痕跡? どんな?」


「どんな。……わからない」


 少し考えた後、本当に分からないというようにぽつりと呟かれた言葉に、サンディアルトとアリアディスは顔を見合わせた。


「けれど痕跡があったということは、誰かがそこへ訪れたということだろう? ましてや行っただけならまだしも、結界に痕跡が付いていたなら少なくともその結界を触ったということなんじゃないのか?」


「そうなんだけど、そうじゃないっていうか…。そもそもあの場所って、普通に歩いて行けないだろ? なんか、ただの体感なんだけど標高よりも谷の底の方が距離的には長いっていうか、地面より明らかに深いっていうか……とにかく、単純にあの亀裂から下りただけじゃたどり着けないと思うんだ。なんたって普通に落ちたら確実死ぬだろうし。そうじゃなくてもあんな空気の中、魔術もなんにも知らない一般人が徒歩で行くなんて無理があるよ。だから多分その辺の人がどうこうって話じゃないとは思う、けど…」


 不可解に眉を寄せるサラザールの言葉に、アリアディスもサンディアルトも首を傾げた。本人が分からないことを理解するのは難しい。


「そもそも、あの山の渓谷も存在を知ってる人が少ないからさ。僕だってうっかり落ちなかったら今でも知らないままだったくらいだし。いちおう近い場所には結界と追跡の術で保護してるけど、それにはなんの反応もない。だから人じゃ無い何かだと思うけど…、でもあれは…」


 そう言って、サラザールは自身の左の掌を見つめる。


 異変の痕跡を辿ろうと結界に見える痕跡に触れると、その手を伝って人の感情のようなものが流れてきた瞬間を思い出す。


 自分のものではないそれはどこか異質で人事なのに、なぜだか胸がきゅっと締め付けられるような気がした。


 それは喜悦よりも哀憐に近く、愁然より強い悔悟の情だった。


「なにか害があるようには感じなかった。それどころか……」


 触れたこちらが悲しくなるような、申し訳なくなるような形容しがたいそれに、まるで自分の感情もののように錯覚しそうになってしまった。サラザールは見つめた掌をぎゅっと握りしめて、小さく頭を振った。


「じゃあなにか、黒竜の周りを彷徨いているのは幽霊かなにかだとでも言うつもりか?」


「幽霊…? おばけってこと? ああ、うん。それが一番しっくりくるかも」


「…本気か?」


 いきなりそこにだけ痕跡があったことも、それなら納得できるとサラザールが頷くとアリアディスは戸惑ったような顔をした。その顔は憮然と言うより困惑の気配が強かった。


「なんだよ、君が言い出したことだろ。…はーん。君、未だにそういうの嫌いなんだ」


 そんなアリアディスをおもしろおかしそうに喉奥で笑うサラザールに、その顔に不快感を表したアリアディスはそれでも反論しなかった。


 事実だから反論しなかったというよりは、話を前に進めたかったからだろう。そんなアリアディスからは、さっさと自分の仕事に戻りたいのだという空気がすごくにじみ出ていた。


「まあ、今のところ目立った変化はなかったから、特に気にしなくても良いと思う。それより、その僕が作った結界の中にいた人のことだけど、どんな人だったの? 一人だった?」


 そう言ってサラザールはサンディアルトに目を向けた。じっと黙って話を聞いていたサンディアルトは、その視線に少しだけ考えるそぶりを見せる。


 そんなサンディアルトが思い起こすのは今朝方のこと。いち早く目を覚ましたサンディアルトは、フレディの匂いを辿って森山へと翼を広げた。


 意外と神経が太いのか日常にあるなじみあるものに触れて安心したのか、フレディは昨日の今日であっても明け方には普通に爆睡をしていた。後者だったらこのうえなく嬉しいのだが、取りあえずそんなフレディの腕から抜け出して気になっていた事を調べに行った時のことだ。


 ふむ、と僅かに考えるように顎に手を当てて肘を支えたサンディアルトは、サラザールの質問に答える。


「俺が見たときは結界の中にいたのは一人だったよ。けれど匂いは一人のものじゃなかった。恐らく他にも出入りしている者がいるのではないのかな。その男は結界から出られないようだったけれど、フレディは彼と接触してたみたいだし、おそらくその結界は展開された後でも外から中へ入ることは可能なんだろう。一体どういう目的であれを作ったんだい?」


「え?」


「そもそも、なぜあんな所にそんなものを設置する必要があったのかな? もし異常を察知してのことだったら、せめてなにか俺たちに一言言ってくれてもよかったと思うんだけれど…」


 静かにそう言ったサンディアルトの声音には僅かに批難の色が籠もっていた。


 別に意識をしていたわけではないけれど、その部分に少なからず不満を感じていたのは事実だと思ったサンディアルトは、敢えて訂正はしなかった。


 けれどそっとサラザールを伺ってみたところ、どうやら彼はそれどころではないようだった。


「…会った? その結界の中にいたって奴と、会ったのか? で、戻ってきたの? 家に?」


「多分そうだと思うけど…なにか不都合でも?」


「そんなのあり得ない。展開した後の結界に、外から入り込むなんて出来ないはずだ」


 少しだけ言いにくそうにしたサラザールは、僅かな迷いの末そう言った。サラザール本人も驚きに困惑しているその顔には、嘘もごまかしも存在しなかった。


「どういうことだ?」


「そういう風に作ったからだ。だって、外から干渉できたら逃げられてもおかしくない。それじゃ不法者対策にならないし、再発防止にだってならないだろう? だから、中から出られないのはもちろん、外から中への干渉は出来ないようにした。空間を曲げることで不可視にしたから、同じ標高からじゃ捕まったものは見えないはずだ。絶対無理ってわけじゃないけど……それでも何の障害もなく入って出るなんて…」


 やっぱり失敗だったのかと考え出したサラザールに、サンディアルトは首を傾げた。






 

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