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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その7.存在の証明に必要なもの
40/45

03







 今自分がいなくなっても、不審に思ってくれる人が誰一人としていないのだ。もちろん自分で窮地をなんとか出来る腕っ節は、持ち合わせていないこともきちんと理解していた。


 いや、それがあったらいいのかという話ではないのだが、譲れないもののために力を尽くすことに対して、否の考えをフレディ持ち合わせていなかった。


 そしてそんなフレディの怒りは小さく燃えながら――あろうことか上司にも飛び火していた。


 アリアディスはこんな時に、本気でどこへ行ったのだと苛立ちのままに心の中で罵っていた。少なくともこのことを彼が知っていたら、そんな事を気に病む必要はなくなるのに。


 というか結局なんで自分が追いかけられる羽目になっているのかも未だに分からないのに、本当にどうしろというのか。


「もう…っ、ほんとに面倒くさい…っ!」


 自分はただ、毎日穏やかに生活したいだけだ。


 仕事を始めて二年足らず、これまでそれなりに平和だった。やれ家に帰れ婿を取れ――違う、嫁に行けと口うるさい小言も減って清々していた――ただ家に帰らなかっただけだが――のだ。ただただ稚竜たちと穏やかに平和に暮らしていたはずだった。…いったいなにがどうしてこうなった。


 ふときっかけを探し出した思考が、一つの事柄を拾い上げる。


 その人物を思い描いて、思う。やっぱり鬼門は鬼門だったということだろうか。


(…いやいや、いけない。いちいち人の所為にするのはよくないし、みっともないわ)


 だいたい、今この件にサンディアルトは無関係だ。何でもかんでも結びつけて彼の所為にしてはいけないと自分を戒める。


 全ては勝手なことばかり言っているこの人たちのせいなのだ。アリアディスが見つからないのも見つけないといけない理由を作ったこの人たちの所為だし、自分が今必死になって走っているのもこの人たちのせいである。見誤ってはいけない。


 そう思い直したところで、絶対に一矢報いてやると心に決めたフレディは取りあえず考えることを止めて逃げることに専念した。そうと決まれば迷いはないと言わんばかりの素早さで見えてきた細い路地に入る。


 もちろん角を曲がる瞬間、ちらりと後ろを振り返って相手を睨め付けることだけは忘れない。今のところフレディにとっての諸悪の根源は、あの金ぴか男である。


 今に見ていろ。性悪女に魅了されて安請け合いしたことを後悔させてやると、遠くに見えたその姿をぎろりと睨めつけた。…きっとなにも伝わらなかったと思うけれど、フレディの心の中は幾ばくかすっきりした。


 フレディが入ったその通路はいくつかの裏路地に繋がっていた。入り組んでいるが間違わなければ大通りに出られる道だ。平民以外、それも身なりの綺麗な人間が通るのは少々危ないから絶対に使うなといろんな人に忠告されていたけれど今は構っていられない。


 あまり綺麗な場所ではないし、偶に物乞いがいたりする。下水に通じている場所もいくつかあって、衛生的にも気分的にも用がなければ利用したくない場所だが今その問題は優先度が低いので無視することにしたフレディは、うろ覚えの道を辿って大通りを目指した。


 広間のある大通りまで行けば、あの男たちも大したことは出来ないはずだ。そう思ったフレディは細い道から広い道へ、少し開けた場所を速度を落とさず駆け抜ける。うろ覚えの道をなんとか辿って大通りを目指した。


 角を曲がる時ちらりと横目に後ろを伺うと、姿が確認できたのは一人だった。多少無駄に右へ左へ曲がったおかげで多少は巻けたようだった。使わない人間は間違いなく迷うし、日頃から使っていても入り組んでいて迷いやすいのだ。国の人間でなければそれはなおさらだ。


(…! あそこだ…!)


 細く建物が密集する裏路地にはあまり差し込まない光が、目の前を真っ直ぐ延びている通路から差し込んでいた。あっちが開けている場所だと悟ったフレディは、うろ覚えだった自分の記憶を賞賛した。


 ぱっと飛び出た先の光の多さに、薄暗闇になれた目が痛みを訴えてぎゅっと瞑って光をやり過ごす。すぐには光の痛みになれなかったけれど、ここでじっとしているわけにもいかない。まぶしさに片目を眇めながらもここがどこか確認するために辺りを確認した。


 その場所は大通りではなかったけれど、自分の知っている場所だった。


 人通りは多くないけれど街の教会に続く道で、先ほどの宿屋のあった路地よりよっぽど人の目に晒される場所だった。後ろを少し確認した後、フレディは小走りで側にある角を曲がって裏路地から続く通路から身を隠した。


 一瞬教会に匿ってもらおうかと考えもしたが、それは駄目だと思った。まだ彼らがなにを目的に自分を付け狙っているのか分かっていない。必要以上に事を荒立てるのは得策ではないと思ったフレディは、少しの間思考に集中した。


 今のところの実害といえば、とっくに騎竜の昼食の時間を過ぎてしまっていることとフレディが不愉快な気分を味わったことくらいだ。おまけに前者はあの人たちの所為というよりも、諸悪の根源と、どこかをほっつき歩いているアリアディスのせいである。


 そして色々と考慮した結果、やっぱりアリアディスに話を通すのが先決だと思った。


 そうして自分が出てきた路地をしばらくじっと観察していても、あの男たちが出てくる気配はなかった。そうと決まれば見つかる前にさっさと帰ろうと下げていた腰を上げた時。


「――…フレディ…?」


「っ!」


 いきなり後ろから声をかけられて、びくりと大げさなほど肩を揺らしたフレディが驚きと同時にばっと後ろを振り返る。


 するとそこにいたのは一人の青年だった。


 勢いに驚いたのか、青年はフレディよりも驚愕した顔をしていた。見上げる位置にある青年の顔を窺ったフレディは、一瞬思考が止まった。その顔に覚えがなかったからだ。


「…えっと…?」


 さっきの男たちの中にはいなかった背格好の人に、心の中で安堵のため息をそっと零したフレディは疑問に首を傾げる。


 よくよく観察してみても、記憶にはない顔だった。


 自分が知らない人が自分の名前を知ってることなど、五万とあるのが貴族というものだ。彼の身なりからしてそれなりの家柄の人間かと思ったフレディは、そこを気にしたわけではなかった。どう切り返そうか迷ってしまったのは、その声が明らかに「知り合い」のていでかけられた声だったからだ。


 フレディの頭髪はこの国では珍しい色をしている。というか、おそらく自分しかいないのだろう。少なくとも後ろからでも自分だと周りが認識できる程度には、特異ものだということをフレディ自身も自覚していた。


 けれど彼は自分のことをフレディと呼んだ。男のようなこの愛称を親しい人間か家族しかそう呼ばないことを知っているフレディは、はて知り合いにこんな顔の人がいただろうとかと疑問したのだ。


 背はフレディより少し高いくらいで、男性としては小さい方だろう。身なりの良い風体は、有名商家の人間かあるいは下級貴族だろうと思わせた。


 サンディアルトを間近で見ていたらあれ以上の高貴さというのはそうそうお目にかかれないものだが、それを差し引いても目の前の青年にはそれほどの煌びやかさを感じなかった。貴族然としているわけではなく、少し身なりの良い平民と言われほうが納得できるような雰囲気だった。


 けれどそれは決して悪い意味ではなく、無意味に華美でも不遜でもない風体はとても優しい印象を受けて、あのいやらしく豪奢な金ぴか男を見た後でなくとも十二分に好感が持てるものだった。


(もしかして、下町の商店の誰かかな…?)


 だが、それにしては身なりが良すぎると思った。失礼にも程があるくらいにその顔を凝視しても、結局どこの誰かは分からなかったフレディは考えることを止めた。これ以上考えても分からないと思ったし、顔もだが纏う雰囲気が普通というか、なんというか。だからきっとどこかで会ったけれど、自分が忘れてしまっただけだと思った。


 しかしそう思うのはフレディだけで、事実、その青年はとても整った顔をしていた。市井の人間からもその辺の上流の人間からも十中八九、彼は二枚目だと認識されるだろう風体だった。多少線の細い印象を受けるがとても穏やかな空気を纏った青年だ。今の世はそういった男性も令嬢の間ではとても人気だし、引く手数多だろうことは誰もが分かることだった。


 しかし、サンディアルトやアリアディスのような頭一つも二つも飛び出している美貌に日々対面しているフレディは、自分の顔面認識力が人より少し上方向にずれていることに生まれてこの方気付いたことがなかった。


 兄姉であるゲイルもフレアもあの見た目なのだ。どういう見た目かというと、それはもう無礼を承知で二度見してしまうほどの美貌レベルだ。顔のパーツはどれを取っても均等に有るべき所に納められることが初めから決められているかのように、違和感がなくそこに収まっている。浅すぎず深すぎない顔の彫りも綺麗な陰影を生み、長いまつげに縁取られた瞳は憂いげに伏せると影を落とすが、柔らかく微笑まれると後光が差して見える。…らしい。


 どれもこれも、それがあの二人に対する世間一般の評価である。まるで女性を評するかのような表現だが、フレアだけでなくゲイルも同じような評価を受けているとフレディが知ったときは、あの兄の時折垣間見える黒い顔を育てたのは、こんな所にあるのかもしれないと気がついて少し同情した。だって最近では態とその評価を利用している節が見られるのだ。


 そういえば幼い頃よく遊んでいた親戚の家の娘であるアリーという少女も、どんなに過賞しても溢美いつびになどならないほどの美少女であった。


 そんな、言ってみれば生まれてからこれまで美形にばかり囲まれて育ったフレディが、まともな感覚を持っているはずがない。


 だからこそ彼女は自分の容姿にも無頓着なわけだけれど、おそらくそこが改善されることは一生ないだろう。周りが優れたものばかりだと、例え自分も他より優れていたとしてもなかなか認識はしづらいものだ。周りの優れたものが自分以上に優れていれば尚のこと。


 小さい頃一緒に過ごしていた祖母の、あの歯に衣着せぬ物言いや教え方もその一端を担っていたのかもしれないが、自身が優れていると認識しないということは、自尊心もそんなに強くはないということに他ならない。


 しかしそれが幸か不幸か、フレディの自己肯定力の低さをも無駄に増長していた。


 過度な努力をせずとも、いろんなことがある程度出来てしまうことも一つの要因だったのかもしれないが、それは言ってみても仕方の無いことだろう。


 でなければ、いくらなんでも赤の他人に謂われない貶しや罵倒をされれば怒りが湧くし、その言い分が理不尽であればあるほど報復心は膨らむものだ。けれどフレディは、劣化品だと言われようが豚箱がお似合いだと言われようが、そんな事頭の隅っこにも掠めなかった。


 いままで自分が体験してきたことが一貫していたせいもあったし、向けられる罵声も嘲笑も一貫していた。だから単純に、周りにとって自分という存在はそういうものかと認識しただけだった。要は素直だったのだ。


 二十年程生きてきてなお、そんな自分のことをあまりよく分かっていないフレディに代わって、僅かな時間の接触でフレディをそう称したサンディアルトは、きっと人を観察することが得意なのだろう。


 自尊心の高さ故、怒りに取り付かれて醜態をさらすことにならなくて済んだ事実に対しては、そこが低いということは間違いなくフレディにとって良いことだったと言える。


 しかしそこが低すぎると、他人の言葉を素直に信じられなくなるようだ。だからこの前、フレディの仕事力を褒めてくれている人がいると言われたときも、いまいち信じられなかったのだ。自分の行いを、行動を、自分自身で認められていないことに関して、なにを言われても本人は納得しない。少なくともフレディア・アストメリアとはそういう人間だった。


 そしておそらく、それで困るのは本人ではなく周りの人間だろう。


 そんなフレディだからこそ不思議に思ったのだ。こんな身なりの良い優しげな男性が、わざわざこうして自分などに声をかけるなんてことも無いだろう。もしや新手の詐欺だろうかという疑問が渦巻くも、努めて平静を装った。


 しかしどの方向から考えてもこの男性に見覚えもなければ、なぜそんなに驚いたような顔をされるのかも分からなかった。


 どうしようかと困っているフレディ以上に、きらびやかと言うにはほど遠い、それでも温柔な相貌の青年は、自分から声をかけたくせになにやら逡巡しているようなそぶりを見せていた。その様は困っているようにも、戸惑っているようにも見える。


 声をかけたはいいけれどその先を考えていなかったようなその反応に対して、先に一つの結論に至ったのはフレディの方だった。


「あの…、もしかして私なにかご不興を買いましたでしょうか?」


 もうそうとしか考えられなくて、困ったように眉尻を下げたフレディはそう言うしかなかった。


 もしかしてここは誰かの私有地だったのだろうか。だとしたら勝手に入り込んだ自分に非があると思ったフレディは、取りあえず謝ろうと思った。


「え…!? い、いや、そうではなくて…。その…」


 けれど青年はそうではないのだと否定した。


 フレディ以上に困ったように眉尻を下げた彼は、なんて言ったらいいか分からないといった様子で首の後ろを撫でた後、まるで癖のようにその手で耳たぶを擦った。


「……?」


 その様を見てフレディはあれ、と思った。それがどこかでよく見たことのあった仕草だったからだ。


 誰かがよくやっていた。気まずいときやどうしたらいいか分からないとき、あるいは嬉しさをごまかしたいときや照れくさいときなんかもそう、いつも首の後ろを数回撫でた後、耳を擦っていた。それはきっと彼の癖だったのだろう。


(…誰だったっけ…)


 とてもよく、顔を合わせていた人だった気がする。けれど、それもある日を堺にぱったりと会わなくなった。でもなにが理由でそうなったのか思い出せない。


 それが誰だったのか、朧気にさえ思い出せなくてもう一度声をかけようとしたとき、いきなり視界が遮られた。


「きゃあっ! …っな、なに!?」


 バサッと音を立ててなにかを頭から被せられたと思ったらそのまま後ろに引っ張られて、息が詰まった。被せられたそれを取ろうと頭に伸ばした手に当たった感触で紙袋だと認識したフレディは、引っ張って破こうと試みた。


 けれど首の後ろを引っ張られて上手く掴めないでいると、素早く後ろから伸びてきた手に片腕を取られた。


 肘の辺りを握られて後ろに引っ張られると思うように動けなくなる。


「…っこ、の…っ放して!」


 唯一思うように動く足を後ろに蹴り出すと、ガツッと踵に何かが当たった。


「ッつ――!」


 重たい衝撃はフレディにも反動を与えたけれど、綺麗に当たるべく所に当たると意外と痛くないのが加害者側である。素手で無いしかも足で、踵だったのが功を奏したようだった。音と共に押さえられていた腕から手が離れた瞬間、半分身体を捻ってその身体を力一杯押しやる。するといきなりの衝撃に対応できなかった男はそのまま尻餅をついた。


 痛みに呻いた男が離れたと感じた瞬間、今までに無いくらいの俊敏さで動いたフレディは頭に被せられた紙袋をはぎ取った。


 奇妙な匂いがして不快だったことがその動きの素早さを助長させていたのだが、ぱっと視界が開けた途端にフレディは叫んだ。


「っ、取りあえず逃げて! 早くっ」


 思いつきの反撃が綺麗にヒットしたということは、重たい感触が踵に残っていることから十分理解できた。虚を突かれたように反応が鈍かった男が素直に押しやられた上に尻餅をついた時点で、その衝撃は相当なものだったのだのだろう。


「で、でも…」


 いきなりのことで戸惑っているらしい青年に向かって、早くとせっついたフレディは彼の狼狽えたような反応を見る前に、まず呻きが聞こえる背後を振り返った。するとそこにいた男は、臑を押さえながらも立ち上がろうとしていた。


 それを認識したフレディははぎ取ったときと同じ勢いで、自身に被せられていた紙袋を男の頭にバサリと両手で被せる。


「…っテメェ…、っ放せ!!」


 ぐっと力を込めて袋の底が頭に付くほど思いっきり押さえつけると、くぐもった声が紙袋越しに発せられた。


 しかし自分の身を守ると同時に、見知らぬ人間をこれ以上巻き込まないことしか頭に無いフレディに容赦の言葉は存在しない。側にあった、積み重ねられた四角い箱の側にバケツを見つけて、ひったくるように持ち上げる。


 軽く薄い青銅のような板で作られた円形のそれは、掃除用のものなのかあまり綺麗とは言えない見た目だったけれど、特に気にせず乱暴にその頭に被し落とせばバコンと音を反響させて僅かに延伸した。


 立て続けに襲われた衝撃に動揺したのか将又、臑がまだ痛いのか知らないが男が激しい抵抗を見せることはなかった。この隙にと思ったフレディは、未だぽかんとしていた青年に近寄る。


「なにやってるの、ぼけっとしてないで早くっ」


 良いながら青年の腕を引っ張って大通りの方へ押しやる。


 するとはっとして気を持ち直したのか、腕を掴んでいるフレディの手首をもう片方の手で掴むと、不安そうに眉を寄せながら青年は口を開いた。


「君も…っ」


「当たり前でしょ! だから早く行ってっ」


 暗に先に行くのはお前だと言わんばかりにぐいぐいと押しやってそう言えば、安心したのか青年の身体から変な抵抗が消えていった。


 そのことにほっとして分かったら早く行けと、初対面にもかかわらず遠慮を無くした言葉でせっついたフレディは後ろばかり気にしていて、その他への注意が疎かになっていた。


「――っ!」


 けれど自分が出てきた細い通路の前を通るとき、ふいに何か身の危険を感じて咄嗟にその場にしゃがみ込むと、ヒュッと音を立てて頭上を何かが横切った。


 自分のその咄嗟の行動に自分で驚いているところに、なぜか的中したらしいその予感に一瞬思考が停止した。


「え…」


 なんだ今のは、と何かが飛んでいった方をしゃがみ込んだまま見た時、ちょうどその何かが地面にぶつかって落ちる瞬間だった。コン、と重たいのか軽いのか分からない音と共に地面に転がったそれを見てフレディは思わず真顔になる。


 少し離れたところに落ちたそれは、ちょっと大きめの石だった。石にしては音が妙に軽かったから軽石だろうか。しかしどちらにしろ当たっていたら危ないではないか。


 それはおそらく、結構な勢いで飛んできたはずだ。なんせ投擲への危機管理意識の何たるかも知らないフレディが無意識にも身の危険を感じたのだし、風を切った音が確かに耳に残っている。


「…ちょっと。当たり所によっては死ぬんじゃない? いまの」


 さすがに腹が立ったフレディは、その石が飛んできた方向に強い視線を向けて声をかける。人の姿らしきものは見えないけれど、そこにいるのは分かっていた。


「――大丈夫だよ。当たらないことは分かってたから」


 そういう問題ではない。人に向かってそんなものを投げることに対して憤っているのだ。


 そう言ってやりたかったけれど、聞こえてきたのが想像とは全く違う声音だった所為で虚を突かれたフレディは言葉を失った。


 子供みたいに高い声を発して、路地の影から出てきたその姿を認識して僅かに目を瞠る。


「というか、ちゃんと当たらないように投げたよ? まさか避けるとは思わなかったけど」


 そう言いながら姿を見せたのは想像どおり、子供だった。


 小さすぎず大きすぎない身体のその少年は、フレディに向かって楽しそうにクスクス笑っている。その仕草はこんな状況でなかったらとても愛らしいと思えるほど、陽気で軽やかだった。


 けれど絶対に好意的ではない空気を纏っていることは、その目を見て瞬時に理解した。


 すっぽりと身体全体を覆うほどの黒灰色の法衣ローブを纏ったその少年は、真っ黒の髪に赤と青の瞳を持っていた。虹彩異色症オッドアイのその瞳は楽しげに弧を描き、まるで値踏みをするようにフレディを頭のてっぺんから足の先まで視線を流すと、その長すぎる前髪から覗く瞳に僅かに狂喜を乗せた。


 それを見たフレディの背筋にひやりと冷たいものが這い上がる。


 本能的にさっきの男よりもずっと危ないヤツだと悟った。じっと目の前の少年を見据えたフレディはなによりも先にこの青年をこの場から逃がさなければと思ったくらいに、この事態は自分が原因なのだと理解した。


 それを一瞬で分かってしまうくらいに、目の前の少年から向けられる目には拘引の意思がはっきりと見て取れた。


 早くと急く気持ちを推して、立ち止まってしゃがみ込んだフレディを支えてくれていた青年の腕を剥がして、有無を言わさない勢いで強く押しやる。


「…先に行って。早く」


「え? で、でも…」


「いいから。約束に遅れるわ(・・・・・・・)


「え?」


 ぐいぐい腕を押しやったけれど、青年は空気が読めないのか態となのか一向に動こうとしなかった。


 穏便にここから立ち去ってもらうために、適当な理由を提示してじっとその目を見つめると意図を汲んでくれたのか躊躇いながらも僅かに身を引いたのが分かった。


 そう、そのまま静かに立ち去って。


 なにも知らないでいれば、この人に害は及ばない。きっと大事にはならない。


 そこに一縷の望みを掛けて、気付けることが何も無い内に立ち去れと視線に込めて訴えると、今度はきちんと伝わったようだった。


 けれど困ったように眉を寄せてそれでも逡巡する青年の態度は、それでいいのか迷っていますという心境を全身で物語っていた。その様にフレディはにこりと笑って見せる。


「大丈夫です。送ってもらわなくても、きちんと家まで帰れますから。…なんなら彼に付き添ってもらうわ」


「…――っ」


 少年を横目にそう微笑みながらも、早くと急く気持ちがフレディの中で大きくなる。


 確実にさっきよりも危ない状態になってしまったようなので早くここから去って欲しいのに、なぜそんなにこの世の終わりのような絶望感を顔に貼り付けているのか。それはフレディの方が持ちたい表情のはずである。


 それでも押しやっていたその腕を促すようにぎゅっと掴むと、青年は我に返ったように少しだけびくりと肩を震わせた。少しして意を決したのか、わかったと小さく頷いて足早にこの場を去って行った。


 それを見てほっとしたフレディは、突如急激に視界がぼやけて意識が薄れていく自身の変調をまるで人事のように感じていた。


 何か重たいものにのし掛かられているような気配に消えなくて、なんだか寒気がした。


(……? なんだろ、変な匂いが…鼻に、ついて……)


 ふわふわ、くらくらする。


 揺れる視界に、遠くから声が聞こえた気がした。というより上手く聞こえなかった。


「君、昨日からずいぶんと災難なのに人の心配を優先するなんて、余裕だね」


 ふらつく視界に、何かあっただろうかと記憶を手繰ろうとしたときに落ちてきたその言葉を最後に、フレディの視界は暗転した。






*****





 

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