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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その7.存在の証明に必要なもの
38/45

01











 ――それはどこか遠くから、まるで山彦のように聞こえてきた。


 まるで流れる景色を見ているような感覚に、ああこれは夢なんだと理解する。夢だと迷いなく思ったのは、目の前にあるはずのないものが見えていたからだ。


 それは小さな子供の姿の自分と、今は亡き祖母の姿だった。


 見えるのは、広大な草原の中に大きくもなく小さくもない屋敷。壮大な場所から見たらぽつんとあるその屋敷はとても小さく感じるけれど、フレディはこうして見るよりもずっと大きくて広い屋敷だということを知っていた。


 その感覚に既視感を覚えたフレディは、少し遅れてその場所は祖母が住んでいた辺境にあるアストメリア家の屋敷だと気が付いた。近くには小さな湖があって、空気の綺麗なそこには自然と生き物が沢山ある。自然以外何も無いような所だけれど、フレディはこの場所が好きだった。


 幼い頃自分は確かに、祖母と一緒にそこで生活をしていたのだ。


 ふと目の前の光景に意識を向けると、イブニングドレスというにはあまりにも拙い洋服を着た幼いフレディが、ぱたぱたと足音が聞こえそうな勢いで庭外の椅子に座る老婆に駆け寄っているところだった。


『おばあちゃん! みて! こいつ、すごく生きがいいわ!』


 ほらほら見て、と両手で掲げて見せているのは元気よく動いている魚だった。


 湖で今捕まえたばかりなのか、誇らしげに満面の笑みを浮かべているのは見紛うことなく昔のフレディである。


 そしてその小さなフレディに掲げられた魚を見て老婆――祖母は、鬼のような形相で怒りを露わにした。


『お祖母様と呼びなって言っただろう!? 一体いつになったら覚えるんだい、この脳足らずの子は! …ったく、猿じゃないんだからいい加減素手で生き物を捕まえるのはよしなさい』


『どうして?』


『どうして? じゃありません。可愛い顔して首を傾げてみても駄目です。淑女は…いえ、女の子は――いえ、人間は素手で魚を捕まえるものではありません。そんな原人時代は疾うに過ぎました。竿を使いなさい』


『さおなんか使ったらおさかなさん、血が出てしまうわ。かわいそうよ』


『今現在お前の手で首を絞めているそれだってかわいそうに見えるが』


『でも血は出ていません』


『言い訳をしない! 淑女たるもの、慌てず騒がず、楚々として過ごすものです。言い訳など以ての外! なのにお前ときたら、素手で魚を捕まえるわ猪を正面から受け止めようと構えるわ……はあ』


 ちらりとその手の中の生きた魚を一瞥して付いたため息と共に、痛い頭を押さえる祖母は苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。それを見た幼いフレディははっとする。


『おばあちゃん、どうしたの?』


『…頭が痛いのです』


『たいへん! びょうき!?』


『……ええ、この病気はおそらく治りません』


『そんな…!』


 大好きな祖母にもしものことがあったらと思ったら絶望した。どうしようと青ざめているフレディに、祖母は深く、脳足らずと称する孫娘の頭の芯にすり込むように両の肩に手を置き、ゆっくりと発言する。


『よいか、フレディア。お前の父親から、お前を猿から人間に進化させるように言われている私には責任があります。いつまでも小猿のように走り回っていないで、きちんとドレスを着て生活しなさい。礼節を学び、人の世界で生きていけるようになりなさい』


 一体なぜ孫娘に、こんな原人に教えるような初歩を教えないといけないのか分からないと言ったように神妙な顔で諭す祖母を前に、大人のフレディは夢の中ながら陳謝した。そのなんとも言えない表情に、至らない孫娘で済みませんと膝を地面に突いて頭を垂れたくなってしまった。


 祖母も別に、本当に一からすり込まなければフレディが人間の世界で生きていけないと思っていたわけではないだろう。ただ当時のフレディは貴族社会というものをよく分かっていなかった。子供だったし、自分の好きなことに忠実に生きていたからだ。


 この頃はまだ姉に対して劣等感など持ってはおらず、周りの視線も言葉に込められていた意味も何も分かってはいなかった。只単純に屋敷の裏に住んでいる小さな生き物たちの方が、自分には好ましかったからこっそり抜け出して彼らと遊んでいただけだ。


 おそらく家族にバレていないと思っていたのは自分だけで、例え親が見ていなくとも庭師や使用人たちはおかしいと思っていたはずだ。少し目を光らせればどこに消えているかなど明白だったろう。


 娘がコソコソと足を運んでいるのがリスや猪の元にだなんて、知ったときの親の気持ちはどんなものだっただろうか。貴族の家に生まれた女がなんたることだと頭を抱えたに違いない。


 でなければわざわざフレディを、祖母の暮らす静かな別邸へ住まわせるわけがない。その上恥を忍んでとはいえ、猿から人へなどと頼み込むなど矜持が許さないはずだ。


 おそらくこのまま成長すれば純真どころか、阿呆の極みにしかならないと悟ったのだろう。それでは伯爵家(この家)の人間としてはだめだと、あの父は思ったに違いない。


 フレディとしては、祖母の元で過ごすことに不満などなかった。大好きな祖母と一緒にいられるならそれ以上のことはないと、喜んで首を縦に振ったくらいだ。


 何でもそつなくこなせる祖母は傍から見ても多くの人に一目置かれており、夫に先立たれ未亡となった後でも色々な事に手を尽くし人に慕われていた。


 厳しいが故に同じだけ敵も多かったようだが、それでもみんなそんな祖母を慕っていた。その誰もが厳しくも優しい人だということをちゃんとわかっていたからだろう。


 フレディだってそうだ。祖母に出来損ないだと言葉の鞭を打たれても、本当の意味で蔑んでいるわけではないと知っている。それがフレディにとってはとても大切だった。


 この頃からフレディは他人の家庭教師が苦手だった。いい人に当たらなかった運の悪さもあったのかもしれないが、本気の蔑称を受けることもままあったせいで大人というものが苦手だったのだ。それもあって家にいたくなかったから、こっそり抜け出して森にばかり遊びに行っていた。


 それが余計に蔑称を浴びる原因になっていたのだが、そんな事知らない当時のフレディに、両親がいろんな意味で娘の将来を憂いたのは当然といえば当然かもしれなかった。


『なんのためにここに滞在しているのか、お前だって分かっていないわけではないだろう? お前がきちんと勉強をしていないとは言いません。…むしろ、そんな小猿のように駆けずり回っている姿が想像できないほど、お前は何事においても優秀だと思っています。ですが、だからといって遊ぶときは羽目を外していい理由にはなりません』


『…はい…』


『お前はこれから貴族の世界で生きていくのです。それはもう仕方の無いことだ。その中ですこしでもお前が生きやすいように教えることしか、私にしてやれることはない。自分がつらい思いをしないように、今はきちんと、学べることは全て盗み取るつもりで学びなさい』


『…はい』


 しゅんと肩を落として小さく返事をした幼いフレディは、話を聞いていたのかいないのか次の瞬間きりっと目尻を光らせて進言した。


『わたし、こんばんはおさかな料理がいいと思うの』


『…お前、私の話を聞いてなかったのかい? だいたい、一匹じゃ到底足らないだろう』


 祖母のため息と共にはき出された言葉をはき違えたフレディ(子供)は、嬉しそうに目をきらきらさせて言う。


『わかったわ、じゃあもっととってくる!』


『返してこいと言ったのだ。分かれ』


 この鳥頭! と本気で怒られても、小さなフレディは気にしなかった。


『いいかい。意味の無い殺生はただの殺しとおんなじだ。お前は私たち人間の身勝手でなんでもかんでも搾取していいと思っているのかい?』


『…さくしゅってなに?』


 先ほどとは打って変わって真剣な表情の祖母に、フレディはこれは真面目な話なのだと悟った。煌めかせていた顔を引っ込めて、真面目に聞き返す。


 自分の浅はかな行動を怒られていることだけは肌で感じた幼いフレディは、少しだけ声を落としながら分からない部分を質問する。分からないことを分からないままにすることの方が怒られると思っていたからだが、大事なことをきちんと身につけたいと思う気持ちも確かにあった。


『他者から身勝手な理由で奪い取ることだ。お前は今、腹が空いているのか?』


『すいてない』


『じゃあ、そいつは無駄死にするだけになるな』


『むだじゃないわ。晩ご飯になるもの』


『夕飯は、屋敷の料理人が既に作ってくれている。それに加えて、その魚も残さず食べられるのか?』


『…それは…』


『生きて自活するものだけが世の生き物ではない。その辺の草木を意味なく伐採することだって、立派な搾取といえる。覚えておきな』


『…はい』


 しっかりと返事をするフレディの顔は、既に教えを請う人間の顔だった。手の中の魚は未だに跳ねていたが少し弱々しくなっていた。それを認識して、早くこの子を池に帰してあげようと思った。


 それを見た祖母は優しく目を細めて、俯く小さな頭を撫でる。


『…いい子だ。フレディ、お前は賢い。それに他人のことを考えてやれる優しい子だ。その気持ち、ずっと忘れるな』


 頭を撫でられている幼いフレディは、少しくすぐったそうに、でも嬉しさを堪えきれないように頬を緩めていた。


 そのときふいに大きな影が二人を覆った。雲のように過ぎ去るその影は雲よりもずっと大きく速い速度をもって、フレディたちの上を通過していく。大きな風が吹き抜けて、草花が一斉に音を奏でる。


 ぶわりと巻き上がる風にぎゅっと目を瞑ったフレディは、次いで空を見上げた。そこには想像に違わない姿が見て取れた。


 空を優雅に飛ぶ竜の姿。フレディがこの場所が好きな一番の理由だった。


『――フレディ、よーく覚えておいで。この国には神様がいるんだ。自然を守ってくれる優しい神様だよ。その神様がいてくださるから、この国は色々なものに恵まれている』


 その悠々と空を泳ぐ姿を同じように目で追いながら、祖母は言った。


 この辺境の地ではたまに飛竜が空を飛んでいるところを見かけるのだが、その姿がとても優雅で雄々しくてフレディはそんな竜の姿を見るのがいつの間にか一番の楽しみになっていた。


 今日は運が良い。そう思っているところに落ちてきた祖母の言葉に、フレディは首を傾げる。


『かみさまがいるの? どこに?』


『…ここにはいない。見えないところに行ってしまった』


 そういう祖母の顔はとても悲しそうに見えたし、逢いたいと言っているようにも見えた。幼いフレディは何も分かっていないから、何も考えていないからこんな事が言えたのかもしれない。


『なら、あいにいけばいいのに』


 会いたいなら会いに行けばいい。そう思って口にした幼いフレディの言葉に、祖母は少しだけ目を瞠った。けれどその目はすぐに悲しそうな色に染まってしまう。


 口元には笑みが浮かんでいるけれど、それは既にどうしようもない事実を憂えいているようにも見えた。


『そうだね、お前の言うとおりだ。…でも、私には出来なかった』


『…どうして? おこられたの?』


 怒られてしまったなら会いには行きづらい。会えない理由がそんなことくらいしか思いつかなかったフレディは、しゅんと眉尻を下げて肩を落とした。そんなフレディに、祖母はしょうのない子だというように優しく微笑む。


『…いいや。怒らなかった。いや、ほんとうは怒っていたのかもしれないね…。私は傷ついた彼の言葉を聞けるたった一人だったのに、私は臆病だったからそこに一歩を踏み出せなかった。きっと、私の言葉に…行動に、幻滅しただろう。…それでも神様は優しいから、私たちを見捨てなかった。律儀にも遠い昔の約束を守ってくれているのさ』


 そういう祖母の手はとても慈しみに満ちて優しかったけれど、その顔はあまりにも悲しそうで寂しそうで、その顔を見た幼いフレディも泣きそうに顔を歪めてしまう。


 このまま大好きな祖母がどこかに行ってしまうんじゃないかと思ってしまって、急に怖くなった。どこにも行って欲しくなくて、まだ自分に興味を持っていて欲しくて、何か言わないとと思うのに、何を言っていいか分からなかった。


 傷ついている人にどう声をかけたらいいのか、フレディは分からなかった。


『やくそく? だれか、かみさまとやくそくしたの?』


 泣きそうに顔を歪めるしか出来ないフレディを見て、祖母は悄然と微笑んだ。その手は変わらず優しさを持ってフレディの頭を撫でてくれているけれど、心はちっとも晴れなかった。


『…お前のように、怖がらずに、たとえ嫌われていたんだとしても一歩を踏み出していれば良かったと、今では後悔しているよ』


 なんにでも強気に勝ち気な祖母が後ろ向きな言葉を口にすることなど初めてで、幼いフレディの不安は加速するばかりだった。自身が完璧だと思っている人も、そうして悩んで失敗することがあるのかということが余計に心に不安を植え付けた。


 けれどそれは違うと、傍から見ている自分は祖母の言葉を否定した。


 嫌われていても前に進む気概を本当にフレディが持っているのならば、今の自分はこんなに形容しがたい情けなさを感じてはいなかっただろう。


 他人に対していつもなにも期待していないと言うくせに、枠に嵌められて下される勝手な評価をいとうのだって、諦めて逃げているのと大して変わらないと気付いたからだ。


 それが自分だと、きちんと自分で認められているのならば堂々としていれば良い。


 本当に期待していないのなら、何を言われても何をされても本当は気にならないはずだ。


「……」


 こんなにもどかしい気持ちになるのは、きっと心のどこかに認めてもらいたいという気持ちがあるからに他ならない。


 だったら自分は、いったい誰に何を認めてもらいたいんだろうか。


『――…いいかい? フレディ。決して、恵まれていることに胡坐をかいて、利己の身勝手で生きているものを搾取してはいけないよ。神様の疲れた心が癒えるまで…、いいや、いつまでも安心していてもらえるように。騎竜たちを大事にしておいで――』








 ――遠のく祖母の声に、ふと意識が浮上した。


 ゆっくりと開いた目を瞬かせたが、一瞬ここがどこか分からなかったフレディは、無意識に夢の中で祖母が触れてくれていた場所に手を置いた。


 まるで祖母の手を追いかけるかのようなその動作も、触れてみたところで感慨も何も無い。


「………」


 幼いフレディの頭を優しく撫でながら言った祖母の声が、寝起きの耳に強く残っていた。


 寝起きの目をしばたたかせながらフレディは、どうしていままで忘れてしまっていたんだろうと愕然とした。自分は祖母といる時間が大好きだったのに。


 思い出してしまえば、忘れていたことが嘘のように鮮明に記憶にあった。祖母の顔も、教えてもらったことも、話してくれたその物語も。


 いつも祖母はフレディに不思議な話を聞かせてくれていた。自分はそんな祖母の話を聞くのが好きだった。


 確かに勉強は億劫だったけれど、頑張った後にはいつもご褒美のように聞かせてくれるその話が大好きで、フレディは勉強を疎かにしたことはなかった。


 祖母のしてくれる不思議な話は御伽噺のようで、それでも時折混ざる現実味を帯びた言葉が、その表情かおが、まるで本当の出来事のように聞こえていた。祖母の話を聞いていると、自分がその御伽噺の世界に入り込んだみたいな気持ちになれていつも楽しかった。


 幼かったフレディはその言葉の意味なんてほとんど理解していなかったけれど、それでも分からないなりに大事なことを言われているのだと思ったからその憂えた祖母の言葉に「うん、わかった!」と力一杯返事をしたのは覚えている。


 祖母にはそんなつもりはなかったのだろうけれど、いつも不思議な目をしていた祖母はまるで大人になったフレディの今を分かっていたかのように、騎竜の話をたくさんしてくれていたような気がする。


 だから会ったこともないのに騎竜たちを勝手に友達みたいに思っていたのかも、と初めの頃を思い出して少しおかしかった。今となってはそれも、単純に洗脳されていただけかもしれないと思えるが。


 でも、神様とはいったい何のことを言っていたのだろうか。幼い頃は何も分かってなかったし深く気にしなかったけれど、単なる比喩とも違うと今なら分かる。


 祖母の言う神様は、なんというか、皆が言うような象徴的なものではなく、実在する何かをそう呼んでいたように思う。


 その神様の話をするとき、祖母は少しだけ遠い目をしていたから。


 懐かしい何かを思い出すような、なくした寂しさを追いかけるような、そんな目だった気がする。


(…お祖母様は、私に何が言いたかったんだろう)


 ――彼とは誰のことだったのか。


 祖母に言われたからという訳ではないが、今のフレディは、あの頃祖母が言っていたように騎竜に関わって生きている。今では心から大切にしたいと思っているし、穏やかに暮らして欲しいと思っている。そのために自分に出来ることがあるなら、いくらでも労を惜しまない。


 ――でも、それでは足りない気がした。…いや、足りないではなくて何かが少しだけ違う気がする。


 でもそれがなんなのか分からない。もう少しで掴めそうな気もするのに、永遠に手が届きそうにない気もする。


 けれど寝起きの頭で考え見ても纏まるものも纏まらなかった。


 もどかしい気持ちに蓋をして、フレディは重たい頭を持ち上げた。











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