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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その6.それは、突然に。
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『――友達になってくれるかもしれないの』


 今まで見た中で一番嬉しそうな顔で言われた言葉が、いつまでも耳から離れてくれなかった。






『……』


 パタンと小さく音を立てて閉まった扉の音を聞いたハクは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。


 目を瞑っていても一向に眠気は訪れなくて、ただじっとしているのも苦痛だった。それというのも、いつまでも耳について離れない彼女の言葉が衝撃的すぎたからだ。


 率直な感想を言うと、嬉しかった。疎まれているわけでも煙たがられているわけでもないと分かって、安堵したのは本当だ。


 友達になるのを嬉しいと思ってくれると分かって嬉しかった。友人だって充分親しい間柄だと言えるだろう。


 でも、サンディアルトが欲しいのはそれではなかった。


 友人では嫌だ。そんなものでは満足できない。


 自分以外のオスにも同じように接しているのかと思うだけで腹の底が沸騰しそうなほど憤るのに、友愛で済まされては溜まらなかった。


 そう思うハクの脳裏には先ほどのことが浮かんでいた。


 ふわふわと暖かな空間は彼女の匂いで一杯で、その居心地の良さに浸っていたところ急に落とされた爆弾に思考どころか息も止まるかと思った。それなのに思わず縋り付いた腕はいつもと同じように温かくて、言葉にしがたい気持ちに苛まれた。


 いつも持ち上げられているから、彼女の身体が柔らかい事なんか知っている。重たい物を平然と運んでいても、肌が日に焼けることを気にしていなくても女性のそれであることに変わりない。


 彼女はあまりその辺のことに頓着が無いようだけれど、生き物を触るときにはもう少し気をつけた方がいいと思う。


 特に竜は頭がいい。言語を口に出来るものが存在するのかどうかは知らないが、理解は十分に出来ているのだ。きっと自分が感じた彼女の匂いも感触も、みんな分かっている。人と感覚が違うから、そこに欲望を覚えるかどうかの違いだけで理解して(わかって)いないわけじゃない。


 優しい匂いに、彼女が信頼に足る『いい人間』だと分かるから擦り寄るのだ。だからどの竜も彼女の手を傷つけないし、拒まない。


 口をきかないから人に伝わっていないだけだと分かっているハクは、だからいつも稚竜を当たり前みたいに抱き上げている彼女に対して面白くない気持ちになるのだ。


(…まずいな。最近竜の思考に寄りきってるのか? 同じ高さで競い合ってどうする…)


 あまりの狭量さに気付いてしまえば、情けなさしか感じられず呆れるしかなかった。


 完全に別物になれない以上、二つの思考が切り離されるわけじゃない。ただ不思議と人の気持ちも分かるけど、竜たちの気持ちも分かる。ハクが持っているのは、それを理解している三人目の自分が二つの間で傍観しているような、そんな奇妙な感覚だった。


 人間だと一つに連なる複数の思考を気にしがちになるが、竜の思考は至極単純だからその狭間で揺れることはない。


 好きか嫌いか、それだけだ。ただそれを賢く嗅ぎ分けられるだけに過ぎなかった。


 嗅覚と思考がひどく直結で、好みに関することで一番に反応を見せるのはいつも嗅覚だった。


 そして無駄な思考が無いからそれを素直に受け入れられるし表現する。そう考えると、この生き物はとても賢い進化を遂げたのだろうと思う。理解する脳を残して、不必要な感情を持たない。それはある意味羨ましいとさえ思ってしまうほどだった。


 人のように煩わしいものに捕らわれることもなく、小難しく考えることもない。鼻がきくから偽善に惑わされることもないし、人の世の営みなどとは無関係だから何かを建前る必要もない。


 先ほど触れた彼女の腕の暖かさも肌の柔らかさも、いい匂いに浸ればただただ心地いいだけでそれ以上もそれ以下もないのだ。けれど人の思考が割って入るハクにとってはそういうわけにもいかなかった。なまじ五感が人より鋭いせいで、時に余計なものを拾うのがいただけない。


 便利なようで不便だなと零したため息は、明かりのない部屋に静かに溶けていった。


 フレディがあまりにもハクを信用して手を伸ばすから、なんだか騙しているような罪悪感がいつも付きまとっていた。それに申し訳なさを覚えるなら初めからこんな事はしていないが、さすがに自分も一緒に風呂に入ると言われたときはどうしようかと戸惑った。


 けれどよくよく考えると、その遠慮は本当に必要なのだろうかと思った。べつに聖人君子ではあるまいし、空気も冷たい空を飛んで戻ってきたから身体だって冷えていた。別に悪いことをしているわけではないのだし、と思うとそれでもいい気がした。


 それを免罪符に、降って湧いた幸運だと思い上がったから罰が当たったのかもしれない。


 その心地いい感触を存分に堪能しようと思っていたハクだったけれど、彼女の落とした爆弾の威力が大きすぎて折角の時間も大して記憶に残っていなかった。


 不謹慎にももったいないと惜しんだ気持ちは認めるが、それ以上に自分の懸想は微塵も彼女に届いていなかったという事実の方に打ちのめされてしまった。


 確かにのらりくらりと遠回しに声をかけていたのは事実だが、そこにはもちろんこちらの言い分もあるわけで今はまだ結論を付けないで欲しかった。


 遠回しの態度でも彼女の心に届いていると、ここ最近のフレディの態度を見て思っていたのだがそれさえも思い上がりだったというのだろうか。


 もしそれが事実ならばしばらく立ち直れないかもしれないと、ハク――サンディアルトはまたしても深いため息を零した。


 いや、しかし考えようによればこれはプラスに捉えることも出来るはずだ。


 サンディアルトが明確な言葉を持ってフレディに求愛しないのは、今の状態では自分のこの気持ちは十分の一も彼女に届かないと分かっていたからだ。現に彼女はサンディアルトのことを「友達なら可能」だと言った。


 下手をすると逃げられるかもしれないのに、それを推して自身の気持ちを口にするなどという間抜けな手は絶対に使わない。ただ単純に、想いを口にして満足できる程度の域など疾うに超えているのだから。


 欲しいのは今だけの充足ではなく、これから先も共にいられる関係だった。


 あの柔らかくて白い肌に無断で触れていいのは自分だけ。欲しいのはそれが許される権利だ。


 誰よりも近くにいていい権利。一緒に笑いあって喧嘩もして、キスをして、抱きしめて眠っていいその距離だ。


 嫌われていないと分かれば今以上に距離を詰めても許される気がしているので、それはそれでいい。顔を合わせることも避けられるような事態にならないのならば、もっと水を向ける方法などいくらでもあるのだ。


 すこしだけ挫けそうになった心をそう叱咤したサンディアルトは、白竜の姿のままフンっと鼻息を零した。


 だいたいどこをどう考えたらあんな解釈が出来るのか、全くもって理解不能だ。あの場で詰め寄れるものならやっていたくらいだった。


 けれど簡単に信用できないという彼女の言い分もサンディアルトには理解できるし、伯爵家の人間として正しい姿勢だろう。ましてや今まで見向きもしなかったのに、今更何を言うんだと思われても当然だと納得している。


 大して話したこともない人間にいきなり愛を請われても、困るのは誰だって同じこと。だからこそ貴族には社交界というものが存在しているのだし、何かあるのならばまず執るべき手段はそこで知り合うことだろう。


 そのための手段と場所があるのならもっと簡単なのだけどと、サンディアルトはため息をつきたくなった。如何せん歯車がうまく合わなかったせいか、その場所では彼女とは知り合いにすらなれなかったのだ。


 まして知り合った彼女は、懐きの悪い猫以上に警戒心が強かった。容易に他人を信用しないのは賢い人間の証拠だが、彼女のはそれとは少し違うようにサンディアルトは感じていた。


 ――他人を信用しない、というよりは。


 彼女の態度は、まるで「そんなことは絶対にない」と自分に暗示ているような気さえしてくるのだ。


 暗示。そう、その言葉が一番しっくりきた。


 サンディアルトがフレディに感じている違和感は、まさしくそれだった。


 彼女は他人を信用しないわけじゃない。人の話はよく聞くし、新しいことを教えればきちんと受け止めて、自分のものにする素直さだって持っている。


 初めは確かに警戒しかしていなかったが、接する時間が増えれば増えるだけその頑なだった態度が柔らかくなっていくのに気付くのは容易だった。


 それを感じ取ったときはまるで懐かせようと餌を与え続けた猫が、ふと自らを認識して寄ってきてくれた時のような欣快を覚えたものだ。


 人の考えにも正しいと思ったものにはきちんと頷くし、自分が悪いと思ったら改める。それは嫌いな人間に対してもそうであるようで、あの唐変木のイーサンの言葉も事実であるならきちんと受け止めていたくらいだ。


 極めて公正な物の見方をする彼女は、他人の行動に対してその人の人となりをきちんと見極めることが出来る人間だということが、この短い間の逢瀬でもサンディアルトにはよく分かった。


 そしてなによりサンディアルトが人として信頼の置ける人間だと認識したからこそ、彼女は自らの大事な場所にも足を踏み入れることを認めてくれたのだ。


 そんな彼女が唯一、どんな意見もどんな言葉も受け入れずはね除けるのは、自身に向けられた親愛の情だけだった。


 それに気付いたのは彼女と一緒に市場を回ったあの時だった。


 初めてその光景を目にしたサンディアルトでさえ気付いたくらいに疑いようもなく、多くの人に慕われていたというのに彼女はまるで取り合っていなかった。


 というよりは、おそらく本気で気付いていないのだろう。


 何も知らない深窓の無垢な令嬢が首を傾げるのとは訳が違う。まるで理解することさえ拒絶しているかのような空気を感じた。


 いくら純粋な令嬢でも、一度言われれば理解するし目にすれば恥じらいながらも受け入れるだろう。それは別に自惚れとか自信過剰というのとは違う、きちんと認識して理解をするだけの話だ。


 彼女には認識と理解(それ)がないのだ。


 それが意識的なものなのかどうなのかの判断は難しいが、見る限りではおそらく本人は気付いていない。ともすれば気付くことすら無意識に避けているのかもしれないあの態度は、ある意味奇妙でなぜか納得もした。


『……』


 “あの方”は彼女を自分の道を自分で決められる強い女性ひとだと言ったけれど、おそらくそうではないのだ。


 ――きっと本当は、彼女はもっとずっと繊細な人なのだろう。そう見える殻で自分を守らなければ、しゃんと立っていられないくらいに。


 だからこそサンディアルトは、フレディに安心して笑っていられる場所を作ってあげたいと思った。それが自分の腕の中なら、これ以上の欣幸はない。


 ならば、このままではいけないということは重々分かっていた。こうして毎日彼女の近くで思いのまま生活するのは楽しいけれど、それに浸るのはそろそろお終いにする必要がありそうだ。


 名残惜しくても、望む形ではないのならいつかは手放さなければ。


 あちらの問題も、上手くいけば近いうちにケリが付くだろう。


 そう思うサンディアルトにはその問題が、自身の大事なものを奪う事になるかもしれない事態に発展していることに、この時は微塵も気付いていなかった。










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