09
「――それで、その女はどうしてここにいるんだ?」
不意に気が抜けてしまっていたところに向けられた視線に、思わずフレディはぴくりと僅かに肩を揺らした。
「さあ? 道に迷ったんじゃないの? だからオレが送っていってあげようって話してたところ」
にこりと人好きする笑みを浮かべたオズニールに、だよねと同意を求められたがそんな話だっただろうか。
全然真逆だった気がするが、今それを指摘してもいいことには絶対にならないと思うフレディは、すごい頻度で意見を変える男に曖昧な反応を返そうとした。そのときふと思いつく。
「……」
それは危ない橋だと分かっていたけれど、現状保証しきれていない自分の身の安全と、騎竜たちの身の安全性を天秤にかけたフレディは少し迷った後、どうするかを決めた。
ゆっくりと一度だけ瞬いて、前を見据える。そうしてにこりと、邪気のない顔で微笑んだ。
「…ええ。道に迷ってしまって困っていたのですが、明かりが見えたもので…あなた方は町の方ですか?」
先ほどのオズニールに違和感なく話を合わせると、それを聞いたオズニールは少し戯けたように片方の眉だけを持ち上げた。
器用なことをするなとその様を横目に見ながら、不愉快にきらびやかな格好をしている男をじっと見据えた。すると男はフレディの素知らぬ微笑みを真に受けたようで、聞いたことに素直に答えてくれた。
「いや、僕たちは町の住人ではない。旅の途中に立ち寄っただけだ。すぐに去るつもりだったが、…その、やむない事情が出来て滞在している」
若干躊躇いながら教えてくれたその顔は、終始戸惑いに満ちていた。
やむない事情とはオズニールのことを言っているのか。しかし滞在と言うわりにこんな山の中に居を構える事実を、不審に思われる懸念は無いのだろうか。
やむないと言った彼の言葉に呼応するように肩を竦めたオズニールを横目に、フレディは穏やかな表情を貼り付け続けた。素知らぬ顔でそうですかと返事をしたことに僅かに警戒を解いたのか、今度は男がフレディに問いかける。
「ところで、お前はアストメリア家の人間か?」
「…アストメリア? いいえ、違いますが…」
その問いを受けてフレディは思った。この男は本当の馬鹿なんだろうか。
この状況と先ほどの会話を耳にした上で「はいそうです」と答えると思ったのだとしたら相当だ。先ほどの自分も似たようなことをオズニールに聞いたけど、それとこれは事の重さが違う。
命令することが当たり前の生活を送ってきたのが透けて見えるような高圧的な物言いに、ある意味感心しながらフレディは言葉を続けた。
「そのお家のお嬢様でしたら最近ご婚約をされたと伺いましたが、お知り合いだったのですか?」
不思議に思われないように飄々と謀ることが最善だと考えて、フレディは驚くほど自然に惚けて見せた。
例えこの男がどんな考えを持っていたのだとしても、今更後には引けないし関係ない。
「知り合いではないが…、少し…なんというか、取り次いで欲しい用件があるのだ。婚約したという話は聞かなかったが…そうなのか。でも、それも妙な話だな…。確か公爵家に付きまとって煙たがられているという話じゃなかったか…?」
「…?」
ぼそぼそと呟く言葉は聞き取るのが難しかったが、他に遮る音の無いしんとした空間では小さくとも確かに理解できた。しかし意味はよく分からなかった。
なんの話をしているのだ。一体誰がどこに付きまとっているというのか。
そう違和感を覚えた瞬間、唐突にぴんと閃いた。
(アイザック義兄さん、もしや公爵様だったの…!?)
間違いないと辿り着いた答えに、疑う余地も無く納得した。それならば全て腑に落ちる気がしたからだ。
あの姉が結婚するという事実にも、あんなに大きな会場を用意したのも。
(あれ、でもなんで次の日うちにいたんだろ…?)
結婚前に花嫁修業と銘打って早々に移り住む場合もあるが、その場合嫁ぐ側の家にいるのはちょっと、というかかなり変だ。
あの時はなんにも思わなかったが、よく考えるとおかしすぎる。
そのことに対して安易に公爵家を取り込めたその事実に、業を煮やした誰かが少々引っかき回してやろうと企んだのだろうか。
しかしその流れで行くなら煙たがられているなんて言い方はおかしい。だいたいそれだったら標的が自分ではないはずだ。
――いや、ありえるのか…?
だとしたら相当なとばっちりだと憤怒せずにはいられない。
そう思うフレディは、今度は頭を抱えて悩みそうになった。
それともあれか、もしかして自分はどこかの誰かと思い違いをしているのだろうか。実は自分は全く関係なくて、この人たちが勘違いをしている可能性だって零ではない。
その場合サンドラにだって意味の無い濡れ衣を着せたことになる。それはさすがに申し訳なかった。
(…いやいや、だ、だとしても、取りあえず私の目的は変わらないわ)
そうしてお互いに腑に落ちない、という気持ちから先に立ち直ったのはフレディだった。極々自然に口端を持ち上げて笑みを作ったフレディは、気を取り直して言葉を紡ぐ。
「…でしたら、私がお取り次ぎいたしましょうか? こんな形ですが、一応彼のお家とは僅かばかりご縁がありまして…。お会いになる口添えが出来るかもしれません」
疑問を感じさせないまま言い切ったフレディは、男の出方をじっと待つ。
このとき僅かにフレディの言葉を訝しんだそぶりを見せたけれど、彼は思ったとおりの返事を返してきた。
「…本当か?」
その言葉にフレディはにこりと微笑んだ。
「はい。よろしければお名前をお伺いしても宜しいでしょうか。明日にでもお話を通しておきますわ」
「そうか、では…――」
「――そこまでだ」
勝利を確信して心の中でにやりと笑んだ瞬間、オズニールが男の言葉を遮った。
「…」
それに僅かに眉を寄せたフレディに気付かないまま、男はオズニールに目を向ける。そんな男の視線を受け取ったことに気付いているはずだが、その目を無視したオズニールはフレディに対して苦笑った。
「嬢ちゃん、世の中には知らない方がいい事ってのも多分にあるんだぜ?」
そしてそう言いながら、僅かに敵意を向けられた。
「……」
瞬時にそれを感じ取ったフレディは、まずいと思った。
フレディがアストメリアの人間だと気付いてから、オズニールから完全に消えた敵意に安心してこの可能性を考えていなかった。きっとこういうところを兄は甘いというのだろう。
けれどここまで来たら引き返せないし、引き返したら自分の明日はどうなっているか分からない。どうしよう、と一瞬混乱しそうになったけれど落ち着けと無理矢理言い聞かせた。
「…あら、そうなの? それはどういう事柄なのかしら」
僅かな動揺が発言を遅らせたが、幸いフレディの表情は変わらず平静だった。
けれどすっと細めた目に浮かんだオズニールのその笑みは、フレディの狼狽えた心の内など見透かしているようですごく分が悪い気持ちにさせられる。
そうして彼は、瞬きをしていたら見落としてしまいそうなほど微かにその目を細めると、浮かべていた笑みを少しだけ冷たくした。
「…知りたいか?」
冷たくも楽しげなその表情を一瞥して、フレディは閉目する。
「………いえ、止めておきます」
武力で来られると分が悪いと分かっているフレディは、即座に諦めて負けを認めた。
そんなフレディの顔からはいつの間にか笑みが消えていた。非常に悔しくてやるせない気持ちはどうしても消えなくて、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちが芽生えてくる。
諦めの境地でため息を吐いて、さてどうしたものかと思いながら一人おいて行かれて呆けている男を横目に盗み見る。
なぜ遮られたのか分からないらしい彼はオズニールを睨めつけていたが、文句を言おうと口を開いた瞬間まるでそれを遮るようなタイミングでオズニールは彼に意識を向けた。
「…っ」
ぴりっと皮膚に刺さるようなその気配を男も感じたのか、出かかった言葉を飲み込んだのが見ただけでも分かった。
そのことに違和感を覚えたフレディは、あれと思う。
その刺すような緊張は自分に向けられているものではないと気付いたからだ。
(どういうこと? 私の言動に怒ったんじゃないのか…? それに…)
なぜフレディをかばうような言動をとるんだろうか。
きっとオズニールは気付いている。フレディがどこの誰かということに。しかし問題は、それをどうして彼に伝えないのかだけれど。
(仲が悪いから、かしら…?)
それはないな。だとしたらあまりにも子供じみている。
分かっているのは、彼が態度を変えたのはフレディがアストメリアの人間だと悟ってからだ。だとしたらオズニールにとってはそれを彼に知られると不利だって事なんだろうけど。
(なんでよ?)
考えても分からなかった。
「というか、貴方も。ちょっとは頭使ってくださいよ。そんなんじゃ、安易に騙されても文句一つ言えませんぜ」
フレディが一人疑問に支配されている中、オズニールはごく自然な動作で男とフレディの間に陣取った。そして白々しくも吸い込んだ煙をゆるりと吐きながら、子供に言い聞かせるような口調で横目に男を窘めていた。
「っていうか、あなた、お探しのお嬢様がアストメリアの人間だっての…知ってたんだな」
「…それがどうした」
「ってことは、オレにそれを言わなかったのは態とってわけね。…誰の入れ知恵だ?」
「…!」
痛いところを突かれたのかぎくりと表情を強張らせた男に向かって、オズニールは呆れたように鼻でため息をついた。
「…ま、別になんでもいいがな。でも人を信じるときはもっとよく考えてからの方が良いと思うぜ。あんなペテン師に騙されてるようじゃ――ッ!?」
「っわわ、な、なんだっ!?」
呆れ顔で後頭部を掻きながらも、諭すように言葉を紡いでいたオズニールがはっと何かに気付いたように不自然に言葉を切った。それと同時に、前触れのない大きな揺れがいきなり襲ってきた。
(――地震!?)
いきなり動いた地面にふらついて握っていた電灯を落としてしまったフレディは、咄嗟に側にあった街路灯に縋った。
けれどそれは地面に埋め込まれているわけでもなければ、人一人の体重を支えられるほど重たい物でもなかった。ともすれば軽々持ち上げられそうなほどで、うっかり体重をかけそうになったフレディは手の中で揺れて定まらないそれと一緒に倒れそうになる。
「っわ、わ」
慌てて踏ん張って上手に縋れる体制を得ることでほっとしたら、少し心に余裕が生まれた。
未だに揺れ続ける地面にも耐性が付いてきて二人の様子を確認しようと顔を上げたとき、思っていたよりずっと近くに聞こえた声にはっとした。
「――悪ぃな、嬢ちゃん。藪をつついた自分の落ち度だと思って、こっから先は自分でなんとかしてくれ」
「!」
フレディにだけ聞こえるように、オズニールはぼそりと小さく呟いた。その意味を理解する前に、何かを考えるよりも早く、縋っていた街路灯を両手で持ち上げた。
思っていたとおりそれは軽く持ち上がった。そのまま躊躇わずに声のする方向に向かって思い切り振り下げると、重心が上にある街路灯はその重さも合わさって思っていた以上の速度で降下した。
「――ッ!」
明確な的を狙ったわけではないが何にも掠らなかった街路灯の頭は、ガツッと音を立てて生乾きの泥濘んだ地面を抉る。素早く反応したオズニールが、街路灯の長さと同じだけの距離を飛び退いて避けたからだ。
揺れに集中していないとふらつきそうになるフレディと違って、オズニールのその動きに危なげなところは全くなかった。
フレディがその軽々こなした動作に不満を覚えて睨めつけると、その視線を受けたオズニールはあろう事か楽しそうに口端を持ち上げて見せた。
(――え)
しかしその表情の意味を理解する前に、ふと気付けば彼は鞘に刃を収めたまま剣を手にしていた。不思議に思ったフレディが剣から視線をあげるとそこには、変わらず少し意地の悪そうな笑みがある。
まるでそれでいいと言わんばかりのその顔に、フレディは僅かに目を瞠る。
それに思考を持って行かれたからか、単純に経験の差がものを言ったのかは分からないが、結局フレディの身構えるという動作が彼の行動を上回ることはなかった。
ヒュッと軽く振ったオズニールの持つ鞘に収められたままの剣先が、フレディが振りきったままだった街路灯の頭に当たって、バリンッと大きな音を立てて砕け散った。
「…!」
燃料管を覆っていた硝子が中身ごと潰れて、欠片となって吹き飛んだ。それと同時にふっと明かりが消えて辺りは暗闇に包まれる。
思い切り振り下げて地面を抉っても罅さえ入らなかったのにと、その軽々とした動作に驚いていたフレディは暗転する直前、我が目を疑った。
オズニールが軽く振るったそれが、まるで故意にそこを破壊したように見えたからだ。
なぜなら彼はきっと狙った場所は外さないと思ったから。さっき突きつけられたばかりの切っ先に、フレディはそう確信していた。
どうしてと不思議に思ったけれど僅かに目を細めて薄く笑みを浮かべるその顔が、まるで気まぐれに迷い猫に餌をあげるようなそんな一臂をフレディに思わせた。
――チャンスは一度。それを掴んだと確信したら、迷わない。
「――っ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
光に慣れた目にはいきなり暗視は不可能だったけれど、構うものかと思った。
未だに揺れは続いていたけれど、足を動かしていれば気にならない程度だった。いや、例え転んでしまうほど大きなものだったとしても、この一歩は決して躊躇っていなかった。
暗闇の中、握っていた街路灯を捨てて迷いなく走り出したフレディが男の側をすり抜ける瞬間、ちっと忌々しげな舌打ちが聞こえてきた。
「何をやっている!?」
「すみません、手が滑っちゃって…追いかけます」
へらりと笑いを含んだオズニールの謝罪とジャリと土を踏みしめる音が耳に届いたけれど、構わずフレディは走り続けた。
月明かりの薄い夜だけれど、何も見えないというわけではない。
光に慣れた目には厳しいが少し経てば暗視も可能だった。そういう教育を受けて育ったわけではないが、長い野営生活で身につけた生活の知恵だろうとオズニールは思っている。
大して風の無い夜は木の葉が立てる小さな音よりも、異質な音の方がどんなに小さくても耳に付く。集中して音をたどれば、慌てたように枝葉を払い砂利を踏むその音がどの方向から聞こえてくるのかを感じ取るのは簡単だった。
けれどオズニールはその音が徐々に遠のいていても、特に気にしなかった。適当に音の行方を確かめて、適当なところで引き上げようと思っている。
何もしないとまた騒ぎ立てることが分かっているから追いかけると言っただけだし、そう言った手前すぐに戻るわけにもいかないのが理由だった。仕方のなく行うことにやる気が出ないのは当たり前で、どうしたって手抜きになる。
オズニールには彼女を捕縛する気は全くなく、寧ろあの男が色々と理解する前にさっさと消えて欲しいと思っていたくらいだから、追いかける足が緩慢になるのはどうしたって否めなかった。
(…ったく、伯爵家のお嬢様がこんなところでなにやってんのかね、ほんと…)
碌に話を聞かずに二つ返事をした過去を後悔しながら、オズニールはふうと呆れた息を零した。
本当ならこのまま追いかけて一言文句を言いたい気もするが、一人で家まで帰れるならそれに越したことはないと思い気配を探るだけにとどめておく。
そうして探っていても彼女の足取りに迷いは全くなかった。その方向は確かに森を抜けるものに違いなく、狼狽えていても冷静に頭を使っていることに感心した。
そう思いながら何も考えずに足を進めていたせいで、最近理解した境界の側まで来ていることに気付かなかった。
ゆらりと薄い膜のような物が視界全体で揺らいだ事に気付いた途端、手の甲に衝撃が走った。
「…っ!?」
バチッと大きな音を立てて静電が走ったように一瞬だけ辺りを明るく照らしたと同時に、何かに進行を阻まれる。
衝撃を受けて後退すると、それはパチパチと小さく余韻を残しながら消えていく。すると次第に暗闇と静寂が戻ってきた。
試しとばかりにもう一度同じ場所までゆっくり手を持って行くと、何も無いはずのそこに指先が触れる瞬間再びパチリと音を立てて光が飛んだ。最初ほど当たりが強くないおかげで衝撃も無いに等しいが、無理矢理ここを通り抜けることは不可能だった。
いや、力任せに突き破ればなんとかなるかもしれないが、そこまでする理由も無ければ必要もない。
最近ようやくどこら辺まで行けば引っかかってしまうの分かってきたところだったが、うっかりしていたとオズニールはため息を零した。
視覚的にも境目を認識することが出来るようになって、気が緩んでしまっていたのかもしれない。怪我をするほどのものではないが鬱陶しいことに変わりはなかった。
「…やれやれ、難儀なことだ」
まさかこんな事になるとは思っておらず、けれども何とも情けない現状は誰にも相談できないほど間抜けなものだった。
こんな事を部下たちに知られようものなら、今まで以上に馬鹿にされてしまうことは目に見えていた。いつも呆れられているから別に構わないのだが、後任が優秀すぎてあまりにも阿呆なことばかりしているとこのままお払い箱になるかもしれない、という懸念は少しだけどあるのだ。
しかし世の中なるようにしかならないと思っているオズニールは、自身の持つその懸念も長続きしなかった。そうなったらそうなった時に考えたらいいという思いの基では大して重要なことでもなく、それで困ったことがないので別にいいかと思う。
まるで天佑のような揺れも今はなく、静かなものだ。
「……」
オズニールはガリガリと乱暴に頭を掻きながら、フレディの走り去った方をちらりと一瞥してからその場を後にした。




