05
「そ、れは…素直とは違うと思いますけど…」
見た目ではなく自分自身を褒めてもらえてうれしいはずなのに、そんなことしか言えない自分が情けなくて嫌になったフレディは言葉を口にした直ぐ、後悔した。
どうしてもっと普通に、ただありがとうと言えばいいのに。
それが言えない自分に心底呆れていると、特に意に介さないサンディアルトは感心したように眉を持ち上げた。
そうして穏やかに紡がれる言葉に、フレディはだんだんと申し訳ない気持ちが膨らんでいく。
「ふむ。なかなか強情だな。まあでも、俺が君を可愛いと思っているのも、親しい人間にするそれと同じくらい心を開いて欲しいと思っているのも嘘じゃない。君が信じても信じなくても、俺の気持ちは変わらないよ」
そんな風に言ってもらえる資格なんかないのに、どうしてそこまでの言葉をかけてくれるのだろうかわからなくて返す言葉に困っていると、はあ、と大きなため息が落ちてきた。
「…というか、どうしてそんな頭の緩い男の言葉は信じるのに、俺の言葉は信じられないの? …ああ、そうか。君にとって俺の言葉は、まだ信じるに値しないってことだね」
「え? いや、そんなことは……」
ない、と言い切れなかったフレディは言葉を濁した。
サンディアルト自身が信じられないわけではないのだが、多くの否定的な言葉の方がなぜか信憑性がある気がして素直に受け入れられるのだ。
そんなところを見ても、やっぱり自分は可愛くないし素直ではないと思う。
「ああ、別に気にしなくていいよ。信用とは勝ち取ってこそだからね」
口端を持ち上げたその含み笑いは、ともすれば気後れしそうな空気さえあった。実際フレディは無意識に若干身を引いてしまっていた。
話せば話すほど噂から想像していた人物と違って見えて、困惑ばかりのフレディは思わず声を張っていた。
「そ、そんなことより! 公爵様はどうしてここにいらっしゃるのですか?」
とりあえず話の流れを変えたくて、焦る心境を隠したいあまりつい怒鳴るような声音になってしまった。
とにかく、早くこの場を離れて落ち着きたかった。
一瞬だけきょとんとしたサンディアルトは、そんなフレディの気持ちなんか知らないで戯けたように言う。
「どうしてって…、そりゃもちろん君に会いに来たんだよ」
「…そんな油を売っている暇があるのでしたら、さっさとご自宅にお帰りいただいてもよろしいでしょうか」
「冷たいな。想像以上だ」
けれどそんな半眼で呆れるフレディの言葉さえも、戯けたように肩をすくめるサンディアルトにはするりと流されてしまう。その声は言葉とは裏腹に、少しだけ楽しげに弾んでいたようにフレディには聞こえた。
「貴方が姿を消してから皆、貴方の行方を必死で捜しています。それは公爵様の身を案じてのことだと思うし、貴方にしかできないことがあるからだと思います。皆、貴方がいないと困るのです」
「…それは、ありがたいことだね」
目を閉じて紡がれたサンディアルトの相槌が、少しだけ疲れたような声音だったことにフレディは気がついたけれど、あえて訴える。
「……。公爵様にも、公爵様の事情があるのは分かりますし、私がとやかく言うことではないと分かっています。でも、私のところなんかに来る暇があるのなら、皆のところに足を運んであげて欲しいです」
「…それは、俺が、ほかの誰よりも君に気を許しているからだ、とは思ってくれないのかな?」
小首をかしげてそんなことを言われても、残念ながらフレディは逆上せなかった。
「はい。思いません」
迷い無く即答したフレディに、サンディアルトはひょいっと片方の眉を器用に持ち上げる。そのとき戯けたような空気が少し消えたことに気がついたフレディは、はっきり言いすぎたかもしれないと少し発言を後悔した。
しかし、言ってしまったことは消せない。その後を上手くフォローするしかないだろう。
「だって、気を許してもらえるほど私は貴方と接していませんし、貴方だって私のことを知らないでしょう? 会って数時間で信じるに値する人間かどうかなんて、判断できないと思いますけど」
少しだけ気まずそうに口を開いたフレディは、それでもはっきりと言葉にした。
ギースの言うとおり、言葉を交わさなければ、時間をかけて言動を見ていなければ信じるに足る相手かどうかの判断なんてできない。ましてやそれが、自分の抱えている問題に直結するのならばなおさらだ。
事情の詳細は知らないが、なんとしても口を噤んだアリアディスのあの日の様子からして、サンディアルトの現状は容易に吹聴していいことではないことくらいフレディにだって分かっていた。
そんな風に軽く言われたって見惚れもしないし、どこかの令嬢のように自惚れることができるほど、フレディは自分を見失ってはいないのだ。
「ふむ。それもそうだな。…まあ、君は知らないのだし、仕方がないか」
やるせない感情を逃がすように小さく呟いて、サンディアルトは一つため息をこぼした。
サンディアルトの言葉の意味が分からなかったフレディはその言葉に首をかしげるも、どういうことか説明する気が無いサンディアルトの態度に気がつくと、詮索をやめた。
「とにかく、公爵様が抱えている問題が解決したのならばこんなところにいないで、早々にお帰りいただきたく思います。市場の物色はその後でも遅くはないかと…」
これはフレディの意思ではなく、皆の総意だ。
しかし、別に皆のために発言したわけではない。ただ彼がいなくてたくさんの人が困っているのは事実だし、そういうことにさせてもらおうと思ったのだ。
――とりあえず、あの穏やかな日常に早く帰りたい。
心の整理が出来た後では、なおざりの扱いでここ数日を過ごす羽目になってしまった騎竜たちのことが、気になって仕方がなかったのだ。
そう思うフレディはここで、サンディアルトとの縁を切っておきたかった。
それは今まで被った被害がどうとかいう小さなことではなく、自分と関わることは何をとっても彼のためになることでは無いと思うからだった。そしてその逆も然りだ。
確かにサンディアルトは、何の関係もないフレディが落ち込んでいたら励ましてくれるほど気のいい人だということは分かったけれど、だからこそそれを当たり前に受け取っていいのは自分ではないと思った。
こんな下っ端しらのような自分に構っていては、彼の評判にだって関わるだろう。
なぜか最近になって結構な頻度で出会ってしまっているが、本来ならばこんな風に一緒に街を歩いたり、阿呆なことを言うなと暴言を吐けるような相手ではないのだ。というか暴言はいつだって駄目だ。
(…大丈夫かな。後で不敬罪とか言われないといいけれど)
若干不安に駆られたけれど、その心配は無いとなぜかフレディは確信していた。
――だって、たぶんこの人は。
先ほどの、疲れたような諦めたような、一瞬しか見せなかった表情がふいにフレディの脳裏に浮かぶ。
「残念だが、それはできない」
なおも楽しげに薄く笑みを浮かべたまま、考え耽るフレディにサンディアルトはきっぱりと言い切った。
ふと顔を上げるフレディと視線が合うと、彼はどうしようもないと言うように肩をすくめて見せる。
「まだ問題が解決したわけではないからね。だからこうしてコソコソしているんだよ」
「…それならば、どうしてこのような場所にいらっしゃるのですか」
「うーん。…ところで、君の気を許せる範囲というのはどこからを言うの?」
「は?」
いきなり話をすり替えられてフレディは呆けてしまった。
「俺の目には、今の君は俺に十分気を許してくれているように見える。だからこその物言いだと思ったのだけれど、なのに俺が君に気を許しているという言葉は信じてくれない。理由は、接した時間が少なくて相手のことをよく知らないから、だったね。ちょっと矛盾していないかな」
「…。べつに矛盾してないと思いますけど…。だって私は気を許しているわけではないですし。ただ貴方に気を遣う必要が無いと悟っただけです」
「ほう。それはなぜ?」
「…だって公爵様、私が何を言ってもあんまり聞いていませんよね…?」
これは言っていいか分からなかったから、つい口ごもったフレディに一瞬きょとんとした後、サンディアルトはくすくすと笑った。
そして、戯けたように言う。
「失礼だな。ちゃんと聞いているよ」
「…ええ。でも、受け入れてはいませんよね。気にもしていないように見えます。でもそれは相手を軽視しているとかではなくて、揺るがない信念をお持ちなだけだとお見受けしました。それならば私も、別にそこを遠慮する必要はないのではないかと思いまして…。だから、言いたいことを言っています。…貴方はそれを、端から無礼だと押さえつける人ではないと思ったから」
そこで一つ息を吐いて、一つ瞬く。じっと相手の目を見つめたままフレディは言葉を紡いだ。
「…それが不敬だと認識されるならば、私の目が曇っていただけのことです。それは、気を許しているとは言わないと思います、けど……、無礼だというのならもちろんお詫びいたします。でも、撤回はしません。貴方がいなくなって困っている人がいるのは事実だから」
はっきりとサンディアルトの目を見て言い切ったフレディだったが、その胸のうちは不安が膨らんでいた。
きっとこういうところが相手の不興を買うところだと分かっているけれど、言わずにはいられなかった。
それは他人のためではなく、自分の性格故だった。
しかしお前に言われる筋合いはないと言われれば、それもそうだとも思う。
「…――なるほど。それはうれしいな」
けれどそんな不安をよそに、なぜか少しだけうれしそうな、照れたような笑みを浮かべるサンディアルトにフレディは唖然とした。
「…貴女は俺のことを、理解しようと見てくれていたということだろう? それも見た目ではなく、行動で」
「え? そ、れは…、…そこ…?」
言動を見て相手を認識するのは当たり前だと思っているフレディだが、思いがけないところを持ち出されてしまったせいで、気にするところはそこなのかという気持ちが前面に出てしまった。
別にフレディだって、初っ端から問答無用で相手を決めてかかっているわけではない。
冷静に考えれば分かる。自分のこれは、単なる条件反射なのだ。
過去の経験から来る条件反射が、身を守ろうとする防衛本能との相乗効果を得た結果、最後まで物事を見る前につい決めてかかってしまっているだけだ。
だけ、と済ませられるかと言われると自分事ではなかなか難しいが、要はそういうことだ。
冷静に分析するとなんだか悲しい気持ちになってきたフレディは、小さく息を吐いた。
自己嫌悪一歩手前の自己分析をしている中、サンディアルトはそんなフレディににっこり笑って、こう言った。
「じゃあ、俺もフレディ、貴女に心を開いてもらえるように、貴女を知ることからはじめることにするよ」
どうしてそうなる。
やっぱり。この人は人の話を聞いていない。…いや。
――信じられないくらい我が強い。
天の使いと称される品行方正で慈悲深ささえ感じさせる公爵様は、こうだと決めたらてこでも譲らない、加えて人をからかうことが楽しい人種だったらしい。
万人が賞する顔で、けれど究極の自分勝手ではないところが、余計に質の悪さを倍増させていると思うのは自分だけだろうか。
(…みんな、見た目に騙されている……)
気が遠くなりそうで、フレディは慌ててどこか行きそうな思考が戻ってくるように自分の頭を振って脳に刺激を与える。
とりあえず断らなければ!
「結構です! そ、そんなことする意味はないと思います!」
思わず反射的に大きな声で叫んでしまった。
しかしそれさえも楽しげに一蹴されて、ずいっと身を乗り出して間を縮められる。
そしてフレディは、反射的に同じだけ背を反らせて間隔を確保する。
「なぜ? 俺は貴女に、もっと俺に興味をもって欲しいと思っているんだ。そのためにする努力を遮る権利は、貴女にだって無いと思うのだけれど?」
「ぐ…っ」
正論だった。
実際フレディは彼と接していて嫌だとか、迷惑だといった負の感情を抱いたわけではない。
その中で自身の行動を遮る権利がお前にはないのだと言われると、それもそうだなと思ってしまうのがフレディだった。
けれどその穏やかともいえる笑みの中に、勝ち誇ったような気配を感じて思わずむっとして反論する。
「いえ、そもそも根本がおかしいです。私は別に公爵様に対して閉鎖的ではありません。必要な分はちゃんと開けています」
「そうだね。…少なくとも、俺に意見する程度には、ね」
「…っ」
笑みを浮かべたまますっと目を細めて紡がれた言葉に、思わずぎくりとした。
不敬なやつだと言われたような気がしたのだ。けれどそこに、批判の色は微塵も存在しない。
それは妬ましげに目を眇めて言われた、次の言葉が証明していた。
「――でも貴女にとっては、そんなの社交辞令と同じ程度なんだろう?」
「…! え、と…」
開けている必要分が親しい人間のそれではないときっぱり言われて、ぐうの音も出なかった。実際そうだが、ほんの少し接したサンディアルトがそれに気づいているなんて思わなかった。
そうして唐突に、言葉を失っているフレディの手を取り、それを引き寄せながらも視線は真摯にフレディの目を見たまま尚も言葉を紡ぐ。
「でも、俺が欲しいのはその先なんだ。言っただろう? ――俺に口説かれてよ」
「―――!!」
ひぃっ、という悲鳴が今度こそ開いた口からこぼれていたかもしれない。
引き寄せた手の甲に恭しく口づけられて、そこに当たる暖かな感触に神経の全部が集中したような気がした。
その光景に赤面したフレディだったが同じだけ、いやそれ以上に青くもなっていた。
固まったまま言葉もないフレディを目線だけでちらりと見上げたあと、ちゅっと態とらしく音を立てて離れる唇をただただ見つめる。
見ようと思って見ていたわけではなく、ただ単にその赤色に目が釣られてしまったのだ。その仕草は、別段サンディアルトに熱を上げていないフレディでも見惚れてしまうほど格好良かった所為もあると思う。
あまりにも驚きすぎて、自分が二日風呂に入っていないことなど頭から吹っ飛んでいた。…いや、手は洗っているから汚くはない、はずだ。
そんな意味のないことも頭の中をぐるぐるして、何も言葉にならなかったフレディはぱくぱくと口を開閉することしか出来ない。
そんな反応にサンディアルトはふふ、と楽しそうに口端を持ち上げる。
もうどうしたらいいか、フレディには見当もつかなかった。
「確かに貴女の言うとおりで、会ったばかりの人間の言うことを信じられないのは当然だ。だから、これからは貴女が俺の言葉を信じてくれるまで俺が言葉を重ねることにするよ、愛しい人」
都合のいいときだけフレディの発言を引っ張り出してくるところに、彼の性格の悪さがちらりと見えた気がした。
けれど、愛しい人という言葉を紡ぐサンディアルトの目は思った以上に真剣で、それを見たフレディは、当然、青くなった。
「!? け、結構です、いりません……!」
サンディアルトとは正反対に青い顔で否定するフレディに、サンディアルトはにこにこと笑みを浮かべるだけでフレディの要求を耳に入れてもいないようだった。
「………!!」
ようやく心が落ち着いて穏便に過ごせるようになれたと思えた矢先に、こんなのってない。
いきなり振ってきたこの状況を、その辺の令嬢ならば深く考えもせず二つ返事で頷いただろう。しかしフレディはどちらかというと、その辺に関しては悲観的思考だった。
サンディアルトの一時の気の迷いにつきあわされるなんて冗談じゃないと思ったのだ。そして、穏便に日々を過ごしたい普通の感覚の持ち主ならば、こう思うはずだ。
勘弁してほしい。
でもきっと、何を言っても水のように流される。現に、今のいらない発言はスルーされた。
「……っぅぅぅー…っ」
それが分かってしまったせいで、何も言葉にならなかった。
いい人なのは分かる。良識のある人であることも、わかる。
でも、そんなのはいらないのだ。
――そう思うフレディは、所詮一時的な戯れ言だと思っていた。
体のいい暇つぶしで、直ぐにどうでもよくなるだろうと。実際のフレディがどういう人間か知れば興味も失せると思っていた。
――おそらく――人をからかうのが楽しいサンディアルトにとって、フレディは毛色の変わった猫と同じようなものなのだと。
けれどそれからというもの、サンディアルトは自身の発言を決して違えなかった。




