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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その5.条件反射とは経験から来る本能である。
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04









 沈み始めると底を知らない勢いで沈んでいくこの気持ちを、制御する術が知りたかった。こんなことではまた気を使わせてしまう。


 ふがいなさを感じると、途端に思い出してくるのはあの日の自分の暴言だ。


 確かに今では言い返したことを後悔はしていないけれど、それでももっとスマートにできなかったのかという気持ちもあった。


 ちょっと言われたくらいであんなに激昂するなんて、いつもの受け流しはどうしたんだと頭の片隅では思っていた。いつもみたいに笑って流せばいいのにと。


 でもそれができなかった。


 ただの八つ当たりでしかない物言いに、文句の一つも返さなかった姉は終始青い顔をしていた。


 それを思い出すだけで申し訳なくなる反面ちょっとすっきりしている自分もいて、それが余計に自分の器の小ささを思い知って落ち込んでしまう。


 今だってそうだ。人に気を遣わせてばかりで、過ごす時間の楽しさに気持ちを塗り替えられない。


 現にサンディアルトはその笑みを困ったように少し潜めてしまっていた。


 それを見て、どう返すのが正しかったのか分からないフレディは俯いた。


「…私、駄目ですね…。人に気を遣わせてばっかりで、なんにも返せなくて…」


 ただありがとうと、自分も楽しかったと言うだけでもできるはずなのに、それさえ上手く伝えられない。


 しゅんと落ち込むフレディに、サンディアルトはその横顔をじっと見つめた。それにも気付かずため息を零したところで、サンディアルトは漸く口を開く。


「それって、返さなきゃいけないものなのかな?」


「…え?」


「貰っておくだけでも、別にいいと思うけれど。だって、返して欲しくてやっているわけではないから。それに、これは別に君の為というわけでもない。…少なくとも俺はね」


 そういうサンディアルトの顔は、それが嘘ではないと分かるほど穏やかだった。


 そして意味を量りかねてきょとんとしているフレディに、その笑みを少し意地の悪そうなものに変えて言う。


「言っただろう? 君は笑っている方が可愛いって。俺がそれを見たいから、俺が勝手にやっているだけ。ほら、君の為じゃないだろう?」


 含み笑うようなその顔を見て、フレディは思わず目を見張ってぽかんとした。


 それはあまりにも想像になく突拍子のないものだったせいで、今度こそ本当に大きな声で笑ってしまった。


「ふ、っはは! なんですかその理屈。おかしいですよ」


「そうかな?」


「ええ、変です。すごく。…でも、ありがとうございます」


 そう言って薄く笑ったフレディの表情は、どこか吹っ切れたような清々しいものだった。


 本当に、そこまで前しか見ていない発言をされると、落ち込むことさえばからしく思えてくるから不思議だった。


(そうか、変に考えすぎていたのかも…。自分がどうしたいかだけでいいんだ)


 少なくともサンディアルトはそうだということだろう。


「………」


 ようやく、自分がどうしたいのか分かった気がした。


 本当に大切にしたいものがどれか、朧気だけれど見えたことでやっともやもやしていた視界がすっきり晴れたような気がした。


 一番大事なものを手放さないともう一つの欲しいものが得られないのだというのなら、いったい何を迷うことがあったのだろう。


 どちらが大切かを選べというなら、答えは端から決まっていたのに。


『もう一度、何不自由ない空を彼らにあげたい』


 その言葉に共感したときから、自分の中でそれは何があっても揺るがないのだ。


 確かにきっかけは逃げから来る偶然だったのかもしれないけれど、今はきちんとそれ以外の気持ちがあると言い切れる。だったらもうそれでいいと思えた。


 いったい何の狭間で思い悩んでいたのか分からないほど、目の前がぱっと開けたような気分だった。


「ありがとうございます、公爵様」


 今度は本当に、心の底からのお礼だった。


 穏やかなその顔を向けられたサンディアルトは、少し目を見張った後にこりと微笑んだ。


「どういたしまして。元気になったのなら、よかった」


「はい。…ところで、公爵様はどうしてここにいらしたんですか?」


 そしてもちろん、最初にはぐらかされたままだった自身の問いを、フレディは忘れていなかった。


「今このタイミングで私が言うことではないとは思うんですけど……、こんなところで遊んでいる場合ではないのでは?」


「うん? そうなの?」


「いや、そうなの…って」


 嘘をついているようにも惚けているようにも見えない顔をして、サンディアルトは首をかしげた。


 それを見たフレディは、自分の方がおかしい気がして言葉を失った。どう言えばいいのか分からなくて言い淀むとしばらくして、サンディアルトの口からくすくすと笑みがこぼれる。


「ごめんごめん。でも、せっかく会えたのに、追い返すみたいに言わないでくれるとうれしいな」


「追い返すだなんて、そんな…」


 なぜ分かったのか。


 そんな気まずい気持ちが表情に出てしまったのだろうか。サンディアルトは訳知り顔で目を細めて微笑むと「そう?」と戯けて見せた。


「偶然にも、会えたことを喜んでるのは俺だけかと思ったら、ちょっと意地悪したくなっただけなんだ。許してくれ。急いでいないなら、もう少しだけ俺につき合ってよ」


「………」


 ここで急いでいると言えなかったのは、フレディが彼と接するのが嫌ではないと思っている証拠だった。


 けれどこれ以上近づきたいとは思わなかった。


 だからここで身を引いて逃げるか、今だけでも彼の要望に応えるか、一瞬だけ迷ってしまったのだ。


 その迷いが即答できなかった理由だったのだけれど、それを了承と受け取ったサンディアルトは惜しみなく眩しいほどの笑顔を振りまいた。


「そういえば、この間言いそびれてしまったのだけれど、フレア嬢の婚約が無事決まったのだったね。おめでとう」


「え? あ、ああ。ありがとうございます」


 一瞬何の嫌みかと思ってしまったフレディは、ぽかんとした。


 このタイミングで姉の婚約を祝われると思っていなくてまぬけ面で呆けたのだが、すぐに我に返る。


 この間の夜会といい、姿を見せていなかった割にはいろいろ詳しいな、と感心しながら呆れていたフレディは、やっぱり彼が国にいなかったというのは方便だったのだと改めて確信した。


「それで情報不足で申し訳ないのだけれど、相手はどこの誰なのか聞いてもいいかな?」


「――…」


 サンディアルトの問いに答えようと口を開いて、数秒。


 その「どこの誰」というのが「どこの家の貴族か」ということは言われなくても分かった。


 けれど、その答えを持ち合わせていないことにフレディは今ようやく気がついた。


 アイザックは自分を貴族だと正確には言わなかった気がする。さすがのフレディも、それを聞いていて忘れるなんてことをするはずがないからだ。


 身なりや立ち振る舞いから見ても彼が貴族だということは容易に受け取ることが出来たから、そこを追求したりもしなかった。初めて会ったときから貴族が持つ空気と矜持を、彼はきちんと備えていたから。


 けれどよくよく考えると、自分が知る中でこの国の貴族でアイザックなんて名前の男性はいないはずだった。そのことをどうして今まで疑問に思わなかったのだろうか。


 自分が知る情報がすべてとは思わないけれど、それこそ父親が無数の縁談を持ってきていた過去のあるフレディだ。おかげでというかなんというか、適齢期とされる男性の名前には異様に明るかった。


 そこまで思ってもう一つ、アイザックの正確な年齢も知らないことに気がつく。


(…そんなに、アイザック義兄さんに興味なかったのかな、私…)


 そんなこともないと思うのだが、気がついた事実はフレディを物悲しい気持ちにさせるには十分だった。


 しかし考えてみればフレディがアイザックと面と向かって会話をしたのは片手で足りるほどだし、自分から話しかけた記憶なんかあったかどうかも分からないほどだった。


 上手く会話を作れないせいで自ら話しかけられなかった自分は、聞かれたことに答えていただけのようにも思う。その中で「貴方は?」と聞き返したことが果たしてあっただろうか。


 今まで深く考えたこともなかった事実に愕然とした。阿呆すぎるにもほどがある。


 けれど父と母が認めているということは、身元不明の不審人物という訳でもないだろう。いくら自由結婚が推奨されてきている昨今とはいえ、貴族の結婚となればどうしても避けては通れないのがお家柄だ。それらの許容はお家ごとの自由ではあるが、それにきちんと納得したから姉も両親も彼を認めたのだ。


 というか、だから家族は当然知っているはずなのだ。なのにどうして教えてくれなかったのだろう。


 ――聞かれなかったからだ。とか言われそうだ。


 その辺、あの両親は不思議と体裁を気にしない。


「え…と。すいません、しばらく家に帰っていなかったものでアイザック義兄さんのこと、あまりよく知らなくて……」


 情けない事実を誤魔化すように、フレディは項をさする。なぜかこの博識とも言える公爵様に、無知を晒すのはとてつもなく恥ずかしかった。


 けれどそれを聞いたサンディアルトは僅かに目を見張る。


「――アイザック…?」


「え? ええ、姉の婚約者の名前はアイザックですけど。…なにか?」


 小さく呟かれた言葉に頷くと、サンディアルトはなにやら考えるように真剣な目をした。


「…ふぅん。そう」


 そして今までは微塵も感じなかった、嫌悪の空気を僅かに滲ませてぼそりと呟く。


「――なるほどずいぶんと…強かというかなんというか。あれが君の姉かと思うと、血筋は性格と全く関係ないのだと思い知るね」


「強か。姉が、ですか…?」


 はあ、とため息を零して苦い顔で目を眇めるサンディアルトは、なんの躊躇いもなくフレアを「あれ」と言った。


 それが皆に優しい、女性には特に優しいと定評のサンディアルトが口にするのがなんとも意外で、その物言いが他者に対して無礼だという事実も、自身の姉に向けられたものだということもフレディは微塵も気にならなかった。


「あれを強かでなくてなんと言うんだよ」


 そしてその「あれ」の妹に向かって、サンディアルトの顔は何とも言えないほど苦虫を噛み潰したようなものになる。


 彼が嘘を言っているとは思わなかったけれど、フレディはフレアが強かだとどうしても思えなかった。


 というか、あの姉をあれ呼ばわりする人間を初めて見たことに心底驚いたし、感心した。


 しかし。


「姉は、強かではないと思いますが…。公爵様は何を思ってそう認識されたのですか? 社交の場で会っただけでは……分かるわけないわ」


 たとえフレアが強かだったのだとしても、それを公爵家の人間に…いや、他人に見せるとは思えなかった。それは姉に限らず、すべての女性が男性には決して見せようとしない部分だろう。


 しかし、強かというのはどうも違う気がする。


 妹の自分でさえ、姉の強かさやあざとさをかけらも見たことがない。確かにここ数年は疎遠だったが、そういう部分は一緒に生活していればどこかに垣間見えるものだ。でも自分はそれを感じたことはない。


 いったいどこを見てそんなことを言っているのか。


 不思議な気持ちで首をかしげると、サンディアルトは目を眇めてにやりと口端を持ち上げた。


「分かるさ。…同じ匂いがするからね」


「匂い…? ですか」


「ああ。考えてもご覧よ。妹と付き合っている男が自分に言い寄ってきたら、普通は倦厭するだろう? そうでなくても本当に妹のことを思っているなら、あんな男はやめておけと忠告するのが当然だ。でも彼女はそれをしなかった」


 なぜか苛ついたように語尾を強めるサンディアルトに首をかしげながら、フレディは自分の事実を口にする。


「それは、姉にとっては取るに足らない相手だったから…」


「だとしてもだ。俺だったら可愛い妹にそんな小蠅がたかったら、たたき落としたくもなるというものだ。でもそれをしなかったのは、君を利用して優越感を得たかっただけだろう。強かな女性はそれくらい平気でやるよ」


「……そう、なんでしょうか。別にそんなことしなくても、みんなが私なんかよりも姉と懇意になりたいと思うことは至って普通だと思うんですが…」


 ――…ん? いや、ちょっとまて。


 何気なく普通に流してしまったけれど、おかしい。


「はあ…、これだから…。君はもうちょっと…――」


「ちょ、ちょっと待ってください。公爵様。あの…なんで、そのこと知ってるんですか?」


 呆れたようにため息をつくところに待てと制止をかけると、フレディの問いにサンディアルトは真顔で停止した。


「……」


「……」


 え、なにそんな「いまさら?」みたいな顔をされるのだろうか。


 もしかして、自分の悪噂はそんな事実まであけすけに語られていたというのか。だとしたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うのだが。


 確かに手のひらを返されることが多かった自分は、そう噂されていることは知っている。しかし、昔の懇意にしていた人間までもそうだったという事実まで流れているなんて聞いていない。


 …いや、だからこそ「ご破算」という綽名だろうか。


 思い至った事実に無意識に額を押さえる。


(…ちょっともう、何が何か分からなくなってきた…………)


 これはもう、気にしないほうがいいかもしれない。


「――いや、なんでもありません。話の腰を折って申し訳ありません続けてください」


 真剣な顔でそれだけ言うと、フレディは滲みそうになる涙をくっと飲み込んだ。


 これは恥ずかしい。いや、一番恥ずかしいのはさも当然のように話題にされることだろうか。


(いや、もういいや…)


 諦めの境地のような顔で開き直ったフレディは、色々なものをため息一つに乗せてはき出した。


 サンディアルトは難しい顔をしてしばらくじっとその横顔を見つめていたけれど、何を思ったのか、フレディの手をぎゅっと強い力で握った。


「私なんか、なんて言葉は頂けないな。君は今のままで十分かわいいし、綺麗だよ」


「…っ!?」


 じっと下からのぞき込んできたかと思えば、サンディアルトはびっくりするほど真剣な目をしてそう言った。


 その視線が本当に真剣で、否定の言葉も浮かばなければ視線を外すこともできなかったフレディの頬は、自分でも分かるほど熱かった。


 きっと真っ赤になっているだろう。分かっててもその真剣な眼差しに時が止まったみたいに動けなかった。


 何か言いたくて口を開くも言葉にならなくて、開けかけては閉じる、を繰り返すだけで終わることに、思わずぎゅっと目を瞑る。


(いやいや、落ち着け!)


 この人はこんなの言い慣れているだけだ。そうに違いない。


 フレアを「あれ」と称するのだって、きっとフレアのように美しい女性なんか見慣れているのだ。今のだって挨拶のようなもの。――そうに違いない!


 そう結論づけたフレディは、赤くなる頬を持てあましながら視線をふいと横に逸らす。


「あ、お…お世辞でも、光栄です……けど、そういうのは結構ですので…」


「なぜ?」


「なぜって……」


「俺としてはお世辞でも何でもないのだけれど…。信じる信じないは君の自由だ。…けれど君がどんなに否定をしても、君の容姿が優れているのは事実だしそう思っている人がいるのも事実だ。俺としてはどうしてそんなに自信がないのか、そっちの方が不思議だよ」


 少し呆れたように零された最後の言葉に、フレディは上っていた熱がすっと下がっていくのが分かった。


「…なにを、おっしゃるかと思えば………。社交界で、私がなんと呼ばれているか公爵様だってご存じでしょう? …出来損ないだと、貴族にあるまじき女だと言われていること、自分でもきちんと理解しています。ですから、そのようなお世辞は不要です」


 いくら認知しているとはいえ劣化品だと自ら口にすることは出来なくて、つい曖昧な言葉を選んでしまったけれど、その言葉を聞いても彼は真剣さを崩さなかった。


「どうして?」


「え?」


「君の何が駄目で、君のなにが、他より劣っていてそんなことを言われるの?」


「…そんなこと、知りません」


 誰がどんなつもりで言っているのかなんて知るはずがない。だいたい自分の何が駄目なのかなんて、そんなの分かっていたら直そうと努力をしただろう。でもいつも突きつけられるのは、自分ではどうしようもない姉妹じじつに対してばかりだ。


 挙げ句の果てには豚箱女と呼ばれるようになった。それは自分の行動の結果だと知っているから別にいいけれど、そこにたどり着くに至った経緯は、突きつけられるそれらの言葉の影響もあったと思う。


 だいたいそんなことをなぜ本人に問い詰める。すこしだけ恨めしい気持ちになったフレディは、紡ぐ言葉にもその苛ついた空気が出てしまった。


 その気持ちをはき出すようにフレディは一つ息を吐いて、閉目する。


「…言うことを素直に聞かない、仕事なんかに精を出す生意気なだけの女よりも、可愛くておとなしい女性の方がいいからではないですか」


 ずいぶんと辛辣に言い放ってしまったことを瞬時に後悔した。


 これでは十分気にしていますと言っているようなものだ。しかし、気にしないと言っても傷ついていないわけではない。


 その気持ちが時折こんな風に、表に出てきてしまう。そんな自分自身にため息が出た。


 けれどサンディアルトはそんなフレディの感情に気づいているようでいながら、あえてあっけらかんと肩をすくめた。


「そんなの、人を見る目がない男の戯言だよ。君は十分素直だし、仕事にも真面目に取り組む誠実さを持ってる、賢くて優しい人だよ」


「…っ」


 自分の悲観的な考えとは対照的な答えに、思わず息が詰まる。


 何を言っても讃辞しか帰ってこなくていたたまれなかった。そしてそんなフレディに、サンディアルトはにこりと笑う。


「ほら、そうやって俺の言葉に素直に反応を返してくれる。そんな君が素直でなかったらなんだと言うんだよ」









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