03
止まって考えること数秒、どうとも説明できないことに気がついた。
否定すれば否定した分代わりの答えが要るわけだが、その代わりがどれも口にできないことにようやく気がつく。思わず頭を抱えて天を仰ぎそうになった。
最早好きに言わせておいた方が得策かと思い始めたとき、二人のやりとりをじっと見ていたサンディアルトがいきなり笑い出した。
「はははっ、狼狽えすぎでしょ。――っくく、光栄だけどね、今はまだ恋人ではないんだ。頑張って口説いてるんだけど、なかなかガードが堅くて」
それは自他共に認めている――おそらく本人も分かってやっていると、フレディは確信している――あの天の使いと称される笑みではなく、本当に溜まらないといった笑い声だった。
そんなに涙が滲むような大笑いをするなんて思ってもいなかったフレディは、意外なものを見た気分で目を見張ったのだが、続いて紡がれたそんな言葉には呆れてしまう。
「何言ってるんです? 当然みたいな顔で嘘ついてると、あとで何が起きても文句言えないですよ」
言いながらフレディは、また予想外な一面を見てしまったことに内心驚いていた。
(この人もそういう冗談言うんだな)
けれど本気なのか冗談なのか分からない声音で小首を傾げるサンディアルトは、座り込んだままの体制で店の主を仰ぎ見る。
その他人からは見えないフードの下では、困ったように眉が寄せられていた。
「うーん。こんな感じで全然取り合ってくれないんだ。どうしたらいいのかな?」
見上げられる視線に目を向けてから、親父さんは顎を摩りながら視線を空へ向ける。
「んー、俺が思うに、ふーちゃんはガードが堅いんじゃなくて鈍いだけじゃねぇのかな」
「ああ、…確かに。そうかもしれないね」
それなら仕方ない、と納得顔でどこか遠い目をしたサンディアルトは、少しだけ乾いた笑いを零した。
対して親父さんは、だろう? となぜか得意顔で言うのだからフレディは思わず反論してしまう。
「私は鈍いわけではありません。現実的なだけです…!」
悲しみのこもった目で訴えるも、二人してうんうんと納得しているだけで聞いてくれなかった。
(二人してなんだ!)
だってそうだろう。本気では無いと分かっている言葉に、過剰に反応する方がどうかと思うのだ。
ましてやこの公爵様は、皆に優しく接することが周知のパーソナルだ。そんな人が紡ぐ優しい言葉が、自分だけに向けられているなんてどうして思える。
おそらくその中には、その優しい言葉に勘違いする女性だって少なくないことだろう。
ひょっとしたら女性だけじゃないかもしれない。なぜならさっき立ち寄った店での対応を見て、なんとなくだが人たらしな一面を垣間見てしまったからだ。
そしてそれらはどのように転んでも、彼にとって煩わしいものになる可能性が非常に高いことだろう。
要は迷惑ということだ。しかしこの人はその感情を、おそらく他人には見せない。
それは今までの彼の表情や行動に現れているし、実際公爵家の人間というものは貴族の中でもほとんど王族寄りと言って過言ではない。そういった個人的な感情は滅多なことでは外に出さず、そしてそれが当たり前のような顔で生活をしている。
そんな人たちの迷惑になると分かっていて、そんな反応ができるほど自分本位にはなれない。ここまでだけでも――なぜか知らないが――かなりの比率で助けてもらっている。これ以上の迷惑をかけるなんてとんでもないことだった。
そもそも、それらの体裁を抜きにしたって、そこにあるものが自分に向けられているに違いない、なんて、そんな自意識過剰な思い込みはフレディにはできない。
むしろ自分なんか絶対ないだろ、という気持ちの方面にぐんとシフトするのだ。
それよりもまず初めに、口説かれた覚えなど一度もない。そう思うフレディは、この言葉はサンディアルトなりの冗談なのだと思った。
お世辞だと分かっている言葉に謙遜するのが無意味なように、フレディにとってサンディアルトの発する言葉はそれと同じ次元の話だった。
姉に向けるならば頷けるが、自分に対して可愛いね綺麗だね、などという言葉をかけてもらってもそう言ってもらえるほどのものを自分は持っていないのだし、お世辞としか思えないのは当然だった。まあ、そういう社交辞令も時には必要だろう。
それをきちんと分かっているから過剰に反応などしない。それは至って普通のことだと思うのだが。
彼らが何に対して納得しているのか分からないフレディは、とりあえず褒められていないことだけは理解してふて腐れる。
「ふーちゃんは身元もしっかりしたお嬢様だけど、あんまりお嬢様っぽくないし、だけどとびきりの美人さんだろう? お近づきになりたいヤツなんかそこら中に山ほど転がってるのに、本人はそんなことまるで気付いちゃいねぇときた」
褒めているようで貶されてもいるような言葉とともにちらりと胡乱な目を向けられて、きょとんとすると呆れたようなため息を吐かれた。
「この商店の奴らだってそうさ。みんなふーちゃんの気を引きたいから声をかけてるのに、本人はいつも『いつもありがとう。がんばってね』って平等な笑顔で接するだろ? それに歯噛みしてるやつが多いってことさえ気付いてもねぇ」
呆れた口調で肩をすくめてそんなことを言われた。
しかし見当違いも良いところだと思った。
「そ、んなんじゃないわよ。みんな、変な噂ばっかりの私が珍しいだけでしょう。そもそも、声をかけるって、商売なんだから声かけくらいするのは当たり前じゃない」
当然のように反論すると、親父さんはもちろんなぜかサンディアルトまで困ったような呆れたような妙な顔をそのフードの下で作っていた。
そうして声を示し合わせたように二人して同時に嘆息した。
「…これだから」
「…これだよ」
「??」
なんでそんなに呆れた顔をされないといけないのか分からないフレディは、疑問に首を傾げる。
そんなフレディを放っておいて呆れた二人は示したように会話をする。
「貴族のお嬢様なんて高慢ちきばかりだと思ってるこの辺の人間にとって、ふーちゃんはなんというか、ある意味斬新で、良い意味でそれを裏切ってくれたんだ。だいたいは、貴族なんか取り繕った顔は見せても、あんなに俺らと普通に話して、あんな風に笑う顔なんか見せたりしないからな。べつに見た目だけじゃなくて、ふーちゃんの人柄だって好きなんだよ。でも、こんな感じで何を言っても取り合わないというか、信じてもねぇ感じだし。だから余計にみんなも躍起になっちまうんだろうなぁ。…要するに、あんただけじゃねぇってことだな」
僅かに視線を鋭くしたその言葉に、サンディアルトは視線を持ち上げる。
「なるほど。…それは、困ったな」
全然困ってなさそうな声で薄く笑うサンディアルトに親父さんは一瞬呆気と黙ったけれど、サンディアルトは一転、にやりと笑って見せた。
「だけどそれは、まだ誰も先を越せてないってことだろう? それって、逆に喜ぶところかな」
そういうサンディアルトのフードから除く口元は、不適だった。なまじ口元しか見えないせいで、その雰囲気は妖しさも漂っていたけれど親父さんは「ふーん」と言ってひょいっと眉を持ち上げてみせるだけだった。
…何でそんなに意気投合しているのか分からないフレディは、一人取り残されてとても不満だった。
――むう。
その間も終始納得がいかないフレディは難しい顔のままだったのだが、そんなフレディをちらりと見た親父さんは苦笑と共に言葉を紡ぐ。
「ふーちゃんさ、買い物に来て声かけられなかったことないだろ?」
「え? う、うん、それはまあ」
「滅多なことで出てこないから、来たときはここぞってみんなが躍起になってんのホントに気付いてねぇの? その日店を休んでるヤツだって出てきてたりしてるんだぞ?」
「うそ…」
今初めて聞く事実にフレディは愕然とした。
そういえば、自分が買い物に来たときに閉まっている店を見たことがない気がする。
でもそれは商いには当然だと思っていたフレディは、そこにある真実に全く気付いていなかった。
食べ物とかだと進められるとついつい買ってしまうことも多いのだが、今の話が本当ならばいつも荷物が大量になってしまう理由は、なにも自分の引きこもりの習性がすべてではないのかもしれないと思った。
でもそれ以上に、その事実はフレディになんとも言えない気持ちをもたらした。
「や、でもそれは…気のせいとかじゃないのかな…」
急によく分からない恥ずかしさがこみあげてきて、軽く握った手で無意味に首元を擦りながらふいっと視線を横にずらす。
「…!」
ふと流し向けた視線の先に、明らかに通りすがりではない人だかりを見つけて思わずびくりと肩が跳ねた。
それに気づいた親父さんはフレディの視線の先を確認した後「ほらみろ」とにやりと笑った。
遠巻きだがその人だかりがこちらを見ていることは明らかで、ひそひそと呟かれているその様は、フレディに嫌な予感をもたらした。
囁く人々の顔の大半が不審げにひそめられていることから、サンディアルトの存在に誰かが気づいてしまったのではないかと思わせた。
親父さんの言葉が何のことか分からなかったフレディは、迷いなくそう思い至ると一も二もなく慌てた。
我関せずと座り込んだままであるサンディアルトの肩を、勢いよくばしばしと叩いて、飽くまでも声を抑えて訴える。
「み、見られてますよっ公爵様、ほら!」
「うん? …ああ、うん。そうだね」
(そうだね、じゃない!)
――にっこりと笑ってみせたって、誤魔化されない。
のんきなことを言わないでくれと睨みかけて、フレディははっと思い立つ。その思い立った事実に、表情が抜け落ちたフレディの頬を一つ汗が伝う。
そうだ。この人は他人から受ける無数の視線を物ともしない人だった。
晒され続けて感覚が麻痺しているのか、はたまたそれを当然と思っているのかは知らないが「それがどうかしたの?」と言いたげに取り合わない姿の前には、理由がどっちだろうと大した意味はない。
いたたまれない気持ちが大半だが、それ以上に彼の身元がバレてしまったのではないかとフレディの方がはらはらしてしまう。
なのに当の本人はのほほんと鉄板を見てまだどうしようかな、などと言いながら物色している。
(ちょっと!)
いったいなぜ自分の方がこんなに焦っているのかよく分からないが、心臓によくないことは確かだった。だってすごくはらはらしているし、どきどきしている。
だがしかし、もし彼の身元が公になればきっと彼以上に困るのは自分の方だと思う。特に一緒にいるところを見られでもしたら、また何を言われるか…そう思うと身震いした。
必然的に悪者になるのはどんな理由があっても自分の方なのだということは、この間のあの子たちのあばずれ発言で分かってしまったために、なんとしてもそれだけは避けたかった。
実際にサンディアルトと顔をつき合わせて町を歩いたなんて分かった日には…。
ひぃ、と引きつった悲鳴が口から出そうになった。
さすがにこれ以上、あることないこと言われるのは勘弁して欲しい。
――フレディにとって――危ないということをなんとか分かってもらおうと、負けじとまるで他人事なサンディアルトの肩下あたりの被服をぐいっと引っ張った。
「こ、公爵様の所為ですよ! もう行きましょう。やっぱりバレてるんですってばっ」
「ええ、今の話の流れでそれ本気で言っているのかい?」
ぐっと腕を引き顔を近づけて、ひそひそと声を潜め訴えるけれど暢気とも言えるサンディアルトに、本当にどうしようもない呆れ顔で諭された。
それでもどこか楽しげに聞こえる声音に、こんな時にも動揺しないその据わった肝が少しだけうらやましいと思ってしまった。
いや、今はそこはどうでもいい。
「この場合はどう考えても君だろう? むしろ俺の方が怪しまれてる風だけれど」
ちらりと人だかりに視線を向けて、サンディアルトは不思議そうに言う。
「それはそんなもの被ってるからっ」
「じゃあ取る?」
あまりにも余裕綽々な答えに思わずかちんときたフレディは、隠せない舌打ちと共についつい声を張ってしまった。
「お好きにどうぞ!!!!」
(どうせ困るのは私じゃないんだし!)
思考を放棄したフレディは、もしバレてしまえば被害を受ける比率は自分の方が上だということも頭から抜け落ちていた。それほどまでに、ちっと思ったのだから仕方がない。
結構本気の顔で声を荒げたにもかかわらず、サンディアルトはそれさえも楽しそうに笑って流してしまった。
「ははっ、――じゃあ、そうしようかな」
そうして立ち上がったサンディアルトは意味ありげにちらりと人だかりに視線を向けると、鉄板を二枚とも外套の中に仕舞った。それと同時に空いた方の手で、フレディの腕をぐっと自身の方へ引っ張った。
「――へ!?」
どんっとぶつかる勢いで、その胸に突撃したフレディの背中を抱き留めたサンディアルトは、ぽかんとしている親父さんに向かってにこりと微笑んだ。
「おじさん、これ、やっぱり両方もらっていくよ」
片手でフレディの肩を抱き寄せながら、サンディアルトは代金の入った袋を放った。
「え、…ちょっと待ちな! こりゃ貰いすぎだっ」
小さく弧を描くそれを受け取った途端、ずしりとした重みに量の多さを悟った親父さんは慌ててサンディアルトを呼び止めるけれど、彼は足を止めなかった。
「いいことを教えてくれたお礼だ。気にしないでくれ」
横目に振り返るだけで、その口元は爽やかとも言える笑みが浮かんでいた。それに呆けたように言葉を無くしている親父さんと、別の意味で呆けているフレディを気にするでもなく人だかりを縫って市場の奥へ歩を進めた。
その間も好奇の目は張り付いてきていて、フレディは居たたまれない思いが次第に大きくなる。
「…ちょ、と…っ、一人で歩けますから放して――」
「まだ駄目。もうちょっとだけ、優越感をちょうだいよ」
「え? 優越感って、なんの…――」
「ふふ、いいからいいから」
「??」
押し切られるように言われてしまえば、フレディに反論の余地はなかった。いまいち意味が分からないせいで強く出られないこともあって、されるがままに引き摺られる。
肩を抱いていた腕はいつの間にか腰に回っていて、傍から見ればその姿は恋人同士が寄り添っているように見えなくもなかった。
まあ、片割れが不審者なのか旅人なのか分からない姿でなければの話だが。
そこでやっとフレディは思いついた。
(そうだ。旅人だと説明すればよかった)
そんな簡単なことも思いつかなかったことに何となくショックを受けていると、サンディアルトはとある場所まで来てぴたりと足を止めた。
そのことに我に返ったフレディが見渡すと、そこはなぜかはじめの噴水広場だった。
辺りを見回して、少し外れた場所にあるベンチに向かって歩くサンディアルトに手を引かれ、促されるままにフレディはそこへ腰を下ろした。
腰を下ろした途端なんだかどっと疲れが襲ってきたフレディは、思わず長いため息をこぼしていた。
「どう? ちょっとは気分転換になった?」
「え?」
そんなフレディに対して、サンディアルトは全く変わらない調子で口を開く。
何を言われたのか分からなかったフレディは隣に座るサンディアルトに視線を向ける。窮屈だったのか、サンディアルトは被っていたフードを背中に落とすと数回緩く頭を振っていた。
そうしてフレディを見ると破顔した。
「俺は十分なったよ。気分転換」
「あ…」
「楽しかった。こんなに楽しかったのは久しぶりだ」
そう言って本当に満足げに微笑んだサンディアルトを見て、ああ、また気を遣ってもらってしまったと、申し訳なくなった。
でも申し訳ない気持ち以上に、フレディだって楽しかった。
あんなにどきどきしたのは初めてだった。まあ、半分ははらはらしていた気もするが、それだって今まで感じたことのないものだった。
見慣れた商店のはずなのに、目に見えるものすべてが新鮮だった。
落ちていた気分もいつの間にかその事実さえ忘れていた。そう思うフレディは、あまり感じたことのないその気持ちが、楽しいというものだと唐突に気がついた。
(そっか、楽しかったのか…)
おおよそ一緒に出かけるような友達もいないフレディにとっては、その感情は新鮮以外の何物でもなかった。
ちらりと見上げると、サンディアルトも自身の言葉が嘘ではないと思わせる穏やかな顔をしていた。
自分といてそんな風に接して貰った経験があまりないフレディは、こんなときどうしたらいいのか分からなかった。
ありがとうと言えばいいのか。いや、それも変な気がする。
そう思ったフレディは、結局こんな言葉しか言えなかった。
「…すみません。気を、使ってもらってしまって…」
下を向いて落ちた声音で伝えた言葉は、本当に言いたかったことか自分でも疑問だった。
いつでも前向きな考え方のサンディアルトに対して、自分はこんなことしか言えないのかと口を開いた瞬間から後悔した。
情けない。
「……」
いや、本当はずっと昔から知っていた。自分は情けないし、面白みのない人間だってことくらい。
嘆くばかりで不甲斐ない、人の目から逃げるように引きこもる、壁を作ることでしか自分を守れないような人間なのだ。…そんな惨めな部分ばかりが、今は目について仕方がなかった。
楽しかった時間の反動みたいに、そんな気持ちばかりが大きくなっていくことが嫌だった。
これでは本当に、人との接し方も知らない引きこもりの典型ではないか。




