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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その6.それは、突然に。
28/45

01










 夕刻にさしかかる日差しが、山陰の少ないこの飼育所を明るく照らしていた。


 草原と大差ないこの場所に生えているたくさんの木々、その中の一本の枝葉の中にフレディはいつものように座っている。そこに近づく足音はいつも同じもの。


 ここ数日ほぼ毎日聞いているせいで、その存在が足音だけで分かるようになってしまった。


 軽やかに聞こえるようで、強い風にも揺らがない力強い足取りのその音に気づきながらも、フレディはいつもと同じように気づいていないふりをした。


 ――そんな振りも、きっとこの人は気づいているのだろうけれど。


 そうして青々と生い茂る木の根元からフレディを見上げて、彼はいつものようにいつもの言葉を口にする。


「――やあ、またそこにいるの?」


 気に入ってるんだねと感心するように言いながら彼、サンディアルトは木の上にいるフレディの元まで登ってきて隣に腰掛けた。


 フレディはその様子にちらりと視線を持って行くだけで、直ぐに興味のないふりをするように目を伏せた。


 彼が意外にも木登りが上手だということは、はじめにこうしてなにを言うでもなく隣まで登ってきたときにすでに知っているので特別驚いたりはしない。


 軽々とフレディのいる場所まで登ってくると、当たり前のように隣に座る。そんなサンディアルトのいつもの行動に、フレディは若干呆れたような目を向けた。


「……サンディアルト様も、よく飽きもしませんね…」


「ん? 飽きる?」


「…いえ、なんでもありません」


 なんのこと? と首をかしげるサンディアルトにフレディは諦めたようなため息を零す。


 相も変わらず公爵様とフレディが呼んでしまっていると「俺はまだ家長じゃないよ」と窘められてしまったため名前で呼んでいるのだが、そうすると嬉しそうに微笑まれるのが何ともむず痒かった。


 しかし公爵閣下に対しても無礼だと思ったため、その言葉に素直に従っているフレディだったのだが、その顔を見るたびに止めたくなってしまうこの葛藤をどうにかして欲しい。


 そんなこのやりとりは、この半月でほぼ毎日と言っていいほどの恒例になりつつあった。


 あの日、街でばったり会ったあの日以来、昼過ぎ頃から日が暮れる頃までサンディアルトは何かあれば――いや、なにもなくても――フレディが居住しているこの飼育所に訪れるようになっていた。


 はじめは何をしているんだとさんざん口を酸っぱくしていたフレディだったけれど、いつもいつも「うーん」と言ったあとにこりと笑って誤魔化される。何度か同じやりとりを繰り返してみたけれど、結局それが変わることはなかった。


 だからフレディはもう気にしないことにしたのだ。


 きっと自分などが言わなくても、この人は分かっているのだろうと理解したから。


 あの日言っていたように、いついかな時も自分がとるべき行動がはっきり見えている人だとこの半月で理解したフレディは、もはや彼のすることに口を出さなくなっていた。


 ただ一つのことを除いては、だが。


「ここはいつもいい風が吹いていて、気持ちがいいね」


 そよぐ風に、鶸色に戻ったサンディアルトの髪がふわふわと揺れる。その様をフレディは不思議な気持ちで見つめる。


 彼のすることに口は出さないが、理解はしていないフレディはこっそり思った。


 この人はいったい何がしたいんだろうか。


 毎日毎日、フレディのところにきて何か特別なことをするでもない。日々の仕事をこなすフレディを何気なく眺めたり、こうしてそよぐ風をただただ感じたり。そしてなぜか、稚竜の餌を一緒に用意したこともあった。


 だって本人がやりたがったから。


 実際騎士団の副総長で公爵家の嫡男で、有能だと賞賛され日々忙しいはずの彼がするような仕事ではない。


 そう思うのだが、こうしてただ木の上に座っているときも、稚竜に用意した餌を実際にあげているときも、あの日と同じようにいつも楽しそうに笑うのだ。


 それが本当に心からのものであることは、見ていれば分かる。みんなが賞賛する、人の良さそうな出来た笑みではない、まるで子供がするみたいに屈託のないものだから。


 もしかしたら今しかない、非日常が多忙な毎日の癒やしになっていたりするのだろうか。


 フレディにとっては日常的なことだが、彼にとってはどれも新鮮なことなのかもしれない。そう思うとふっと笑みが零れた。


「…………なんですか」


 それをじっと見られていることに気がついて、気恥ずかしい気持ちできゅっと口に力を入れて笑みを消す。


 サンディアルトのうれしそうな顔が余計に羞恥を誘うようだった。


「なにも」


「…なにもないなら、見ないでください」


「どうして? フレディがそうやって少しずつでも俺に気を許してくれているのが嬉しいだけなのに」


「…っ」


 風にそよぐフレディの髪を一房つかみ、それがするりと指の間を抜ける様を見てそういったサンディアルトに、思わず言葉に詰まった。


 どんなにフレディが辛辣な物言いをしようとも、サンディアルトはことあるごとにそんなことを言う。


 貴女のことを知ることから始めると言った言葉の通り、サンディアルトはフレディの仕事の仕方や何気ない会話から、よくよくフレディの意思を汲み取ろうと試みてくれる。嫌なことはもちろん、嬉しいと思うことを上手く表に出せないでいるのに、それさえもなぜか彼は分かってくれるのだ。


 そうした相手がいることは思いの外心地いいもので、最初こそ力一杯否定していたフレディだったけれど、最近は強く否定できなくなってきていた。そしてそのことに自分自身、気がついている。


 それが何とも悔しくて歯がゆくて――嫌だった。


(…もう、あんな思いをするのは嫌なのに)


 懲りないな、とまるで他人事みたいに思った。


 信じた途端に裏切られるのはもうたくさんなのに。


 正確には裏切られたというのとは違うかもしれないが、手のひらを返されることに変わりない。馬鹿みたいだと呆れていても、何度も何度も繰り返す自分に嫌気がさしていた。


 だからもうやめようと思ったのに、本当に自分はいつまで経っても成長しない。


 こんなに立派な人がご破算とまで言われた自分に構うのは、単に物珍しさからくる興味以外に何があるというのだ。しかし分かっていてもそんな風に心からの笑顔を向けられると、どうしていいか分からなくなる。


 はあ、と考えうつむくフレディをよそに、ただ吹く風を吸っていたサンディアルトが思い出したように話題にした。


「そういえば、今日は街に行くって言ってなかった?」


「え?」


「ほら、昨日言っていたじゃないか。買い物に行くって」


「あ…そうでした」


 いきなりなんだと思っていたが一転、そうだったと気がついたフレディにサンディアルトはにこりと笑う。


「それじゃあ一緒に行こう? 荷物持ち、手伝わせて」


「…何を言っているんですか? また騒ぎになります、やめてください」


 何をしようと口を出さないが、少しおとなしくしておいて欲しい。だいたい、公爵家の人間に荷物持ちをさせるなんて、そんなこと彼が紳士であろうととうてい容認できない。恋人や家族とは違うのだ。


 そんな気持ちを込めて言ったつもりだったのだが、この人には通じなかったようだ。


「あれはべつに俺の所為ではなかっただろう? 現にたいした騒ぎにはなっていない」


「それは…」


 そうだが。


「相変わらず俺は『国の外を視察中』だ。ちゃんとおとなしくしているし、別段問題はないだろう?」


「だから、そういう問題では……」


 これも、幾度となく繰り返したやりとりだった。


 故に答えが分かってしまっているフレディは、この先の言葉を飲み込んだ。


 言いたかったけれど。


 言いたかったけれど! やめておく。


 実際何度か一緒に街へ行ったけれど、あの日と同じように誰も彼を彼だと認識しないのだ。


 顔をさらして歩かないことが功を奏しているのか知らないが、会話をした人が一様にその見えないはずの顔に向かってぽーっと見惚れるのは、偏にその心地の良い声と優しげな言動によるものだろうと思われる。


 そうして必ず一緒にいるフレディに一瞥をくれ、なんだかよく分からない難しい顔をして去って行く。これが一連の流れだった。


 この瞬間が何ともいたたまれなくて居心地が悪いのだ。別に何もしていないのに、なぜか悪いことをしてしまった気持ちになる。故に断っているのだが、彼はそんなこと微塵も気にしてはいない。


 ――ちくしょうめ。


 けれどそんなフレディの心の内を知っているような顔をしながら、それでも屈託なく笑うのだ。


 何がそんなに楽しいのか知らないが、毎日毎日そんな顔を向けられ続けると、この人が楽しいならそれでいいかと思い始めている自分がいることに気がついて愕然とする。


 いや、よくない。全然、よくない。


 こんなことを続けてみろ。いつかどこからかサンディアルトがここにいるとばれてしまった日、どんなことになるか想像しろ。


「……」


 その一連の流れを想像して、寒くもないのにブルッと震えが走った。


 けれど完全に穏やかに寛いでいるサンディアルトの様子を思い出すと、こんな人気のない場所でないと寛げないのかな…とか思ってしまって、つい同情心のようなものが芽生えてくるのも事実だった。


 実際、サンディアルトとの会話は楽しい。ふとしたことでも自分とは全く意見が違うからだ。


 今まで知らなかったことを教えてくれるし、自分とは違った物の見方をする彼は、フレディに新しい価値観をくれる。


 そんなこんなを繰り返していると、ほんの僅かだけれど彼がくれる言葉や笑顔に心地よさを感じてしまっている自分がいるのだ。


 それならば別に今のところ害はないのだし、このままでもいいかという思いがわき起こり、全然よくない、と否定した、自分自身を否定しそうになる。


 そして、一人問答するフレディは、結局いつも同じ答えに行き着いてしまう。


「……お好きにどうぞ…」


 フレディが諦めの境地で項垂れて、そういうのもまたこの半月の恒例だった。






*****






「――これは、まいったね…」


 そういうサンディアルトの視界には、地面に当たってはじける水滴しか見えないんじゃないかというほどの雨粒が降り注いでいた。


 夜と見まがうほど一瞬にして曇天に包まれた空は、程なくしてかかる靄と共に雨粒を振らせたのだが、その勢いは容赦がないものだった。


 街へ買い物に出かけたフレディとサンディアルトは、ちょうど運悪く雨脚に捕まってしまい生い茂る木の下で凌ぎきれない雨粒を受けていた。


 ついでに騎竜団の庁舎に用があったことを思い出したフレディが、庁舎に向かおうとした途端に降り出した雨に止む気配はなく、もうかれこれ十分近く同じ勢いで降り続く雨に足止めをされていた。


 生い茂る木々の葉では凌ぎきれない雨は、容赦なく二人を叩きつける。


 空は暗雲のままどこまでも続いていて、夕立ではなさそうだと思ったフレディはどうしようか考えながら身を震わせる。


 濡れた被服が肌に張り付く感触が気持ち悪くて肩をさすると、途端に寒気が襲ってきて耐えきれず身震いする。


 むず付いた鼻を擦るとくしゃみが出た。


「…このままでは風邪を引いてしまうね。ちょっと濡れるけど、今のままよりマシだろうから、来て」


 くしゅんと小さく肩を震わせると、見かねたサンディアルトがいつも被るフードが付いている外套をばさりと頭から被せてくれた。


「え? わ、ちょっと…どこへ…っ」


 フードをしっかりとフレディの頭に乗せた、その手でぐっと腕を引っ張られる。それに疑問の声をかけるも、フレディの問いに答える前に木々の間を縫ってサンディアルトは駆け出した。


 そして横目に振り返った彼の言葉に、フレディは文字通り鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。


「騎竜団の庁舎より、俺の屋敷の方が近いから。そこで雨を凌ごう」


「…………は!?? い、いやいや、何言ってるんですか! ちょっと、まって…止まってくださ――きゃあっ」


 慌てて制止をかけようと捕まれた腕を外そうとしたところで、バシャッとバケツをひっくり返したような大量の水が頭上から降ってきた。


 自分だけ食らったような気がして振り返ると、そこには壊れた籠が蔓に引っかかって宙づりになっていた。


 あの籠が大量の水をうけて壊れたのだ。そのときにちょうど自分が真下にいたのだろうと思ったとき、ぴよぴよと頭の上で声が聞こえた。


「なに…?」


 何の気なしに頭を触ると、小さい丸いものが手に当たる。それを掴んで目の前に持ってくると、それは小さなひな鳥だった。


「ちゅう」


 ――かわいい。


「はっ、ちがう」


 そんなことにほんわかしている場合ではない。


 しかし小さな音などかき消してしまうほどの雨と風に、サンディアルトの足は止まらなかった。


 その間もずっと息が苦しいほどの風と雨が吹く。


 走っているのも相まって言葉を紡げなかったフレディは、掴んだ小鳥を落とさないことと潰さないことに集中していた。


 しばらく走っていると、正面に大きな柵が見えてきた。


 左右にずっと伸びるそれを目視したサンディアルトは、迷うことなく柵に沿うように方向を変える。


 木々の間を縫っていたおかげか、木が雨よけの役目を果たしてくれていたようで耳に届く音ほどひどくは濡れなかった。


 けれど左右に伸びた柵の端に着く頃には木々はなくなっていて、先ほどよりも強く降り出した雨に痛いほど打たれる。


 小さな鳥が凍えないように、なるべく雨が当たらないように胸にあるポケットに入れて走っていたのだが、これではあまり意味がない。被せてくれた外套のおかげで少しはましだが、その外套も水を吸いすぎて重たいくらいだった。


 その重たい服を着たまま暴雨の中を走るのは、思った以上に体力を使った。


 そろそろ苦しいとフレディが思い始めていた頃、一つの哨舎が見えてきたことに気づく。


 サンディアルトの足がその哨舎に向かっていることに気がついたフレディは、何の気なしに視線を上に向ける。


 ちらりと柵の上部を見上げて、そこにある物を認識すると思わず「ああ、やっぱり…」と心の中で困惑した。


 ところどころ刻印されている紋様を見て、この柵の内側が誰の敷地なのか理解したからだ。


 この竜と剣が美しく織り成す紋様を掲げているのは、紛う事なきディリア公爵家である。


 それを見ながら、そういえば、とフレディはふと思う。


 ディリア家は古くに、竜の保護に関してすべてを担っていた歴史を持っている良家だ。


 竜の保護を決めた何代か前の国王様のそばには、ディリア家随一の騎士がいたという。王様と仲がよかった当時のディリア公爵は、彼の右腕として功績を挙げるとともに、竜に対してもとても慈悲深かったそうだ。そんな彼を竜の保護に携えたのは、もちろん当時の国王様だった。


 彼の采配は正しかった。だからこそ今こうしてディリア家の手を離れても、竜たちは穏やかに過ごせているのだろう。


(…そうか。だからだったのかな)


 実際警戒心の強いはずの稚竜も、サンディアルトを全く警戒しなかった。


 あの日一緒に食事をあげているときに、不思議に感じた気持ちが思い出される。


 手ずからの食事はフレディだって警戒されることがあるのに、稚竜が躊躇って見せたのはほんの一瞬だった。彼が優しく頭を撫でてやると、とても気持ちよさそうに目を瞑って嬉しそうにしていた。


 羨望のような悔しいような…。そんな不思議な気持ちを思い出したフレディが、前を行くその背を見上げたところで、サンディアルトはいきなり歩を止めた。


「――やあ、ご苦労様。ちょっと雨宿りさせて欲しいんだけど、構わないかな」


 大きな屋敷の正面門の哨舎前にある、雨よけの小さな屋根の下。いつの間にかそこに着いて、歩を止めたサンディアルトは門兵に後ろから声をかけた。


「はい。どう、ぞ、え、――サンディアルト様!?」


 門兵の彼は返事をしながら声のした方に振り返り、そこにいる人物を目に留めると驚きを露わにした。


「今までどちらに…、ああ、そのままでは風邪を召されます」


 ずぶ濡れの二人を交互に見やり、困惑したように狼狽える。


 けれどそこは、さすが公爵家の敷地を守る兵と言うべきか。驚いたのは最初の一瞬で、その驚きを彼はいつまでも引き摺らなかった。


 お待ちくださいと言い置いて門のそばにある哨舎の中に消えた彼は、タオルを二枚と傘を持って再び現れた。差した傘をフレディの頭上に持って行くと共に差し出されたそれを受け取って礼を言うと、にこりと微笑まれた。


「ありがとう。ところで母上は今屋敷にいらっしゃるのかな」


「ええ、本日はどこへも行かれてはおりませんが…。屋敷へ戻られるのでしたら馬車をお呼びいたします。お待ちください」


「いや、構わないでくれ。その代わり、この傘を貸してもらえるかな」


「え? ええ、それは構いませんが…」


「ありがとう。あ、あと言わなくても分かっていると思うが…」


「はい。他言はいたしませんので、ご安心を」


「さすがだ。いつも助かるよ。さ、行こうフレディ」


「え? え? や、あ、あの…」










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