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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その4.逃げること、逃げ続けること。
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06









 最悪だ。


 盛大な舌打ちを聞いたフレディは、己の失態を素直に謝罪した。


「す、すみません……」


「…いいから手を動かせ」


「うぅ、…はい」


 しゅんと落ち込んで謝罪をすると、アリアディスはため息を隠しもしないで吐き捨てた。


 怒っているような態度だけれど、本当に怒っているわけではないと知っているフレディは、言われたようにさっさと手を動かす。


 姉の婚約パーティーから数日、この数日フレディは失敗の連続だった。


 理由は分かっている。


 あり得ない勢いで八つ当たりをして子供みたいに喚き散らしたことに、冷静なってくると羞恥しかなく、冷静になったことで自分の情けなさまでより鮮明に思い知ってしまった。そのことばかりを気にして、手元がお留守になっているからに他ならない。


 そしてアリアディスはそんな失敗の数々に、またかという呆れの意味で盛大な舌打ちをしたに違いない。


 上司の前で、特に何があったわけでもないのにいきなり盛大にぶちまけた大量のキノコを、哀愁漂う背中を醸しながらせっせと拾うフレディを見かねて手伝ってくれているのが、彼が本気で怒っているわけではない証拠だった。


 それどころか、いつにない失敗を繰り返すフレディを本気で心配してくれているようだった。


 本当に困った顔でこんなことを言うのだから。


「お前、この前から変だぞ。溢れるほど茶を注いだり、意味不明な言語の報告書を出したり。挙げ句の果てには食事してないことを忘れるとか…。それとも俺が知らなかっただけで、何もないところで躓くようなタイプの人間だったのか?」


「いえ、決してそのようなことは…面目ない……」


 揶揄でもなんでもなく、何もないところで躓いてこけるのは、ここ数日フレディの十八番だった。


 そして何より周りを引かせたのは、そのあと何をするでもなく黙ってむくりと起き上がり何事もなかったかのように歩き始める姿にあった。その姿はふらふらとおぼつかない足取りで、それでも目だけは虚ろだが真っ直ぐ前を見ているというある種の異質さがあったという。


 いつもフレディを遠巻きに見ている人たち曰く、その姿は別の意味で目で追ってしまうほど異様だったというのだからきっとそうなのだろう。


 ぼーっとしていてお茶を零すほど注いでしまったり、うわのそらで作った報告書は自分でさえ読めないものだった。


 そして極めつけは、アリアディスが飼育所に来たときだった。


 剥いだ竜の古い鱗を虚ろに見つめながら、パキパキと手で粉々に割砕いているフレディの姿にアリアディスは珍しくも唖然と言葉を失ったらしい。あれを見られた日から、彼は本気で心配を匂わせるようになったと思う。


 フレディから言わせてもらえば、別に狂気に目覚めたわけではなく考え事をしている内に手が勝手に動いていただけだったのだが、その様は異様だったと、あのアリアディスが恐怖を感じているっぽい顔で言うほど、実際相当だったのだ。


 心配してくれているのは分かるけれど一向に浮上しない気持ちはどんどん沈む一方で、どうすれば持ち上がるのか見当も付かなかった。


 いろんなことをぐるぐる考えすぎて、最早何に対して鬱っていたのか忘れかけている自分が心底情けない。


 けれどこれは、時間が解決してくれる、とは行かないこともフレディは薄々分かっていた。


「…あ、そういえばアリアン様、この間はありがとうございました」


 手を動かしながら、弱々しい顔のフレディは数日前のことを思い出してアリアディスに礼をした。


 もちろん改めてお礼をするつもりだが、とりあえずあの問題パーティーでのお礼を述べておきたかったのだ。その後のことに気を取られて、お礼さえまだ言っていなかったことを今思い出した。


 助かった事実以上に、味方をしてくれたことをとても嬉しく思っていたのだ。


「この間? なんの話…、ああ、あのパーティーのことか?」


「はい。おかげさまで大した被害もなくですね…」


「気にするな。あれはお前の所為ではないだろう。…というか、むしろ俺の方に責任があったようなものだからな…」


「は?」


「…なんでもない、気にするな」


 なんでも無いことのように言って手元に視線を戻したアリアディスだったけれど、フレディは逆に顔を上げてアリアディスを見た。


「いいえ! 私、嬉しかったんです。あの時味方になってくれたの、アリアン様だけだったから…だから、ありがとうございます」


 へへと照れたような弱々しい笑みを浮かべて言うと、フレディはさっさと視線を手元に戻したが、逆にアリアディスは目に見えて驚いた顔をした。


 事実フレディが、他人の行動に対して嬉しかったと喜悦の感情を口に出したのは初めてだった。少なくともアリアディスが知っている中では初めてだったのだ。


 あまりにも素直なその言葉と表情に、思わず言葉を失った。というのが正しかった。


 そして長いため息を吐いたアリアディスは、ぼそりと呟く。


「…そういう所が、あいつは気に入ったんだろうな」


「…?」


「なんでもない。それよりあれからどうだ? 変わったことはないか?」


「…? はい、特には何もないと思いますけど…」


「そうか。ならいい」


 そう言ったのを最後に、特に会話もないまませっせと拾いものを集めると思いの外早く片付いた。


「…何があったか知らんが、とにかくお前はその気もそぞろな状態をなんとかするんだな。なんとかなるまでここへは二度と来るな」


「…え?」


 自分の机に付きながらしっしと犬を払うように追い出そうとする上司に、フレディは驚愕の視線を向ける。


 それはお役御免を嘆いたのではなく、言葉の裏にある気遣いに気がついたからだ。


 気になることがあるならばそっちを優先させろと言ってくれたのだと分かって、思いもよらず感激したフレディはそれをどう言葉にすればいいか分からず口を噤む。


 もごもごと下を向くフレディに、アリアディスはにやりと不敵な笑みを浮かべて言った。


「今度は拾うのも困難なものをぶちまけられても困るからな」


「…! も、もうしませんよ…!」


 からかわれたと悟ったフレディは思わずかっと頬が赤くなった。


 しょうもない失敗を、それでも笑い飛ばしてくれたアリアディスは忙しい仕事の手が止まったのにもかかわらず、フレディを怒鳴らなかった。というか、この上司に本気で怒鳴られたことは一度だってない。


 寛大な上司に優しいだけが優しさじゃないことを改めて学んだフレディは、素直にその言葉を受け取ることにした。










 ――またしても、盛大な舌打ちをされてしまいました。


 上から見下す顔は苛立ちに満ちていて、縮こまるフレディには大きすぎるほど大きく見えた。その口に咥えられた煙草から登る紫煙さえも威圧的に感じる。


「――今更どの面下げてきたんだ? ああ?」


 今度は怒鳴られてもしまったフレディは、再び小さくなって謝罪した。


「す、すみません……」


 だがそれさえも相手は気に入らなかったようだ。


「俺に謝ってどうすんだよ。テメェの腕だろうが。ったく…いったいどんだけ人の言うこと聞かねぇんだよ。その腕切り落とされてぇのか」


「いえ、決してそのようなことは…うう…」


 今度は本気で涙を流して泣いたフレディは、俯いて嘆く。


 怒られたことが悲しいのではない。どこへ行っても何をしても怒られるしかない今の自分に対して涕泣したのだ。


 診察用の椅子に腰掛けたフレディの腕を見て、怒りを顕わにしたのはあの日受診するはずだった診療所を開設している医師のギースだった。


 絶対寝起きだろ、と言い切れる出で立ちで白衣だけ羽織った彼は、とてもではないがその白衣がなければ医者になど到底見られない姿の人間だった。


 若いのか古いのかよく分からない顔をして、よれたシャツはそのまま寝ていたんじゃないかというほど草臥くたびれている。いつ散髪をしたのか不明なほど伸びた漆黒の髪は寝癖しかない。


 その髪から僅かに水滴が滴っていることから顔は洗ったのだろうと分かるものの、無精髭が浮かんだままではそれもすこし怪しかった。


 いや、別に見た目で人を決めつけるわけではない。ギースの腕が確かなのはフレディだって身を以て知っているのだ。


 そこにケチを付けるわけではないが、せめてもう少しなにか、なにかないのだろうかと思ってしまうのは、自分が所詮その程度を気にしてしまうしょうもない人間だからだろうか。


 そう思うフレディの顔は、なんとも言えない理不尽な気持ちに支配されていた。


 確かに言いつけを守らなかったのはフレディだし、そんないい加減な態度しか取れない人間に自分の時間を取られたも同然となれば怒るのは当然だろう。


 しかしその格好では、凄みはあっても威厳が全くない。


 とても残念だ、とどこか他人事に捉えている頭の片隅でそんなことを思っていた。


 昼前の太陽が高く昇る頃、その叩かれた戸をガチャリと開けた先にいるフレディを見た瞬間、鬼のように怒気を滲ませたこの人が言った言葉が最初の言葉だったのだが、どうしてもその不機嫌の理由は『こんな時間に起こしやがって』と言っているように見えて仕方なかった。それは偏に、その出で立ちが大きな原因だとフレディは確信している。


 その背後にはなんだか黒く燻る何かが見えるような気がするが、それさえも一体何に対してその怒気を滾らせているのか甚だ疑問である。


 それでも罪悪感に戸の前で小さくなって謝るフレディに、短く来いと言うとギースは一人さっさと奥へ引っ込んでいった。慌ててその背を追いかけると、座れとも言われていないのに突っ立ってることを怒られた。


 慌てて診察椅子に腰を下ろすと腕を取られて巻いていた包帯を取った途端に、すでにできていた眉間の皺がもっと深くなったというわけだ。


「テメェは俺の言うこと聞いてなかったのか? ほっとくと治らねぇって言ったよな?」


「はい、しかと覚えております…」


「じゃなにか? テメェは治す気がねぇってことでいいんだな? じゃあ、とっとと帰れ」


 ぱっと腕から手を放されて、がんとショックを受けたフレディは不満の声を漏らす。


「そんな……!」


 見捨てないでくれと目で訴えるフレディを、ギースは冷めた目で切って捨てた。


 煙草の火が僅かに燃えて先から徐々に灰に変えていくのを、沙汰を待つような気持ちで見つめる。それでもギースの冷たい視線は変わらなかった。


「俺は治す気のねぇ患者の傷を見てやるほど暇じゃねぇんだよ。その程度の努力しかできねぇなら他を当たんな」


「ううう…」


 しゅんと肩を落として落ち込むフレディは、それ以上の文句を言うことなくいっそう小さくなった。


 その様に、いつもならもっと反撃が返ってくるのにと不思議に思ったギースはこの時初めてフレディの顔色を見た。


「………」


 その言われっぱなしで沈む顔色に珍しくも本気で落ち込んでいるらしいことを悟って、じっとそのつむじを見ながら無言で煙草を吸い込む。


(…何があったのか知らんが)


 それさえもどうでもよかったということかと思うと、呆れるような怒りたくなるような複雑な気持ちになった。どちらにせよ、折角施した治療が無駄になるのだけは許せない。


 フレディは軽く見ているようだが、その傷はもう少し深くまで届いていればもう二度と満足に動かなくなっていたかもしれない状態だった。治療したこっちの方が、元通りになることはないだろうと諦め半分の気持ちだったのは一生秘密だが、いかんせん驚く速度での治癒力を見せられて愕然としたのだ。


(猿か、こいつは)


 顔には出さず、心の中でそう呆れたのは記憶に新しかった。


 猿の自己治癒力が人間より上だという意味ではなく、野生じみた部分に対する比喩的表現に猿と思っただけだった。おそらくフレディが、治癒力以外でも猿と表せるらしいと聞いたせいでぱっと思い浮かんだだけだ。…と思う。


 ギースの危惧は無意味に終わり、明確なことを言わない医者に対してフレディは不安だったのだろう。それを見かねて安心しろと言ったのが失敗だったと悟った彼は、今後フレディに対しては少しくらい脅しておく方がいいということを学んだのだった。


 よれよれに薄汚れた包帯をちらりと見て、どうせろくに手入れをしていなかったんだろうと思ったギースは、はあ、と一つため息をついて頭を掻き、どかりと再び椅子に腰を下ろした。


 そうしてフレディの手を取って、僅かに膿が滲むその傷に視線を落とす。


「ちゃんと毎日巻き直せって言ったのに…いったいいつからほっといたんだ?」


「え、えっと…」


 視線は腕に落としたまま問いかけるギースに、フレディは必死に思い出そうと思考を巡らせた。


 そういえばいつから手を加えていなかっただろうかと、考えて数秒。


「そういえば、風呂に二日入っていない気がします……」


 風呂に入った記憶がそもそもないことに気がつく。そしてそれを今思い出したというように神妙な顔でフレディは言った。


 だから包帯の存在を忘れていたのかと自分では納得したのだが、正直に答えたフレディにギースはその深い眉間の皺を解くようにぽかんとした顔を見せた。


 徐々に燃えて灰に変わる煙草が、落ちてしまいそうなほどその口が開いていて、言葉も無いといったようだった。


「…お嬢様はもうちっと綺麗好きなのばかりかと思ってたんだが…」


 そしてしっかりと一拍おいて、静かに煙草の灰を灰皿に落としながらなぜかフォローめいたことを口にした。


 呆れた空気の中になぜか哀れみのようなものも滲んでいる気がして、余計にいたたまれなくなる。


「め、面目ない……」


 もうそれしか言えなかった。


 自分では気付かないけれど、もしかしてちょっと臭うのだろうか。


 だからちょっと『ああ、納得』みたいな顔をされたのだろうか。


 そんな視線に小さくなりながら、今日は絶対に風呂に入ると心に誓った。


 というか、そもそもそんなことを忘れるなという話なのだ。お嬢様云々以前の問題である。


 そう至った原因が脳裏に浮かんで、無意識にはあ、と長く重たいため息が出た。


 そんなフレディにギースは世間話をするように軽く問いかける。


「それで? 珍しく何をそんなに落ち込んでんだ?」


「珍しくって…」


 まるで悩みも何もない人間のように認識されているようで、心外だとむくれたフレディはじっと処置をしてくれている様を、何を思うでもなく見つめて数秒、ぽつりと呟いた。







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