第21話 いつか、ふたりで
「あなたがお店を引き継いでくれればいいのに」
「え?」
リアンが目を瞬いた。
「そうだね」
ロベルトも頷く。
「君たち二人が、この店を大切に使ってくれるなら、私たちも嬉しい」
「私たち二人って……」
リアンの耳が、ぴくりと動く。
「べ、別に、そういう関係じゃないし」
「あら、恋人同士じゃないの?」
ティエールは穏やかな笑顔のまま尋ねた。
「ち、違います!」
「彼氏の働く場所に付き添って来ているのに?」
「か、彼氏じゃないですって!」
「では、どうして一緒に来たの?」
「そ、それは……」
ティエールは優しい。
声も穏やか。
笑顔も美しい。
なのに、逃げ道を一つずつ丁寧に塞いでいく。
いいぞ、奥さん。
あなたならリアンに勝てる。
そのままチューの真相まで聞き出してください。
俺は食器箱を抱えながら、心の中で熱い声援を送った。
「私たちも、昔は冒険者だったのよ」
ティエールがロベルトを見る。
「旅をして、いろいろな町へ行った。でも、いつかは二人でゆっくり暮らしたいと思うようになったの」
ロベルトが照れたように笑う。
「私たちには寿命の違いがあるわ」
ティエールは続けた。
「それでも、彼が生きている間は、彼の人生に付き添おうと決めた。彼の物語が終わるまで、隣で一緒に歩いていくって」
リアンが黙る。
俺も手を止めた。
なんか。
素敵な話だ。
寿命が違うからこそ、同じ時間を選ぶ。
別れが来るとわかっていても、それまでの人生を一緒に過ごす。
中学生の俺が書いた設定資料には、種族ごとの平均寿命が細かく記されていた。
だが、その違いを背負って生きる夫婦の気持ちまで、考えたことはなかった。
「まだ、この店の買い手は決まっていないんだ」
ロベルトが言った。
「手付金さえ払ってもらえれば、店の権利と残した設備を譲ることができる」
喫茶店か。
悪くはない。
今抱えている問題に決着がつき、本当の意味で平穏が訪れたなら。
ミミルや女将さんがいる、この町で暮らす。
朝は店を開ける。
昼は紅茶やコーヒーを出す。
夜は酒と簡単な料理を出す。
リアンは紅茶を担当。
俺は料理と力仕事。
ポムも、いつか店の裏で飼えるかもしれない。
それ。
かなりいいんじゃないか?
というか、絶対それがいい。
世界を救うとか。
竜帝と戦うとか。
教会に異端審問されるとか。
そんなものより、よほど魅力的だ。
ただ。
リアンはどう思うだろう。
どうせ嫌がるに決まっている。
「ど、どうする?」
隣から、か細い声が聞こえた。
「え?」
俺はリアンを見る。
「どうするって?」
「こ、このお店よ」
リアンは視線を泳がせた。
「だって、おしゃれで綺麗だし。紅茶も出せるし……私は、その……ちょっと思ったの」
「な、何を?」
足を踏まれた。
ザインハルトの身体なので、痛くはない。
でも、痛い。
精神的に。
「こ、ここでお店をするのも、悪くないって思っちゃったの!」
直球だった。
そんな真っ直ぐに言われると、こっちが照れる。
後ろでは、ロベルトとティエールがめちゃくちゃニヤニヤしていた。
やめてほしい。
あの二人の空気が完全に、若い男女の将来を見守る夫婦になっている。
女性は、こういう状況を気にしないものなのだろうか。
リアンも相当恥ずかしそうにしている。
つまり気にしている。
そのうえで、俺へ答えを求めている。
今、この質問に俺が返事をするのか?
告白すらしたことのない、30歳のチェリーボーイが?
いや。
もうボーイですらない。
チェリーマンだ。
なんだか筋肉超人みたいな名前になった。
「正直に言うと」
俺は荷物を床へ置いた。
「俺も、ちょっと思った」
リアンが俺の顔を見上げる。
頬が上気している。
エメラルド色の瞳が潤み、期待するように揺れていた。
やめて。
そんな顔で見ないで。
可愛すぎて卒倒しそうだ。
「いや、ほんと、今ふと思っただけで。その、具体的なことは何もわからないけど」
「うん」
「俺、喫茶店で働いたこともないし」
「うん」
「料理も人に出せるようなモノができるかわからないし」
「うん」
「接客は家電量販店でやってたけど、異世界の喫茶店にポイントカードがあるかもわからないし」
「何の話?」
「とにかく」
俺は一度、息を整えた。
「俺も、この町で暮らすのは悪くないって思ったんだ」
「ハルト……」
「でも、少し先の話だよ。俺には確かめたいことがいろいろある。それが全部済んで、本当に落ち着けたらってことで」
「……そうね」
リアンの顔にちょっとだけ影がさす。夢から覚めたように、はっとする。
「私にも……しなければいけないこと……あるんだった……」
そういえば断絶の神殿でも言っていたな。
ヴォルガサイト以外の目的。
あのとき、それは達成されたのだろうか?
リアンがいつか話してくれるのだろうか。こちらから聞かないと言った以上は、蒸し返す話でもない。
「あとは、手付金か」
気分を変えて俺は努めて明るく言ってみる。
現実的な問題へ戻ろう。
「ちなみに、おいくらですか?」
「100グライスだ」
ロベルトが答えた。
100グライス。
日本円換算で、およそ150万円。
どこにそんな金がある。
夢のある会話が、即座に資金繰りの話へ変わった。
俺はリアンへ顔を寄せ、小声で尋ねた。
「ヴォルガサイトの報酬、手が届きそうか?」
「まだ正確な金額はわからないけど、かなり高額になるはずよ」
「俺の取り分、全部使ってもいい」
「え?」
リアンが驚いた顔で俺を見る。
「いいの?」
「ふ、二人で店をやるなら、結局は一緒のことだろ」
「そ、そうよね」
「共同経営者なんだから」
「そう。共同経営者」
「ビジネスパートナーだ」
「ええ。あくまでビジネスの」
互いに必死で、甘い空気を商取引へ変換する。
ロベルト夫妻のにやにやが、さらに深くなった。
「報酬額はわからないけど……何とかなるんじゃない?」
リアンの声には、少しだけ希望が戻っていた。
「私たちは明日の朝、王都へ出発する予定なの」
ティエールが申し訳なさそうに告げた。
「それまでに契約できれば、一番いいのだけれど」
「明日の朝……」
無理だ。
俺たちは町の外へ出られない。
王都へ行って戻る時間もない。
そもそもヴォルガサイトの報酬が支払われる時期すら決まっていない。
「まあ、そう落ち込むことはないよ」
ロベルトが慰めるように笑った。
「別に先約があるわけじゃない。もしかすると、しばらく空き店舗のままかもしれない」
大通りに面した、立地のいい店舗。
内装も綺麗。
設備も一部残る。
そんな物件が、長期間空いているとは思えない。
リアンの耳が、わずかに垂れ下がった。
わかりやすい。
ちょっと可愛い。
いや。
なんとかしてあげたいな。
◇
最後の木箱を馬車へ積み込む。
荷台には椅子や食器、茶葉の樽が隙間なく並んでいた。
「本当に助かったよ」
ロベルトから報酬を受け取る。
1グライス。
この作業を100回繰り返せば、店の手付金へ届く。
労働は尊い。
そして、夢は遠い。
「王都では、どこに店を出すの?」
リアンが尋ねた。
「第五街区だよ」
「ほんとに?」
リアンの表情が一気に明るくなる。
「すごい! あの五番街にお店を出すなんて!」
「そんなにすごい場所なの?」
王都の見取り図や設定がすぐには浮かんでこない。あとでちょっとじっくり王都のことを思い出してみよう。
「王都中央の五番街といえば、高級店が集まる一等地よ」
リアンが身を乗り出す。
「世界中の珍しい品や、最高級の料理が集まるって言われてるの。貴族や大商人だけじゃなくて、美しい街並みを見るために観光客まで来るんだから」
「へえ」
「王都中央の第五街区には、世界中の贅が集まるとも言われています」
横から、凛とした女性の声が加わった。
「石畳や街灯に至るまで美しく整備され、夜になれば昼間とは異なる華やかさを見せる。店を構えることができれば、商人として一つの成功を収めたといえるでしょう」
振り返る。
白銀の甲冑。
純白の外套。
青みがかった長い黒髪。
オルセリア・ブラジネットが立っていた。
「だ、団長閣下!」
ロベルトとティエールが慌てて姿勢を正す。
「楽にしてください」
オルセリアは二人へ柔らかく微笑んだ。
「今日は公務でお二人を訪ねたわけではありません。どうか、お気遣いなく」
にこやか。
優しい。
完璧な騎士団長の笑顔である。
そして、俺へ視線を向けた瞬間。
表情が永久凍土なみに冷ややかに固まる。
なんで俺には微笑んでくれないの?
「ハルト殿」
「はい」
「お話があります」
声まで一段低くなった気がする。
リアンが即座に俺の前へ出る。
「今度は何よ」
完全に敵対心を剥き出しにしていた。
「申し訳ありませんが、リアン殿には関係のないことです」
オルセリアは、あくまで丁寧に返す。
「これは一人の剣士として、ハルト殿とその技量について話をしたいと申し上げているだけ。ご理解いただけませんか」
言葉遣いが丁寧すぎて、言い返しにくい。
リアンも口を開きかけたが、反論の言葉が見つからないようだった。
「少々、お付き合いいただきたい。ハルト殿」
「ハルト……」
リアンが心配そうに俺を見る。
「行ってくるよ」
俺は安心させるように笑った。
「大丈夫。女性に怒られるのは、リアンで慣れてる」
「ばかっ!」
背中を叩かれた。
一日のうちに、白耀騎士団から二度の呼び出し。
高校生だったら、超問題児もいいところである。
午前中は、生活指導のデーリック先生。
午後は、教頭のオルセリア先生。
別々に呼び出され、それぞれ個人面談。
次は保護者召喚だろうか。
俺の保護者は誰になる。
リアン?
絶対に面談中に先生と喧嘩する。
内申点は絶望的だ。




