第47話 犬トリーテッド②
長身の犬トリーテッド。
竜崎大地という、考古学者。
「……じっとしてろよ。少しでも動くと皮膚まで持っていかれるぞ」
「離しなさい! どこを触っていますの、このドブ犬がっ!」
診察室の一角。
秋人と文が、レイの翼を固めているピンク色の塊と格闘していた。
「口悪っ」
秋人が指先に力を込め、ガチガチに硬化したシリコンの端を慎重にめくり上げる。
「どこ触ってるって……カチカチのシリコンだよ!」
「はぁ?」
「翼の付け根を剥がさないと、お前ずっとそのままだぞ」
「もっとこう、レディを扱う作法というものがあるでしょう!? 指が、指が食い込んでますわ!」
「文句言うな。文、そっちの剥離剤を流し込んでくれ」
秋人の言葉に、横から文が面倒そうにボトルを傾ける。
「了解。これ、特別なシリコン製だからね。吸着力が半端じゃないから、ゆっくりいかないと」
「シリコンとか、入れてませんわよ! 私は天然の、正真正銘の……!」
「ああもう、マジで面倒くせぇな、こいつ……」
「整形の話なんかしてないよ。……っていうか、興味ないし」
秋人が渾身の力でシリコンの塊を引き剥がす。
「興味もちなさいよっ。イケメンの方はっ」
「方はってなんだよっ」
パキパキという乾いた音と共に、ようやく拘束が解けた。
その瞬間、レイの背中から生えていた巨大な翼が、霧が晴れるようにスッと形を失っていく。
鋭い鳥の趾に変貌していた足先。
それも、瞬く間に白く細い人間の指へと戻っていった。
「……ふぅ。ようやく抜けた」
秋人は額の汗を拭い、ふと足元に転がっているレイを見て眉をひそめた。
「って、お前。……翼があれだけ突き破ってたのに、服、全然破れてないぞ。どうなってんだそれ」
小鳥遊レイは乱れたスカートの裾を整えながら、誇らしげに胸を張った。
「当然ですわ。私のこれは一張羅……ではなくて、サスティナビリティですわ」
「……サスティナビリティ? 単に新しい服を買う金がもったいないだけじゃなくてか?」
「な、何を失礼なことを! このドレスがどれだけ高価か……!」
「その前に、さ。変異解除したら、抜けたんじゃない?」
「はぁ? そんなわけ……。う、美しい姿の方が、お……王子様も助けがいがあったわよね」
秋人が微妙に複雑な視線を送る。
そんな中、診察室の奥では透子と絵里奈がモニターを睨みつけていた。
「文、秋人。そっちの漫才が終わったなら、こっちに来なさい」
透子の鋭い声が飛ぶ。
モニターには、絵里奈が抽出した
竜崎の接触先企業リスト——がずらりと並んでいた。
「竜崎が名刺を配り歩いていた企業、すべて洗い出しました」
絵里奈が画面をスクロールさせる。
「製薬大手から軍事産業のフロント企業。日本から海外まで様々です。そして、共通点が一つあります。どこも『鷲羽山研究予算』を打ち切ろうとしている……と、噂がある企業です」
「打ち切る……。なるほどね」
透子が不敵に笑う。
「教授を尊敬しているフリをしながら、一番いいタイミングで研究成果を売る。そういう約束があるわけ、ね」
レイはその画面を凝視し、ギリッと唇を噛み締めた。
彼女の横顔には、隠しきれない動揺と怒りが浮かんでいた。
自分たちの信じる「聖域」が内側から腐り始めていることに気づかされた、
「それと。院長、もう一つ気になるデータがあります」
不意に、絵里奈がキーボードを叩く手を止めた。
医院の壁に新たなウインドウを展開した。
「竜崎のSNSの裏アカウントの通信履歴と、資金移動のダミー会社の情報を照合しました。彼が最も頻繁にコンタクトを取っている、本命と思われる協賛企業です」
「それって……」
画面の中央に、ある企業のロゴと名前が大きく拡大表示される。
『ゼンジーコーポレーション』
「……ゼンジーコーポレーション?」
秋人が首を傾げた。
「なんだその、胡散臭い手品師みたいな? へんな名前の会社は」
「巨大多国籍企業『願禅寺』のフロント子会社ですよ」
「え? えと願禅寺って」
絵里奈は、淡々と即答する。
しかし、その「願善寺」という名前が出た瞬間。
透子の顔からスッと余裕の笑みが消え失せた。
隣にいた文の表情も、能面のようにこわばる。
「……願善寺に、竜崎が?」
透子の鋭い眉が深く顰められる。
冷静沈着で、どんな怪物が現れようとも不敵に笑っていた。
彼女には極めて珍しい、明らかな緊張と動揺だった。
「……確か、協力してるって。あれ、透子先生? どうかしたのか?」
秋人の問いに、透子はしばらくモニターを睨みつけたまま口を開かなかった。
やがて、低く押し殺したような声で答える。
「前にも説明したでしょ。……願善寺は枢木院の協力をしてて」
「で、そこに竜崎が、逃げる? 次の就職先……って」
国際的な巨大な企業への就職。
約400万の借金なんて、一年かからずに返せそう。
なんて、目に¥が二つならぶ。
でも、病院の空気は冷え切っていた。
「今は医療からインフラまで幅広く牛耳る。巨大カンパニーとして世間に知られているわ。でも、そのルーツを辿れば歴史ある強大な寺社勢力……私たち『枢木院』とも、古くから決して浅からぬ因縁を持つ『寺系』の一族よ」
「マジ……かよ。ただの協力企業ってことじゃないのか」
透子の険しい顔に、秋人の背筋に冷たいものが走った。
ただの状況説明とは思えない。
「それじゃあ、竜崎が技術の売り込み先にそこを選んだのは、偶然じゃないってことか?」
「それは分からないわ……」
モニターに映るロゴが、彼女の瞳の中で冷たく燃えている。
「分からないって。先生。だったら、そんなにまずい相手なのか?」
秋人の問いに、透子はゆっくりと診察台の回転椅子に深く腰を下ろした。
白衣の襟元を正し、天井を仰ぐ。
その横顔は、いつもの冷徹な歯科医師のものではなかった。
「平安時代からの縁……」
「鬼退治……してたころ?」
遠くを見つめる瞳は、怒り——いや、なんていうか
「ウチは牙狩り。……牙狩りの枢木院から、もしも、邪歯を持つ者が出た場合、どうするか」
「邪歯……。あ、そういえば透子先生って」
「当然持っていないわ。その答えは古くから決まっている。牙抜き家で邪歯が映えた場合——抜歯して人間として生きるか。あるいは——」
秋人は懸命に透子の口を覗き込んだ。
だが、彼女の名前の通り透き通るような白い歯。
虫歯一本見当たらない。
「あ、そうか。俺の歯も抜こうとしたし……あ、あるいはって……まさか殺……」
「流石にそこまではしないわ。 アナタと同じよ。処置済みとして、あるいは『願善寺の養子』になるかなのよ」
透子は視線を秋人に戻す。
その瞳の奥には、やはり感情が籠っていた。
今度は何となく、匂いで分かる。
「邪歯持ちは枢木院を名乗れない……なんていうか厳しいルール。でも、それって
深い悲しみと、消えることのない怒りが宿っていた。
「今も続いているの。私の兄、枢木院白斗も、その邪歯を持って生まれたわ」
枢木院白斗——ついにその名が出た。
秋人の目が、邪歯が痛んだときくらい、大きく見開かれた。
「白斗……。透子先生のお兄さんだったのか……。って、もしかして」
「文から聞いていたのね。そう。アナタと同じ『犬』のトリーテッドとしてね」
秋人は直ぐに文の方に視線を逸らした。
でも、その文も透子と同じように、何かを押し殺した顔。
いや
「……白斗さんも犬トリーテッドだったの」
古川絵里奈も——
「この病院を私が継ぐことは決まっていた。そして、兄は私を守るために、異能を使うと。……トリーテッドとなることを運命として受け入れた。そしてしきたりに従って、願善寺の養子に入ったのよ」
秋人は言葉を失った。
「そして、アナタがここに来る一年前までは、兄はずっとこの医院にいたわ。私と絵里奈、そして兄の三人でここを回していたの」
「透子先生。ボクもいるよ」
「そうね。後から文も加わったわね」
秘密にされたことを、妬んで声を失ったわけじゃない。
文から、なんとなくだけど聞いていた。
でも、本当になんとなくだった。
「その……白斗……さんは」
「……兄、白斗は死んだの」




