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俺の犬歯が疼きやがる ~保険の利かない戦いがここにある~  作者: 乙女座の一等星
十二支との戦い・後編

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第41話 鳥トリーテッド②

 黒い影が、重力と空気抵抗という物理法則を完全に無視した速度で迫りくる。


 秋人は反射的に足を踏ん張り、絵里奈から渡された巨大な抜歯鉗子


 ――通称『エレベーター』を抜き放ち、頭上へ構えた。


 直後、鼓膜を破るような風切り音と共に、凄まじい風圧が吹き荒れる。


 漆黒のドレスを纏った女が舞い降りる。

 秋の夜気を真っ二つに切り裂いて、秋人と文の目の前へ音もなく着地した。


 信じがたい運動エネルギーの落差によって、分厚いアスファルトがひび割れ、微かに震える。


 街灯の青白い光に照らされ、舞い上がった土煙の中から彼女の姿がくっきりと浮かび上がった。


「この圧……っ、なんだよ、こいつ……!」


 秋人はエレベーターを盾のように構えた。

 そのまま、立ち込める粉塵の向こうを睨みつける。


 佇んでいたのは、北欧神話に登場する戦乙女のような禍々しい神々しさを持つ何か。

 完全な獣への変異を見せていない、端正な「人の姿」の女だった。


 だが、その彫刻のように冷たい顔。

 彼女を間近に捉えた瞬間、秋人の脳裏に記憶が鮮烈にフラッシュバックする。


「……待て。俺、こいつを見たことあるぞ」

「アタシも! 秋人、あの方……学会の時に鷲羽山教授の隣にいた、助手の人です!」

「なんか……」

「お前、感じ変わって……痛っ!」


 絵里奈は医院の入り口から顔を出して、舞い降りた貴婦人の顔を指摘。

 秋人も大きく目を見開いて、彼女の存在を思いだした。


「だまりなさい。汚らわしいヤツ……」


 間違いない。

 あの時は清潔感のあるタイトなスーツを着ていた。

 いかにも高潔な研究職といった風情で、三人を冷たく値踏みしていた女だ。


 二人の背後から、静かな、けれど地を這うような低い声が響いた。


「小鳥遊、レイ……。鷲羽山先生の愛弟子が、こんな辺境の町医者で何をしているのかしら」


 枢木院透子が、純白の白衣を翻してゆっくりと一歩前へ出る。

 そのレンズ越しの目は、かつての同門を見るような温かさは微塵もない。


 ただ自身のテリトリーへの侵入者を、排除せんとする冷徹な退魔師のそれだった。


「動いてるって言ってたやつか。小鳥遊レイ……。なんで学会の助手が、そんなコスプレみたいな格好して、あんな鉄塔の上から飛び降りて無事なんだよ!」


 秋人の叫びを、レイは虫けらを見るような冷徹な一瞥で切り捨てた。

 彼女の灰がかった長い髪が、夜風にさらさらとなびく。


「……不浄な犬が、気安く(わたくし)様の名を呼ぶなど不快の極み。鷲羽山先生が仰った通り、あなたたちは存在そのものが神聖な医療への冒涜ですわ」


 レイは黒い手袋をはめた細い指先を、秋人の喉元へ向けて真っ直ぐに突き出した。


「学会での私は、あくまで仮の姿。今の私は、あなたという社会の病巣を根こそぎスケーリングするための、ただの『清掃員』に過ぎませんわ」


 彼女が静かに口を開く。

 その整った唇の端から、人知を超えた鋭さを持つ長大な「邪歯」が白く覗いた。


「準備はよろしくて? その汚らしい犬歯ごと、一気に削ぎ落として差し上げますわ」


 ◇


 小鳥遊レイは、漆黒の羽衣を、ストールを愛おしそうに撫で、冷酷な嘲笑を浮かべた。

 その灰がかった髪が、毒を持った血管が透けるように、毛先から鮮烈な「赤」へと染まっていく。


「……ディジーザー化する気か……っ?!」


 秋人がエレベーターのグリップを握る手にぐっと力を込めた、その瞬間だった。

 レイの纏う羽衣が、まるで意志を持つ生き物のように脈打ち、内側から爆発的に膨れ上がった。


「驚きね……。ディジーザーとトリーテッドの区別もつかないなんて」


 無数の黒い羽が突風と共に夜風に舞う。

 そして


 彼女の背後で、巨大な一対の猛禽類の翼へと再構成された。

 バサァッ、と羽ばたくたびに、周囲の空気が重くきしむ。


「先生の夢を汚す不浄なもの……。すべて、私が消し去って差し上げますわ」


 彼女の瞳が、高みから獲物を捉える猛禽のそれへと変貌する。


「やっぱディジーザーじゃん」

「秋人。駄犬。少し黙れ……」



 それは治療という名の、あまりに一方的で狂信的な「断罪」の始まりだった。


 一瞬にして再び上空へと舞い上がり、月を背にして急降下してくる黒い影。

 トリーテッドを仰ぎ見ながら、文が鋭い声で指示を飛ばした。


「エリちゃんは中へ! ここはボクと駄犬で食い止める!」

「でも! アタシだって戦えるよ!」


 絵里奈が、ポケットからスケーラーを取り出して反論の声を上げる。

 だが、文は空の一点から目を離さず、さらに語気を強めた。


「ボクたちの後ろには先生がいる! あいつの狙いが『枢木院の排除』なら、真っ先に狙われるのは透子さんだ。先生を守るのが先決だよ、エリちゃん!」


 その合理的な言葉に、絵里奈は奥歯を噛み締めて一瞬だけ躊躇した。

 しかし、すぐに決然と頷き、医院の入り口へと走り出す。


「……分かった。秋人、ふみくん、絶対に死んじゃダメだよ!」


 絵里奈が透子を連れて、院内に隠れる。

 透子も奥へ退避するのを確認し、秋人はエレベーターを正眼に構え直した。


「……随分と物分かりがいいな、文。それで、俺はどうすりゃいいんだよ」

「決まってるだろ、駄犬。お前はただの『肉の盾』だ」


 文は冷たく言い放つ。


「あいつの超高速突進を、そのなまくらで真っ正面から受け止めなよ。ボクがその隙に、あのお高くとまった鳥の墜落軌道を弾き出してあげるからさ」



 上空。

 月光を背にした小鳥遊レイが、巨大な翼を槍のように鋭く畳んだ。

 大気を切り裂く轟音と共に、猛烈な急降下を開始する。


「う蝕治療の開始ですわ!」


 頭上から迫るレイの黒ドレスが大きく翻り、その裾から彼女の「武器」が露わになった。

 それは人の形を捨て、鋼のように硬く鋭利に研ぎ澄まされた鳥の(あしゆび)だった。


「文……どういうことだよ」

「何が?」


 鈍い銀光を放つその三本の巨大な爪が、秋人のエレベーターを目がけて一直線に突き立てられる。


 ドォォォォォン!!


 医院の前のコンクリートが、衝撃波で円形に爆ぜて陥没した。


「ぐっ、あああああぁぁぁぁっ! やっぱディジーザーだろっ」


 秋人の両腕に、これまで経験したことのない異常な重圧がのしかかる。

 鋼鉄のエレベーターの刃と、レイの異常発達した趾が激突し、散った火花が夜の闇を白く激しく照らした。


「コントロールされてるか、されてないかだよ。キミは本当に頭が悪いね」

「うるせぇ」


 超上空からの一撃は、凄まじい運動エネルギーが発生する。

 秋人の両足が数センチほどアスファルトにめり込んでいく。

 そして、全身の骨が悲鳴を上げるが、同じくトリーテッドの力で持ちこたえる。


「……あら、よく耐えましたわね。ですが、獲物を掴んだまま握り潰すのが、猛禽の狩りですわ」


 レイは翼を強く打って、空中を滞空する。

 その時、秋人の剣を趾で掴み、さらに尋常ではない握力を込める。

 ギィ、ギィ、と分厚い金属がひしゃげるような嫌な音が、深夜の住宅街に響き渡った。


「コントロールって。コイツの見た目」

「――チッ。やっぱり、そこで押し負けるか」


 背後で文が、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。


「ってか……文、今だろ! 早く、仕掛けろよ……っ!」


 歯を食いしばり、顔から滝のような汗を流す秋人。

 犬の悲鳴に近い叫びに、文は冷酷な言葉を投げつける。


「言われなくても分かってるよ。……あーあ」


 文は、これ見よがしに深く溜め息をついた。


「白斗さんがいたら、今の一撃を受け流した瞬間に、もうあいつの喉笛を掻っ切ってたのにな」

「く……またソレかよ……」


 秋人はこんなにも、何も知らない。

 それがそのまま、白斗という存在を浮き彫りにしていた。

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