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俺の犬歯が疼きやがる ~保険の利かない戦いがここにある~  作者: 乙女座の一等星
十二支との戦い・後編

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第35話 猿トリーテッド②

「技工士」

「ラボの職人」


 ――その言葉から、俺の脳裏にあるビジュアルが浮かび上がる。


 頑固で無口な、立派な顎髭を蓄えた職人気質の爺さんの姿だ。

 そして、その気難しいお爺さんに、孫のように懐く……絵里奈。


「もしかして……絵里奈がこの前の学会の時に、キョロキョロ探してたのも、その職人さんだったのか?」


 俺が尋ねると、絵里奈は頬を染めてパッと嬉しそうに笑った。


 やはりそうか。

 ニコニコと笑う絵里奈。

 彼女を、目の中に入れても痛くない孫のように扱い、デレデレと可愛がるお爺さん。


 うん、そう、きっとそうに違いない。


「絵里奈も、その爺さんに色々作ってもらったのか?」

「うん! アクセサリーとか!」


 俺は腕を組んで、さらに想像を膨らませた。

 技工士といえば、金属の鋳造や削り出しだ。

 薄暗い工房の奥、赤々と燃える炉の前で黙々とハンマーを振るう、さながらファンタジーのドワーフのようなお爺さん。


「うん!」


 そして、その仕事の片手間に作ってくれた繊細な銀細工を喜んで受け取る、エルフのように愛らしい絵里奈。


「なるほどなるほど」


 すごくしっくりくる。微笑ましい光景じゃないか。


「 ふみくんだよ!」


 ――カラン。


 その時


 待合室のドアベルが、どこか不協和音のような、軽快すぎる音を立てて鳴った。


 自動ドアが開き、一人の男が入ってくる。


 金髪の優男。

 無造作にくしゃっとセットされた、今どきの洗練されたスタイル。


 誰……?


 雑誌から抜け出してきたような整った顔立ち。

 体にフィットしたスマートなジャケット。

 開いた首元には、繊細な細工が施されたシルバーのネックレス。


 全てがスマートに、冷たい光を反射している。


「久しぶりですね、透子先生」


 その声は甘く

 それでいてどこか空洞のように響いた。


 そして俺は、反射的に身構えた。


(――先生? ああ、……いや、患者さんか)


 少なくとも、俺の知ってそうな、今までの話と関係ありそうな人間ではない。

 そも、俺も歯科医院そのものとは、何の関係もない。

 そう思い、待合席を譲るために椅子から立ち上がる。


「……俺、そろそろ帰るわ」


 そう言って、見知らぬモブ……いや患者様とすれ違おうとした。


 その瞬間だった。


「ふみくんだっ!」


 絵里奈の声が、花が咲いたように弾んだ。

 俺は眼を剥いた。犬の足が、ピタリと止まった。


 振り向くと、入ってきたばかりの金髪の男が、絵里奈に向けて、蕩けるような甘い微笑みを浮かべていた。


「久しぶりだね、エリちゃん。相変わらず可愛いね」


 ふみ……くん……?


 ふみくんはドワーフの爺さん。


「ふみくんも相変わらず、かっこいいねっ」


 想像とのあまりのギャップに、完全に言葉を失う。

 だが、それ以上に俺を戦慄させた。


 その(ふみ)の視線が、不意に俺へと向いた瞬間だった。


 先ほどまでの甘い微笑みは、一瞬で剥落した。


 出来の悪いかみ合わせ不良の咬合器(こうごうき)でも見たような。

 値踏みするような、底冷えするほどに冷たい、無機質な瞳。


「……誰?」


 文は一瞬だけ、退屈そうに考える素振りを見せた。


「……ああ、じゃなくて。患者さん……かな?」


 わざとらしく、吐き捨てるように言う。

 そして彼は俺を完全に無視して、「風景」の一部として扱うように。


 とろけるような笑顔で、透子と絵里奈の方へ向き直った。


「患者さんがいるんじゃ、後だね。 透子先生、エリちゃん。ボク、奥に行ってるね」


 風のように通り過ぎようとする文の背中に、俺の血が逆流する。


「は?」


 完全にないがしろにされた屈辱に、俺はムッとして振り返った。


「おい、いきなりなんだよ! 初対面でその態度は!」


 文が足を止め、肩越しにゆっくりと振り返る。

 その動きは、獲物を追い詰める捕食者のそれだった。


「いきなり……? ボクはずっと前からここの関係者なんだけど?」

「はぁ?」

「はいはい。用がないなら、診療時間外だよ。アレかな。ペイシェントハラスメントってやつ?」


 一触即発の空気。

 それを察し、透子が溜め息交じりに、口を開いた。


「文。紹介しておくわ。こちらは犬塚秋人。ウチで助手のバイトをやっている大学生よ。そしてこっちが、鍵ヶ原文(かぎがはらふみ)。さっき話していた、枢木院の装備を作っている家。その人間の一人よ」

「マジ……かよ」

「なんだい、キミ……」


 文は改めて、俺の頭からつま先までを、舐めるようにジロジロと見た。

 そして、半眼で肩をすくめた。


「……なるほど。キミが『例の』」


 一瞬、意地悪な間を置く。


「数百万って、借金まみれの駄犬くんか」

「駄犬……!? てめ……」


 俺の声が低く唸る。

 慌てて絵里奈が二人の間に割って入った。


「ふ、ふみくん! いつ帰ってきたの?」

「先週だよ。本家の方でちょっと野暮用があってね」


 これが、俺と文とのファーストコンタクト、最悪の出会い。

 そして絵里奈が学会で探していた人物。


 眉目秀麗にして、じゃらじゃらとアクセを輝かせる。

 目立つから、居たら分かるとは、このこと。


「えー。もっと早くウチにも顔出してよー!」

「馬のディジーザーは、事前に発生が予測されていたでしょう」


 歯科医院を構成する三大要素。

 歯科医師、歯科衛生士そして歯科技工士。


「確かに。ネズミ、牛、トラ、兎、アロサウルス……」


 俺が引き気味になる中、透子が会話を強引に引き戻す。

 その声には、先ほどまでの日常感が、何故か薄れていた。


「だから、私が彼に特注のハミの技工をお願いしていたの」

「そういうこと」


 文が頷き、表情を少しだけ真剣なものに変えた。

 でも、瞳の奥にある冷徹さは消えていない。


「そういえば、先生。聞きました? あの馬ディジーザーの件」

「いいえ、本家からはまだ何も聞いていないわ」

「あれ、聞いてない? おかしいな……」


 文は少し困ったように眉を寄せたが、その口角はわずかに吊り上がっている。


「これ、ボクが言っちゃダメなヤツかな……。願禅寺側から情報が入ってるんです」

「願禅寺……?」

「部外者がいるから、やっぱり不味いかな」


 最初から、俺に敵意剥き出しの男。

 俺は俺で嘆息していた。


 すると透子は一度静かに目を閉じ、短く息を吐く。


「彼も関係者よ。構わないわ。続けて」

「……はい。駄犬だから構わないですね」

「こいつっ」

「秋人、ステイっ!」


 歯科衛生士に阻まれて、俺はもう一度嘆息する。

 文は、口角を上げたまま、俺を無視して続ける。


「あの馬のディジーザー……発症したのはここ数日じゃないんです。ざっと、一か月前だったみたいです」


 待合室の空気が、物理的な重圧を持ってピンと張り詰めた。

 窓から差し込んでいた西日さえも、どこか色褪せて、死に絶えたような光に見える。


「は……? おかしいだろ。アレは意識もない暴れ馬で、あの日まで完全に表に出なかったとか」

「ほんと? 一か月も、隠れてた……?」


 俺の言葉を無視して、絵里奈が震える声で呟く。

 まるで見えない何かに阻まれた……いや俺なんていなかったかのように。


 三人で話が進む。


「あんな巨大な馬が暴れれば、すぐにバレるはず。あるとしたら……」


 絵里奈は頬を押さえて、何かを考える。


 そして


「ユージノールなどの鎮痛消炎剤で炎症を無理やり抑え込み、進行をコントロールしていれば……」


 絵里奈は辿り着く。

 すると透子が、その可能性を氷のような声で口にした。


「——理論的には、不可能じゃないわね」


 専門用語の連発。

 歯科医学の知識のない俺には分からない。


 でも、なんとなく悔しい。

 俺は腕を組み、低く唸った。


「……誰かがわざと薬を使って、アイツが完全に暴走するのを一か月間、飼い殺しにしてたってことか?」


 すると文が、少しだけ小馬鹿にしたように笑った。


「やっとそこまで考えが至った? まぁ、目的もなく、ただ入学試験をパスするためだけに勉強してきたような? 平凡な大学生には、これでも難しかったかな?」


 俺は拳を握りしめ、文を睨みつけた。


 だが、今は言い返すよりも先に、背筋を走る戦慄が勝っていた。


 あの時の大蛇。あの教授の言葉。


 透子が核心を突く。


「馬のディジーザーは、ここ一か月間『誰か』によって管理されていた。そして三日前、意図的に解き放たれた。人為的な関与は決定ね」


 俺は、さっきまでここにいた洋の言葉を思い出し、ぽつりと呟いた。


「そういや、大平は。あいつも治療を、トリーテッドだろ?」

「えぇ。その通り。防護服を着て、ゴーグルとマスクで顔を隠していたから、執刀医は誰か分からない。でも、少なくとも男と言っていたわ」


 透子が低く、鋭い声で応じる。


「背の高い歯医者……」


 その時、絵里奈がハッとして顔を上げた。


「先生、それって! 学会の時に、鷲羽山教授が言ってましたよね。『自分たちの技術が流出している』って!」


 文の目が、スッと細くなる。

 獲物を見つけた蛇のような、妖しい光。


「へぇ……学会でそんな話が。面白いね」


 文はジャケットのポケットに両手を突っ込む。

 これから始まる残酷なゲームを楽しみにしている子供のように、愉悦を滲ませた。


「あと、願禅寺の連中が言ってるんですけどね。最近、『小鳥遊(たかなし)』っていう赤毛の女が、表向きは投資の話を聞きに来るふりをして、願禅寺の周りでどうも怪しい動きをしてるらしいんですよ」


 透子の視線が重くなる。

 そして文の目が、スッと細くなる。


「背後関係を探るから、現場はくれぐれも気を付けるように……って、上層部から言われてます」


 透子の冷たい目が細く、鋭くなった。

 待合室を支配していた西日は、いつの間にか沈み


 長い影が、まるで逃げ場のない檻のように、俺たちを包み込んでいた。

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