↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の犬歯が疼きやがる ~保険の利かない戦いがここにある~  作者: 乙女座の一等星
十二支との戦い・前編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/60

第27話 蛇トリーテッド⑦

「勿論です。俺は透子先生の犬、ですからっ——って」


 秋人が勢いよく頭を下げて宣言した直後。

 通話が切れたスマートフォンの前で、絵里奈が汚物でも見るような冷ややかな目を向けた。


「……自分で『犬』って言っちゃうんだ。誇りとかないんですか?」

「今はそういうのいいだろ! 空気を読め!」


 秋人が顔を真っ赤にして反論するが、透子は二人の漫才を完全に無視し、すでに思考を次のフェーズへと切り替えていた。


「与那国所長……彼がこの事件にどう関わっているのか、あるいは彼自身が何らかの鍵を握っているのか。確かめる必要があるわ」


 透子は踵を返し、スイートルームの出入り口で待機していたあの中年刑事の元へ向かった。


「刑事さん。西刃神市保健所の『与那国明夫』という人物が、このホテルに出入りしていなかったか調べていただけないかしら」


 透子の鋭い眼差しに、刑事は少し驚いたように目を瞬かせた。


「与那国所長ですか? 確かに彼も今回の学会の来賓ですが……分かりました、確認してみましょう」


 刑事はインカムで一階のフロントとやり取りを始めた。

 数分後、刑事と共にこのフロアの担当ホテルマンが足早にやってきた。


「与那国様でしたら、学会の来賓用として、下の階に休憩用の客室を一部屋ご用意しておりました」

「いま、彼はそこに?」


 透子が問い詰めると、ホテルマンは申し訳なさそうに首を横に振った。


「いえ、すでにおられません。先ほど、大変慌ただしいご様子でホテルを出て行かれました」


 逃げたか。

 秋人と絵里奈が顔を見合わせる。


「その部屋を調べさせて」


 透子の要求にホテルマンは難色を示した。「お客様のプライベートな空間ですので……」と言い淀む。

 だが、すかさず中年の刑事が前に出た。


「構わん、案内してやってくれ。鷲羽山教授……いや、警察からの正式な要請だ」


 現場の責任者である刑事の鶴の一声、厳密には鷲羽山という巨大な威光により、事態はあっさりと動いた。


 ◇


 案内されたのは、数階下の角部屋だった。

 マスターキーで扉が開かれると、ホテルマンと刑事は気を利かせて廊下に残り、透子たち三人だけが中へ足を踏み入れた。


 部屋の中は薄暗く、エアコンが切られていた。

 夏の不快な熱気が、むわっと顔にまとわりつく。


「……暑っ」


 秋人が思わず顔をしかめた。


「来客用の部屋なのに、なんでこんなに蒸し風呂みたいになってるんだよ」

「わざと空調を切っていたのね。冷血動物のように、自ら熱を生み出せない体が、外部の熱を求めていたから」


 透子が部屋の中を見渡しながら、冷たく分析する。


「与那国は単なる共犯者じゃない。彼自身がすでに『変異』を始めているわ」


 秋人と絵里奈は無言で頷き、部屋の探索を始めた。

 ベッドに寝転がった形跡はない。デスクの上には学会のパンフレットが放り出されているだけだ。

 だが、秋人の獣の嗅覚が、部屋に微かに漂う「生臭い異臭」を捉えていた。


「……先生」


 秋人は部屋の奥、窓際にある小さなテーブルへと近づいた。

 そこには、ホテルのサービスであるミネラルウォーターのピッチャーと、未使用のグラスが置かれていた。


「何かあったの?」


 透子と絵里奈が近づいてくる。

 秋人は言葉を発する代わりに、テーブルの端、毛足の長いカーペットへと続く空間をじっと見つめていた。


 スッと指が伸びて、その手が止まった。


「触らない方がいいんじゃないですか?」


 絵里奈の生々しい声が、静寂の部屋に響いた。

 秋人も肩を跳ねて、軽く尻餅をついた。


「何か……ポタって落ちた? これ……」


 秋人が指差した先。

 テーブルの縁からカーペットに向かった先。


 警察官数名が駆け寄って首を傾げる。


「どうしましょう……」

「一応、とっとけ。スポイトか、スポンジなら、何か取れるだろ」


 中年の刑事が命令して、ゴム手袋をした捜査官が入念に調べた。


 その綿棒——


 ほんの僅か、透明な液体。


「……が、あるかないか分かりませんが」


 でも、二匹のトリーテッドは明確に反応をしていた。


「なんていうか、匂いが糸を引いてる……」


 絵里奈が顔をしかめ、一歩後ずさる。

 秋人はその綿棒に顔を近づけ、鼻をヒクつかせた。


「間違いない。あの重役の部屋に残っていたのと同じ匂いだ。それに……」


 秋人はゾッとしたように自分の腕をさすった。


「爬虫類館みたいな、生臭い匂いが混じってる」

「順番なら……巳。つまりスネークね」


 透子が冷酷な事実を言い当てる。

 与那国は、この部屋で睡眠毒を仕込んだ。


「ディジーザーか……」

「トリーテッドってことじゃない?」

「そう。意思を持つ。アナタたちと同じ。まだ遠くへは行っていないはずよ」


 透子は赤いメガネのブリッジを押し上げ、秋人を鋭く見据えた。


「匂いを追えるわね、駄犬」

「……当たり前です」


 秋人はカーペットに落ちた雫から視線を上げ、真っ直ぐに透子を見た。

 その瞳の奥には、すでに狩猟者としての獰猛な光が宿っていた。


 秋人の頼もしい答えに、透子は満足げに小さく頷いた。


「ええ。与那国は完全に理性を失う前に、この部屋から身を隠した。……あるいは、自身の制御が効かなくなる前に、誰かに助けを求めようとしたのかもしれないわね」

「助け、ですか」


 透子の推測を聞いて、腕を組んでいた絵里奈がふと顔を上げた。

 何か、重要な引っ掛かりを思い出したような顔だった。


「誰か……って。そういえば、さっきの」

「何?」

「さっき、鷲羽山教授が電話で言ってましたよね」


 絵里奈は記憶の糸を手繰り寄せるように、少しだけ目を細める。


「与那国所長と……頻繁に裏で接触していた人物がいるって。いつもの営業かと思っていたけど、怪しいって」


 その言葉に、秋人の動きがピタリと止まった。

 バラバラだった不可解なピースが、頭の中でカチリと音を立てて繋がり始める。


 透子が赤いメガネの奥で、冷たく鋭い光を放った。


「ええ。先生の右腕……竜崎大地。与那国が睡眠毒のテストを終え、いよいよディジーザーへと堕ちる異変に陥ったのだとすれば、共犯者である彼に接触しようとするのは自然な理屈ね」

「うわ……」


 絵里奈が、ゾッとしたように自分の二の腕をさすった。


「じゃあ、あの学会で愛想よく名刺を配ってた竜崎さんが、この一連の事件の黒幕……?」


 その疑惑のピースが、遂に嵌った瞬間。

 秋人の脳内で、ある強烈な違和感が蘇った。

 獣の嗅覚が捉えていた、一つの情景。


「……竜崎って」


 秋人が呆然と呟いた直後、その脳裏に午前中の光景が鮮明にフラッシュバックした。

 路面電車を降りて、アーケードを歩いていた時のことだ。


「思い出した……! 今日の午前中、街でアイツを見ました!」

「どこで?」


 透子の声が鋭くなる。


「アーケード街です。ニュースが流れてたでかいモニターがある交差点で、あいつ、人混みの中で何かを探すみたいに鼻をヒクつかせて……」


 透子は秋人の言葉を最後まで聞かず、素早い動作でスッと立ち上がった。


「行きましょう」

「えっ、今からですか!?」

「匂いが消える前に追うわよ、わんこ」

「わんっ!」


 ◇


 昼下がりのアーケード街。

 ドーム型の高い屋根の下。

 行き交う買い物客の喧騒を掻き分けながら、秋人は巨大ビジョンのある交差点の中心でピタリと足を止めた。


 目を閉じ、全神経を鼻腔に集中させる。


「……ある」

「匂う?」

「ああ。薄れかけてるけど、あの薬みたいな嫌な匂いが微かに残ってる。……こっちだ、辿れる」


 秋人が確信を持って歩き出そうとした。

 その時、後ろから絵里奈が腕を組み、わざとらしい人工的な声で言った。


「有能な警察犬みたいなのだ」

「エダマーメン引っ張り過ぎだぞ」


 秋人が真っ赤になって振り返りツッコミを入れる。


「それに最近、動画作れてないし」

「授業受けすぎですもんね」


 そこに、透子は振り返りもせず、冷たく言い放った。


「無駄口叩いてないで続けて。見失ったら夕飯はペディグリーチャムからカリカリに降格よ」

「か……カリカリは——じゃないって! ペディグリーチャムも食べないし!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。