第23話 蛇トリーテッド③
満腹出迎えた翌朝。
遠くでけたたましいサイレンが鳴っていた。
救急車と、複数のパトカーの音が、朝の西刃神市の空気を引き裂いている。
だが、透子たちが滞在している学会会場のホテルでは、表面上は何も起きていない。
しばらくして、館内に事務的なアナウンスが流れた。
『皆様にお知らせいたします。駅前のホテルにて事件が発生し、現在警察の現場検証が行われております。安全確認のため、本学会のプログラムは一時中断とさせていただきます――』
広々としたロビーが一気にざわめき立つ。
運営スタッフたちが慌ただしく走り回り、全国から集まった参加者たちは行き場を失って困惑していた。
「……追い出されちゃいましたね」
ホテルの外へ出たところで、絵里奈が呆れたように肩をすくめた。
「どうします? 再開までかなり時間かかりそうですけど」
「腹減ったな。どっかで何か食うか」
「朝のバイキングも中止になっちゃいましたしね。でも、秋人は駄目です」
絵里奈が秋人の膨れた腹を睨む。
透子は喧騒に包まれるホテルを振り返り、小さく息を吐いた。
「ここにいても仕方ないわね。少し離れましょう」
「ですね。引き篭もりの秋人に、繁華街も見せましょうよ」
◇
列車に揺られ、三人は西刃神市の中心部へとやってきた。
頭上を巨大なアーケードの屋根が覆う、長くまっすぐな商店街。
両脇にはアパレルショップやカフェ、飲食店がひしめき合い、平日にも関わらず大勢の買い物客でごった返している。
「うおっ、なんか美味そうな匂い……」
「クレープ屋さんの甘い匂いに釣られないでください。秋人はステイです。昨日の寿司代、借金に乗せますよ」
「なんで、絵里奈が決めるんだよ。分かったから」
フラフラと吸い寄せられそうになる秋人の服の裾を、絵里奈が手綱のように引っ張って歩く。
そのアーケードの開けた交差点に出たところだった。
人だかりの先、商業ビルに設置された巨大なビジョン。
そこから、緊迫した声が響いてきた。
地方ニュースの速報だった。
『今朝、西刃神市内のシェラヒーホテルで、男性が死亡しているのが見つかりました。目立った外傷はなく、警察は事件と事故の両面で……』
透子と絵里奈は軽く目を見開いて、互いに目を合わせた。
透子たちが昨晩食事をしていた高級寿司店からもほど近い、駅前の別の大型ホテル。
そこで、ある企業の重役が死亡したという話だった。
外傷は一切なく、毒物反応もない。典型的な突然死だったらしい。
事態を重く見た警察は、事件と事故の両面から慎重に調査を開始したという報道だった。
「ほんと……最近、物騒ね」
透子が巨大モニターを見上げながらぽつりと言う。
その時だった。
秋人がふとアーケードの人混みへ視線を下ろす。
すると、通りの向こうを行き交う群衆の中に、見覚えのある長身の男が歩いていた。
「……あれ?」
秋人が目を細める。
「長身……の……。前にもどっかで」
「なんですか? お腹空いたんですか?」
「空いてねぇよっ。食べられるけどっ」
昨日、鷲羽山教授のそばにいた研究員、竜崎大地だった。
彼は賑わう商店街の中でふと立ち止まり、微かに小鼻を動かして風の匂いを嗅ぐような、動物的な仕草を見せた。
「ハングリーね」
「食べためしたいんです」
そして、周囲の喧騒など気にも留めず、何か見えない『痕跡』を追跡するように、足早に雑踏の中へと消えていった。
「俺たちも来てるし……別にか」
秋人が立ち止まっていると、今度は絵里奈の肩が跳ねた。
「あ! 再開するみたいですよ」
「そうみたいね。私のスマホにも運営からメールが来てるわ」
◇
警察の現場検証が続いている。
それにも関わらず、想像よりもずっと早く、学会のプログラムは再開された。
「なんか、再開早くないですか? 普通もっと自粛とかするもんじゃ……」
秋人が首を傾げると、透子は呆れたように肩をすくめた。
「この日の為に、企業や大学がいくらかけていると思っているの。午前だけでも中止になれば、スポンサーからしたら大損害よ。人が死んだくらいで経済は止まらないわ」
三人はメイン会場へ戻るため、再びロビーを歩き出した。
透子は、掲示板のスケジュール変更を見て微かに眉を顰める。
「さっきの事件の影響で、午後のシンポジウムが――」
すると──
「いや。プログラムの変更は、事件のせいだけじゃないんだよ」
不意に、背後から穏やかな声がした。
振り向くと、白髪の老人、好々爺。
鷲羽山進が立っていた。
「こういう所も、研究者の性というやつかな」
鷲羽山は柔和に笑い、透子の横に並ぶ。
「すぐ隣のシェラヒーホテルの騒動が、どうしても気になってしまってね。実は先ほど、警察関係者から少しだけ事情を聞かせてもらったんだ」
透子は何も言わず、静かに続きを待つ。
「現場の警察は早々に切り上げ過ぎだ。確かに外傷もなしで、ベッドの上で亡くなっていた。となれば、心臓麻痺や、我々歯科医も扱う睡眠時無呼吸症候群など、突然死の可能性が一番に浮かび上がるんだが……」
鷲羽山は、柔和な目元を少しだけ鋭く細めた。
絵里奈は軽く息を呑む。
「妙だとは思わないかね?」
「はい。頻発している……ディジーザー、ですね」
透子は、一切の感情を交えずに、静かに
そしてはっきりとその単語を口にした。
その瞬間。
横で聞いていた秋人の域が止まった。
心臓が大きく跳ね上がり、両目がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれた。
(おいおいおい! なんでこのじいさん、『ディジーザー』のこと知ってんだよ!? これ絶対、俺たちだけの裏社会の秘密だろ!)
秋人が内心で激しくツッコミを入れる。
だが、鷲羽山は驚く様子もなく、ただ少しだけ目を細めた。
そもそも、口にしたのは枢木院透子の方だ。
「……確証はないがね。そこで枢木院君……いや、愛弟子の枢木院透子に頼みたい。少し、探ってみてくれないか」
「先生の頼みとあれば」
透子は、秋人の激しい動揺など完全に無視して即答した。
鷲羽山は満足そうに、再びいつもの柔和な微笑みを浮かべる。
「勿論、私の方でも探ってみるよ。その為に、竜崎くんにも動いてもらっているんだからね」




