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俺の犬歯が疼きやがる ~保険の利かない戦いがここにある~  作者: 乙女座の一等星
十二支との戦い・前編

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第20話 辰ディジーザー③

 ブォンッ、ブォンッ


 チューブが凄まじい風切り音を立てる。

 周囲の落ち葉や小枝が竜巻のように吸い込まれていった。

 そして、絵里奈はしょうもない男の発言を無視して、軽やかに動いた。


 三十メートルのアロサウルスの巨大な尻尾が、その理不尽な吸引力に吸い込まれていく。


「ごめんなさいねー。尻尾すっちゃった……でも、今です!」


 すると透子が白衣の下か、どこからか取り出した大型麻酔銃を構えた。

 さながら対物ライフルほどの凶悪な何かの、引き金を引いた。


 パスッ、というくぐもった発射音。


 特殊な注射器型の弾丸が、恐竜の分厚い皮膚の隙間に深々と突き刺さる。


「ガグァァァアアアアアア」


 アロサウルスの巨体が、グラリと大きくよろめいた。


 だが――倒れない。


 それどころか、


 痛みに激昂した赤い瞳が、ケージの中をひた走り回る秋人を完全にロックオンした。


「嘘だろ!? まだ動くのかよ!」

「人間用の麻酔薬よ。流石に体重差がありすぎたわね」


 すると巨大バキュームを持ったピンク衣猫がくるりと翻った。


「脳と体の神経の反射が違うからですっ!」

「……なるほど」

「どうでもいいし! 感心してないで、俺を助けろ!!」


 ズシン、ズシンと地響きを立てる。

 巨大恐竜が、秋人に向かって、更なる突進を開始する。


「頑張って吸ってます。吸引力が落ちてるから、またハムスターになってください」

「あ……そか。俺が走ればバキュームが……って。もう間に合わなくない?」


 秋人が走れば、尻尾は吸える。

 でも、秋人自身は檻の中の肉でしかない。

 絵里奈は尻尾を吸うので手いっぱい、青い顔で強大な顎の行方を見守る。


「秋人——」


 すると透子の声が通った。

 一切の焦りも見せず、冷徹なトーンのまま、言い放つ。


剣士游道(けんしゆうどう)よ。正面から受けて流しなさい」

「あートラ退治でやった……。おし、来い……って、できるか!!」


 相手は体長三十メートル、推定数十トンの肉食恐竜だ。

 あの牙を持って、受け流す——前にミンチになる。


 秋人はケージを出て、なりふり構わず真横の茂みへとダイブした。


 ――ドゴォォォンッ!!


 秋人がコンマ数秒前までいたケージが、巨大な顎でぐにゃりと曲がる。


「死んでたっ! マジで死んでた!!」


 地面を転がりながら顔を上げた秋人の目に、再び牙を剥いて噛みつこうとする恐竜の口内が迫る。


 その瞬間。


「もう、仕方ないにゃあ」


 絵里奈が音もなく跳躍した。

 手には、金属製の巨大な「開咬器」。

 落下する勢いそのままに恐竜の鼻面に乗った。


「絵里奈……マジ?」


 ピンク衣が舞う。

 巨大な顎の間に、その無骨な器具をガコンッ!と乱暴にねじ込んで固定する。

 アロサウルスの口が、強制的に全開の状態で固定された。


「はい、今です!!」

「ええ」


 いつの間にか、透子が恐竜の足元へと静かに踏み込んでいた。

 その両手には、恐竜の牙サイズに合わせて特注されたかのような、禍々しいほど巨大な抜歯鉗子。

 透子は一切の躊躇なく、むき出しになった最大の牙をその鉗子で挟み込んだ。


 ――ゴリッ。


 骨の髄まで響くような、凄惨な音が森に響く。


 一瞬の静寂。


 次の瞬間。


「グオオオオオォォォォォッ!!」


 アロサウルスが、開いたままの顎から天を劈くような断末魔の咆哮を上げた。


 麻酔が効いていなかったらしい。


 森全体がビリビリと震える慟哭。


 そのままバタンッ


 地鳴りとともに、その巨体が力なく地面に倒れ伏した。


 土埃が舞い上がり、静寂が戻った森の中。


「透子先生……マジで?」

「てこの原理も何もないわね……」


 しばらくすると、倒れたアロサウルスの巨大な体がジュウジュウと不気味な音を立てて崩れ始めた。


 肉が泥のように溶け、骨格が急速に縮み、本来の姿へと再編されていく。

 煙が晴れた後に残っていたのは


 ――全裸で仰向けに倒れた、見知らぬ中年の男の死体だった。


「……人? この怪獣も、人間……だったのか?」

「ええ。限界まで変異し、命を落としたディジーザーの末路です」


 秋人が信じられないものを見るような目を向ける。

 すると、恐竜の頭から飛び降りた絵里奈が、ナース衣の埃を払いながら淡々と答えた。


 その時。カラン、と。


 男の死体の胸元――


 溶けた獣の体液の跡から、焼け焦げた金属製のプレートのようなものが落ちた。

 秋人がおそるおそる近づき、それを拾い上げる。


「……なんだこれ。社員証?」


 軍のドッグタグのように分厚いカード。

 そこには、焼け残った見慣れない企業のロゴが、くっきりと刻まれていた。


 『BILRONバイルロン


「バイルロン……って?」


 秋人が読み上げる。


「外資系企業。今度は大学生じゃなかったみたいね……」


 巨大な鉗子を下ろした透子が静かに、だが確信に満ちた声で答えた。

 絵里奈が、倒木と巨大なクレーターだらけになった森の惨状をゆっくりと見渡す。


 そして、普段のマイペースな口調を完全に消し去り、冷ややかな声で言った。


「ここは刃神市ですよ。地方都市の山中に、そんな世界的な巨大企業の人間が、ディジーザーとなって、単独で現れるなんて」


 秋人は金属の社員証を握りしめ、黙り込んだ。

 夕暮れの山風が、生ぬるい血の匂いと、得体の知れない陰謀の気配を運んでくる。


「地方都市と言っても、ね。刃神大学と共同で研究をしている企業よ。偶然とは言い切れないわね……何かが」


 透子が、月の光を反射する赤いメガネの奥で、静かに言った。


 ◇


 夜の帳が完全に下りた刃神市の山中。


 俺は、遠くの道路で赤色灯を回す自衛隊の物々しい車両群をぼんやりと眺めていた。

 まだ微かに震える手で自分の膝を抱える。


 周囲には、樹齢数百年はあろう生木が何本もへし折られた青臭い匂いと、焼け焦げた金属の匂い

 そして鼻の奥にへばりつくような微かな血の臭いが、色濃く立ち込めている。


「人が鬼になる……鬼退治のレベルじゃねぇ……」


 三十メートルのアロサウルスと、全裸の中年男。

 そして、『BILRONバイルロン』という見知らぬ巨大企業の社員証。


 なんだここは。


 普通の大学生として、普通の街で、普通のキャンパスライフを送っていたはずだった。

 それなのに、俺はいつの間にか、別世界にいる。


 日常という薄い膜のすぐ裏側に広がる、歪で巨大な「奇妙な世界」に足を踏み入れてしまった……らしい。


 足元の巨大なクレーターのような恐竜の足跡を見下ろしていると、


 世界そのものが傾いて、底知れない深淵へ滑り落ちていくような


 不気味な錯覚に襲われ——


 いや——


 この時は、嗅覚だった。


 俺たちのいる場所から少し離れた、倒木の陰の深い闇の中。


「ん……?」


 そこに、黒いスーツを着た長身の男が一人。

 景色に溶け込むように静かに立っていた


 正確には――ような気がした。


 俺が目を凝らした瞬間、その影は木々のノイズに紛れてフッと掻き消えた。


「……気のせいか?」


 それか自衛隊の誰か。

 若しくはバイルロンの社員?


 その影が立っていた場所には、街の灯りに照らされて一瞬だけ、何かの通信機のような冷たい金属光沢が光った気がした。


 俺は背筋を這い上がる悪寒を振り払うように、深くため息をついた。



 その数時間後。

 深夜の枢木院歯科医院の診療室。


 静まり返った院内に、待合室のつけっぱなしのテレビから、深夜の臨時ニュースを伝えるアナウンサーの無機質な声が響いてくる。


『――繰り返しお伝えします。先ほど、刃神市山間部に出されていた緊急警報がすべて解除されました。周辺住民の皆様は――』


 俺は無機質な診療台の上に仰向けに倒れ込み、完全に燃え尽きた死んだ魚のような目で、真っ白な天井をぼんやりと仰いでいた。


『しかし、局地的な土砂崩れが一部で発生しており、市は引き続き地盤の緩みに注意を呼びかけています』


 テレビの音声に被せるように、魂の抜けきった声でぼそりと呟く俺


「……走れ走れって。俺はハムスターじゃねぇんだぞ。ていうか、あれ絶対物理法則おかしいからな」


 医療器具の片付けをしていた絵里奈が、相変わらずのマイペースでにやにやしながら、あの機械音声エダマーメンの口調で返す。


「役に立ったのだ」

「マジで踏み潰されて死ぬかと思ったわ!」

「生きているのだ」

「だからそれは結果論だろ!」


 俺はむくりと上半身を起こし、恨みがましく絵里奈を睨みつける。

 でも、怒る気力すら残っておらず、やがて力なく大きなため息をついた。

 そして、盛大に鳴り始めた自分のお腹をさすりながらぽつりと言う。


「……腹減った」


 絵里奈がきょとんと首を傾げる。


「は?」

「あんな三十メートルのトカゲに追われて」

「トカゲでは……いえ、続けて」

「は?……ま、いいか。全力でハムスターやらされたら、腹も減るだろ。めっちゃ食いたい。今なら牛一頭くらい軽くペロリといけそう」


『また、この土砂崩れの影響で、山麓にあるバイルロン社の工場の一部が損壊したとの情報も入っています。現在のところ従業員にけが人の報告は入っておらず――』


 テレビから流れる不穏な企業名をBGMに、俺がぶつぶつと文句を言っていた。

 すると、奥のデスクでカルテにペンを走らせていた透子が、ふと思い出したように顔を上げた。


「あ、そういえば——」

「ん?」


 俺が首だけを向ける。

 ピンク衣が一瞬、視界に入る。


「そっか。今週末って、学会でしたよね」


 絵里奈が頷きながら、俺の方を見て補足する。


「歯科学会です。先生が登壇されるんですよ」

「先生……? ってか、歯科学会って俺には」


 透子先生はカルテをパタンと閉じ、俺を真っ直ぐに見た。


「会場は、西刃神(にしはがみ)市のホテルよ」


 西刃神市。

 この県の中枢であり、人口百万人を優に超す巨大政令指定都市だ。

 特にターミナルである西刃神駅の周辺は、ここ数年で大規模な再開発が行われている。

 緑と坂の多いこの刃神市ののどかな学生街の風景とは打って変わって、巨大な商業施設やタワーマンション、高層ビル群が立ち並ぶ、近代的なコンクリートのジャングルとなっていたはずだ。


 俺はぽんと手を打つ。


「あー、そういや。駅周辺、なんか新しくなってんだっけ」

「新しくなってんだっけ、って……結構前の話ですよ。大学生のくせに、どれだけ引き篭もってたんですか」


 絵里奈が呆れたように言うと、俺はむきになって言い返した。


「引き篭もってねぇし! なんか、学費が勿体ないから空きコマ作ってないんだよ。月曜から金曜まで授業ギチギチに入れてるだけだっつの!」

「勿体ないの意味を履き違えてません? お金より、若さの時間のほうが有限ですよ」


 絵里奈がやれやれとお姉さんぶって首を振る。

 そして、悪戯っぽく笑いながら、俺の急所へ見事なトドメを刺した。


「たまには都会の空気を吸った方がいいです。学会の後は、立食パーティー形式の、超豪華なバイキングもありますし」


 ガタッ!

 俺はスプリングが弾けたように診療台から立ち上がり、一切の迷いのない真顔で即答した。


「ホテルバイキング、行きます」

「分かりやすい男」


 絵里奈が呆れたように肩をすくめた。

 それから透子先生の方を向いて嬉しそうに言った。


「先生の『お師匠様』に、会えますね」


 俺は怪訝な顔で首を傾げた。


「お師匠?」


 透子先生は、いつもより少しだけ硬く、しかしどこか背筋を正すような動作で、赤いアンダーリムのメガネを指先で押し上げた。


「……えぇ。私の恩師よ」


 静かな、けれど底知れない重みと、絶対的な敬意を含んだ声だった。

 普段の彼女からは想像もつかないほど、その瞳には熱を帯びた誇らしげな光が宿っている。


鷲羽山(わしゅうざん)教授——」


 透子先生はまっすぐに俺を見据え、その偉大な名を刻み込むように告げた。


「我が国の歯科医療の最高峰であり、海外にもその名が知られている偉大な先生。……貴方も、将来の為に覚えておいて損はないわね」

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