第19話 辰ディジーザー②
数十分後。
刃神市の外れにある薄暗い山道。
枢木院歯科医院の控えめなロゴが入った白い軽ワゴン車が現れる。
そのまま、急ブレーキのスキール音を響かせて停まった。
ガチャンッ
訪問診療用の車から降りた三人
ゴガァァアオンッ!
その鼓膜を、空気を物理的に震わせるような、桁外れの巨大な咆哮が打つ。
「……夢……だろ。嘘だと言ってくれ……」
秋人はガードレールの向こうを見上げた。
暗い木々の隙間から姿を現した規格外の影を確認して、完全に絶句した。
「大……怪……獣……じゃん」
そんな彼の隣で、絵里奈が微塵も動揺を見せない。
彼女は真顔のまま、冷静な解説を入れる。
「アロサウルスはジュラ紀後期の恐竜です。本来の体高は、せいぜい三メートルから四メートル程度のはずですが」
「へぇ、そんなに大きくないんだな……って!そんな図鑑の知識、今は関係ないし、全然参考にならねえよ!」
秋人が半狂乱で叫ぶのも無理はなかった。
獰猛な獣脚類が、目の前の山の斜面を重機のように削りながら進む。
その怪物は、どう低く見積もっても全長三十メートルは下らない。
「どう見ても化け物……だろ」
「だって辰ですし」
「ですしって……お前。年賀状にあんなん出ないだろっ!」
完全に恐竜のシルエット。
だが、ジュラ紀という枠を完全に逸脱していた。
特撮映画から抜け出してきたかのような、巨大怪獣だった。
「目を凝らさなくても分かるわね」
だが、透子は焦るどころか、車のトランクをガチャリと開けた。
巨大恐竜を目視し、いつもの冷徹な声で言い放った。
「邪歯。罹患者を確認したわ。先ずは準備よ」
秋人が信じられないものを見る目で振り返る。
「いやいや、準備ってなに!」
「牙抜き……治療の準備、少し大掛かりになるわね。私の準備が整うまで、ここには絶対に近づかせないで」
「……はぁ!?」
透子はトランクの奥から、何かメカメカしいものが出た。
それは歯科医院には絶対にあるはずのない、得体の知れない鈍色の金属パーツ。
彼女はそれらを次々と引っ張り出していた。
しながら、秋人と絵里奈を横目で一瞥する。
「10分でいいわ。それまで引きつけてきなさい」
「ひきつけろって、無茶を言うな! 俺たち一口サイズだぞ!」
だが、透子はすでに振り返ることもなく、職人のような手つきで謎のパーツの組み立て作業を始めている。
ドォン!
「ひ……!」
凄まじい地響きとともに、三十メートルの巨体がこちらへ巨大な顎を向けた。
秋人と絵里奈は顔を見合わせ――
そして、同時に脱兎のごとく駆け出した。
◇
トリーテッド。
その言葉が秋人の頭にあるかはさておき、二人は山の中を走っていた。
「お前が詳しいんだから、お前が行けよ!」
暗い山林の中を全力疾走しながら、秋人が横を並走する絵里奈に怒鳴りつける。
同じルートで並んで逃げていた、そのつもりだった。
だが、いつの間にか二人は、違うルートを進んでいた。
声が通る違うルート、つまり上と下。
「詳しいのと囮になるのは関係ないです! ニャンコは本来、追われる側じゃないんですから!」
見上げる暇はないが、しなやかに飛んで枝と枝とを跳ねて移動する。
ピンクのナース衣をヒラヒラと翻し、絵里奈が理不尽な反論を叫び返した。
「犬だって三十メートルのトカゲには追われる側だろっ!」
その上下の二人の背後。
樹齢数百年の太い木々を爪楊枝のようにへし折る、凄まじい轟音が迫っていた。
ズシン、ズシンという絶望的な足音が、二人の心臓の鼓動と完全にリンクしていた。
「ほら秋人さん、あっちで『シッシッ』ってやって、気を引いてきてください!」
「お前がやれよ! 親父が化石持ってんだろ!」
「父が持ってるんです! アタシじゃありません!」
二人は互いに巨大アロサウルスのターゲットを押し付け合う。
ギャーギャーと情けない悲鳴を上げて森の中を逃げ回った。
「ガグァァァアアアアアア!」
三十メートルの巨体からすれば、足元をチョロチョロと逃げ回る小動物か虫のようなものだ。
「ほら。わんこ食べたいって!」
「言葉が分かるなら、話し合いで解決してこいっ」
「アロちゃん! わんこが食べて良いって!」
「馬鹿かっ! 人間の言葉が通じるかっ! しかも誤訳!」
そんな騒がしい二人。
アロサウルスは完全に標的に定め、執拗に巨大な顎を打ち鳴らして追いかける。
「って、マジで俺?! 死ぬって! マジで踏まれる!」
秋人が涙目で叫んだ、その時だった。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
走りながら画面をタップする。透子からだ。
『こっちへ誘導しなさい』
「終わったのか!?」
『ええ。極上のトラップが完成したわ』
通話がブツリと切れ、秋人は肺が破けるほど大きく息を吸い込んだ。
「絵里奈! 戻るぞ!」
「って、先生。なんで秋人さんの方に連絡……。まいっか。了解です!」
◇
二人が指定された開けた場所へ飛び込む。
そこには異様な光景が広がっていた。
透子は白衣を翻して、涼しげに立っている。
異様なのはその隣だ。
彼女の足元から伸びているのは、秋人の胴回りほどもある、極太で透明な蛇腹のチューブだった。
「秋人さんは、あっちですよー!」
絵里奈が即座に身を翻した。
重力を完全に無視したような身軽さで太い枝から枝へと飛び移る。
ピンク色のナース衣が森の緑の中で蝶のように舞う。
「アロちゃんじゃないってばっ」
その可憐な蝶のような猫の舞は、怒り狂った巨大恐竜の視線を上空へと完璧に引きつけた。
そして、彼女は爪先を既視感のある何かで示した。
「え……? えと?」
その隙に、秋人は透子の隣に辿り着くが
彼女も視線をアレに向けていた。
「秋人! アナタはあの中に」
「中に……?」
「走って!!」
透子は巨大なチューブを小脇に抱え、その一端を巨大な乗り物の一部に取りつけた。
「はぁ? まさか中で……また走るのかよっ」
「早く。絵里奈が危ないわ」
透子は有無を言わさず、秋人の背中を無骨な金属製の巨大ケージへと力任せに押し込んだ。
中に鎮座していたのは、人間がすっぽり入れるサイズの巨大な円形ホイール――どう見ても人間用サイズの『回し車』だ。
ガシャン、と外側から無情にもロックが掛けられる。
「走って」
「はぁ!? やっぱり中で……回せってことかよっ!」
ゼーゼーと息を切らしながら、秋人は巨大なドラムの内側をがむしゃらに駆け始めた。
秋人の猛ダッシュに合わせて、ギコギコ、キュルルルルと凄まじいギア鳴りが響き渡る。
ホイールの回転軸から伸びたシャフトが連動し、ケージ上部に据え付けられた遠心分離機のような金属シリンダーが猛烈な大回転を始めた。
接続された極太のチューブが「ブオォォォン!」と唸りを上げ、周囲の空気を暴力的な勢いで吸い込み始める。
少し離れた安全圏から、透子が白衣のポケットに手を入れたまま涼しい顔で解説する。
「サイクロン掃除機の原理よ。あなたの疾走による超高速回転でシリンダー内に強力な遠心気流を発生させ、チューブ先端に局所的な超高圧吸引流を作っているわ」
秋人は眼を剥いた。
「意味が分からない! 物理法則ガン無視だろ!!」
頭上の枝から、絵里奈が楽しそうにエダマーメンの口調で叫ぶ。
「一生懸命走るのだ、秋人! デンゾー先生の実験動画に負けるのだ」
「超有名人と木っ端配信者を一緒にするな。んで、ハムスターとも一緒にすんな!!」
「いいから、もっと回転数を上げなさい」
頭上の枝から、絵里奈が楽しそうにエダマーメンの口調で叫ぶ。
「再生数を稼ぐのだ!」
そして、スカートが翻ることもなく着地。
絵里奈は慣れた手つきで、巨大バキュームを両手に構えた。
「その喋り方、やめろし! ってか、俺の目の前にもっと回りそうなものがあるんだけど?!」
枢木院歯科医院のロゴが入った白い軽ワゴン車が遠くに見える。
血を吐くような魂のツッコミを入れながら、秋人は限界を超えて足を回す。
「そんなの決まってるわ」
「そんなの決まってます」
美人二人の真顔に、秋人は息を呑む。
そして、意識の高い二人は声を合わせて、こう言った。
「脱・炭素よ」
「CO2削減ですっ」
ブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォン
ぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁ
ブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォン
ぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁ
「……いや、絶対に経費削減だろっ!」




