第35話 香りの結界――セーフハウスと羨望の視線
ゴールドゴーレムの階層で十分すぎるほどの成果を得た三人は、その日の探索を一区切りとすることにした。
金塊の回収を終え、さらに奥へ進むこともできたが、無理をする必要はない。積み上げた成果を無駄にしないためにも、休息は重要だった。
「……今日はここまで」
アイリスが静かに言う。
「賛成だ」
ガルドもすぐに頷く。
「……お腹空いた」
リーナの一言で、方針は完全に決まった。
三人は迷宮内に点在する安全地帯――セーフハウスへと向かう。
そこは魔物の侵入が制限されている特殊な空間であり、冒険者たちにとっては貴重な休息場所だ。石造りの簡素な部屋だが、外の危険とは隔絶されている。
扉をくぐると、すでに数人の冒険者たちが休んでいた。
壁にもたれて眠る者、装備の手入れをしている者、小声で会話している者。疲労の色は濃いが、どこか安心した空気が漂っている。
三人が入ると、ちらりと視線が向けられる。
だがそれも一瞬で、すぐに各々の時間へと戻っていった。
「……空いてる」
リーナが部屋の端を指す。
「そこ使う」
アイリスが頷き、三人はその一角へと移動する。
荷物を下ろし、軽く息を吐く。
静かな時間。
だが、それは長くは続かない。
「……作る」
アイリスが立ち上がる。
「来たな」
ガルドが苦笑する。
リーナはすでに期待した目をしている。
アイリスはアイテムボックスを開き、食材と調理器具を取り出す。
鍋、火種、肉、野菜、調味料。
慣れた手つきで準備が進む。
周囲の冒険者たちは、最初は気にしていなかった。
だが――
火が灯る。
食材が刻まれる。
そして、調味料の蓋が開けられる。
ふわり、と。
香りが広がった。
「……?」
一人の冒険者が顔を上げる。
次の瞬間。
さらに強い香り。
焼ける音。
じゅう、と肉が焼ける音が静かな空間に響く。
「……なんだ?」
別の冒険者も気づく。
視線が、自然と三人の方へと集まっていく。
アイリスは気にせず調理を続ける。
鍋に野菜を入れ、調味料を加える。
香りが一段と強くなる。
「……いい匂い」
リーナがぽつりと呟く。
ガルドも鼻を鳴らす。
「腹減るな、これ」
その頃には、セーフハウスの空気が変わっていた。
静かなはずの空間に、ざわめきが生まれる。
「おい……見ろよ」
「なんか作ってるぞ」
「いや、それより匂い……」
小声が広がる。
だが、誰も近づこうとはしない。
ただ――見る。
羨ましそうに。
アイリスは淡々と作業を続ける。
焼いた肉に調味料を絡め、鍋の味を整える。
無駄がない。
迷いもない。
「できた」
短い一言。
三人で座る。
食器を並べる。
そして――食べる。
一口。
「……うまい」
ガルドが低く唸る。
「……良い」
リーナも満足そうに頷く。
アイリスは特に言葉を発さないが、その表情はわずかに緩んでいる。
その様子を、周囲の冒険者たちは見ていた。
じっと。
視線が集まる。
「……あれ、ずるくねぇか」
「なんで迷宮の中であんなもん食ってんだよ……」
「携帯食じゃないのかよ……」
小さな不満と羨望が混ざる声。
だが、誰も文句は言わない。
ただ、羨ましそうに見るだけだ。
一人の冒険者が、自分の携帯食を見下ろす。
硬い干し肉。
味気ない保存食。
そして――
漂ってくる香り。
「……はぁ」
ため息。
別の冒険者も同じように視線を向ける。
「……いいなぁ」
思わず漏れる本音。
三人は気にしない。
ただ、食べる。
温かい料理。
しっかりとした味。
体に染み渡る満足感。
迷宮の中とは思えない時間。
食事が終わる頃には、周囲の視線はさらに増えていた。
だが、それも一時的なものだ。
やがて冒険者たちはそれぞれの行動に戻っていく。
装備の確認。
休息。
次の行動の準備。
だが、その空気の中に、わずかな変化が残る。
「……今度、ああいうの持ち込めねぇかな」
「無理だろ」
「だよな……」
そんな会話が、どこかで交わされる。
三人は静かに片付けを終える。
痕跡は残さない。
すべてをアイテムボックスに収める。
「……行く?」
リーナが問う。
「少し休む」
アイリスが答える。
「了解」
ガルドが壁にもたれる。
短い休息。
だが、十分だった。
体力も、気力も、満たされている。
立ち上がる。
再び迷宮へ。
その背中に、いくつもの視線が向けられる。
羨望と、少しの憧れ。
そして――
「……なんか、あいつらすげぇな」
誰かの呟き。
三人は振り返らない。
ただ前を向いて進む。
戦いも、探索も、食事も。
すべてを楽しみながら。
迷宮の奥へと、再び足を踏み出すのだった。




