30.セオドア視点
アリアの様子がおかしいと気付いていたが、求められるままに求めた。目覚めるといつも先に起きているアリアが、今日はそのまま私の腕の中で眠っていることに嬉しく思う。
昼過ぎまで眠ったことは今までなかったが、この幸せを味わえるならばそれもいい。起こさないように慎重に、彼女を抱きしめる。
しかし、私が身じろいだことで起こしてしまう。
「起きていたの」
「あぁ」
「日が高いわね」
「昼過ぎだ」
そう、と返答した彼女はそのまま起き上がり、ベッドを下りた。気だるげにソファーに体を預けながら、日差しを浴びている。どこか物憂げで、何かあったのだろうとは思うが何を言えばいいのか分からなかった。
ただ彼女の傍に行き、彼女の手を取って甲に口付ける。私にできることが見つからない。君の憂いの原因が何なのかも分からないからだ。
外を見ていた彼女の視線が私に向く。いつもの自信のある姿とは違い、思案顔だった。
「お前の教育をあいつに任せようかと思っているわ」
「あいつ?」
「ギデオンよ。昨日の悪魔」
その言葉に思わず眉間が動いてしまう。それを見たアリアは、鼻で笑った。
「気に入らないのはお互い様でしょう。魔法に関しては奴の方が詳しいから、教わるといいわ」
「昨夜は、そのことを話し合っていたのか?」
アリアを探している際、あの悪魔の気配を彼女の傍で感じた。私が部屋の前に来た時には彼女しかいなかったが、それまでは彼女といたのは間違いない。決して仲がいいとは言えない雰囲気だったが、私の知らない時間を共有し、過ごしてきたであろう二人の密談を不快に思う。
できれば関わりたくない。私のアリアへの気持ちをからかってくるのは明白だったからだ。
「別のことよ。でも、私に借りのあるあいつが拒否するはずがない。ただ、あいつは人間界に来たくないでしょうから、お前には虚空間にある私の屋敷に行ってもらうことになるわ」
虚空間? それは一体なんだ? 聞けば、悪魔も神も、魔界や天界以外に自分だけが住める空間を持っているのだという。その空間は魔力を元に作られているので、ある程度の魔力量がないと作り出せず、作り出した者やその者が許可した者しか入ることができない。
場合によっては、時の経過など無いに等しいらしく、その空間内で過ごした数年が実際には一刻にも満たないということもあるらしい。アリアの作った空間はそうではないから同じ時の流れだというが、私にとってはそんなことはどうでもよかった。
あの女の監視があるからアリアはここにいる必要があるのだろうが、まさか私だけ離れて暮らさなければならないなんてことはないだろうな?
「それは、ここから通うことはできるのか?」
「そうしたいなら、尚更奴に魔法を教わった方がいいわよ」
今のままでは転移の魔法ですら上手く使えないでしょう、と言う。確かに、体が慣れないのは確かだが……彼女の傍にいるためには、役に立つことを証明しなければいけない。このまま、囲われているかのような生活だけはしたくなかった。何より、役に立たない者を傍に置くほど、彼女は生易しい性格ではない。
君のためだったら何でもする。君のためならば何だってできる。君が望むことは、私の望みでもある。
「分かった。彼に教わる」
「それがいいわ。今はアフィロディアも期待できないし、私の側近はリリスしかいない。ギデオンなら、不足はないでしょう」
高圧的な彼女は形を潜め、再び考え事をする。しかし、初めて聞く名に、それは誰だと思う。尋ねようとした時、侍女が入って来た。
「アリア様、お食事はどうされますか?」
「そうね。食べるわ」
「分かりました……アレは」
アレ、だと? 私を睨みながら侍女は言う。睨まれている理由に心当たりがないわけではないが、アレ呼ばわりはないだろう。
私が彼女のことを侍女と呼ぶのは、偏に彼女が名前を呼ばれたがらなかったからだが、彼女が私を蔑むのは、元人間だということと、アリアを手に入れたからか。
それでも、アリアに食事の有無を聞いた際に私のことも気にかけて、伺いを立てているようだった。気に入らない相手のことなのだから無視すればいいのに、そうしなかったのはアリアの私への態度を見て、私の存在を無碍にすべきではないと判断した結果なのか。
嫌悪感からアレ呼ばわりされたことには変わりはないが、無視をされなかったのだからよかったと思うべきだろう。
私を睨んでいると知ると、アリアは溜息を吐いた。どうしたものか、と顔に書いてある。
「同じものを用意して」
「……かしこまりました」
「言っておくけど、お前を拾った時も下僕に世話をさせたのよ?」
今度はお前の番よ、とアリアが言えば、承知しました、と彼女は言う。腹立たしさはあるが従う姿勢を見せ、部屋を後にする。
アリアは私に向き直り、魔法が使えるようになったら自分で食事は用意した方がいいと言った。侍女が私に出す食事に不安があるからではなく、このやり取りが面倒だからだろう。
正直、私は騎士として野営もしたことがあるから、動物を捕まえて丸焼きにして食べるくらいはできる。勿論、調理ができるかと言われれば、それは無理だ。粥を作れるという程度でしかない。
しかし、魔法で料理が作れるのだろうか? この世界の魔法は、アリアの呪いで失ってから久しく、文献も残っていないためよく分からない。彼女がそう言うからには、できるということだろうが。
だが、何故か今は空腹を感じない。心が満たされたことで食欲を失っているのだろうかと思ったが、アリア曰く、違うようだ。
「私の魔力が注がれているから、暫くは食べなくても大丈夫でしょう。それでも、食べないより食べておいた方がいいわよ? ギデオンの指導が厳しいかもしれないから」
魔力は消費が激しいから体力は付けておいた方がいい、と言う。体力と魔力がなぜ関係があるのかは分からないが、魔力を消費する際に体力も消費してしまうということだろうか?
「私は、いつ戻って来れるんだ?」
「お前次第じゃない? まぁ、その前にギデオンと連絡を取ってからになるから、少し先のことになるわね」
すぐに行かなければならないのかと思っていたため、少し安心する。彼女の様子がおかしいから、できることなら傍にいたかった。一体何に悩んでいるのか。
「どうかしたのか?」
「何が?」
「いつもの君らしくない。常に自信に溢れ、迷いなどなかっただろう」
「迷っているんじゃないわ。ただ、確かめたいことがあるのに手が足りないから優先順位を付けていただけよ」
確かめたいこと? 優先順位? 何があった? 今の私では、彼女を手伝うことはできないのだろうか? いや、きっと何かできるはずだ。
「私に話しても解決しないことなのか?」
そう問えば、彼女は私に視線を向けて一瞬考える。そして、確かにお前も知っておくべきことね、とすべて話してくれた。
知ってしまった内容に驚く。私にとって世界とは、この地上のことでしかない。しかし彼女達の言う世界とは、もっと大きなもの。想像以上に深刻な内容に衝撃を受けて言葉を失う。
それでも、それが今起きていることで、この先待ち構えている未来なのだとしたら……
彼女の頬に両手で触れる。話を聞いた瞬間に、危惧した。彼女は恐らく、止めるのも聞かずに行ってしまうだろうと。危険な目にあって欲しくないのに、危険な場所へと自ら向かう。何故かそう確信した。
魔王を死に追いやった古の悪魔と言われるものに自ら挑み、そのせいで死んで、復活のためにトリクシーに宿ることになったと聞かされれば、恐ろしく思うのは当然だ。
危険を顧みず、命を懸けて、先陣を切る。逞しいと言えばそうかもしれない。だが、無謀だとも言える。彼女は恐らく、何のためらいもなくそうするのだ。そういう生き方をしてきたのだと分かる。
「どこにも行くな。私の傍にいてくれ」
彼女を引き寄せて強く抱きしめた。彼女は何も言わない。それが答えのようで、恐ろしかった。




