28.セオドア視点
話は終わったと言って、アリアは転移の魔法で姿を消す。あの悪魔も同じく姿を消して、ここには私だけが残される。
悪魔が姿を消したことで胸を撫で下ろしているところで、一歩前に出て片膝をつき首を垂れた。
「陛下、不忠な私をどうか罰してください」
「セオドア……」
いつもは私のことをブラッフォード公爵と呼ぶのに、まるで子供の頃のように私のことをセオドアと呼ぶ皇帝陛下。騎士としての謝罪を行う私に、皇帝陛下は言葉を失うも、寛大なお心で許して下さった。
「お前は悪くはない。責めを負うべきは私だ。大切な者達を守れなかった。許せ、セオドア」
皇帝陛下の謝罪に返す言葉もなく、俯いたまま首を振ることしかできなかった。皇帝陛下は何も悪くない。皇太子殿下もそうだ。悪いのはすべてあの女と、背後で操っていた悪魔だ。だからどうか、謝らないで欲しい。
携えていた剣を鞘ごと頭の上に掲げる。叙勲の際に皇帝陛下より直に賜ったそれを返納するのは、爵位返納と騎士団の脱退を意味するもの。しばしの間逡巡された後、それを受け取ってくださった。
「行くのか」
「私のしたことは、許されることではありません。首を刎ねられることも覚悟の上です」
「そのようなことはしない。お前は、私の甥なのだぞ」
その言葉に胸が詰まる。苦しませてはいけない方を苦しませている、と実感した。自らが選んだこととはいえ、結果を理解した上で行ったことが、誰かの痛みとなって己にも跳ね返ってくる。
覚悟していたことだ。すべての人を欺き、決別の道を選んだ。もう、後戻りはできない。
床に額が着くほど首を垂れた後、後ろに身を引きながら立ち上がる。もう一度深く頭を下げ、アリアの後を追って転移の魔法を使う。
果たしてこれが正しい道だったかどうかは分からない。だが、これ以上の道を選べなかった。トリクシーを失った時に、すでに私は人であることを捨てていたのかもしれない。
転移の魔法を使って、潜伏場所である旧貴族の廃城に着く。何度も使っている魔法だが、いつも使う度に気分が悪くなる。今日は特に酷いと思っていると、揺らめく視界の中でアリアを見つけた。
誰かと話していると分かってはいたが、無意識に彼女の傍に近付き抱きしめる。頭痛が酷くて、でもそれ以上に胸が苦しくて堪らなかった。
私はもう、本当に戻れないのだ。家族も友人も、尊敬する人達をも裏切った。もう、君の傍にしか、私の居場所はない。
力強く抱きしめていたら、彼女は私の苦しみを転移の魔法のせいだと勘違いする。
「お前、本当に転移の魔法が合わないのねぇ」
「アリア、彼は君と交尾がしたいんじゃないか? 私は邪魔だろうから、別の部屋で待つよ」
悪魔の下世話な軽口に不快な気持ちになりながら、頭痛を持て余しつつ体を離す。心身ともに限界だったとはいえ、もっと慎重になるべきだった。分かりやすいアリアとは違い、底の知れない悪魔を前に弱っている場合ではない、と自分自身を叱責する。
私の体調が悪い理由を分かった上で、求愛行動はもう終わりかい、と嘲笑う悪魔。実力差は歴然としていると痛感しているからこそ何も言えず押し黙る私に気を良くしたのか、それ以上からかうことはしなかった。
「まぁ、アリアの術式は肉体の負担を考えない簡易的なものだから、魔法に不慣れな者には辛いだろうねぇ。そうだ。せっかくだから、私が君にも合うように改良して上げよう」
「いいから帰って。私は疲れているの」
「なんだい? 君も番と交尾がしたいのか?」
アリアにも軽口を叩く悪魔に対し、彼女は人間の体の不便さを味わいたいなら今すぐ殺してやると殺気立つ。苛立ちを隠しもしない彼女だったが、本当に疲れているのか覇気がない。
そういえば、下位悪魔に囲まれていたと言っていた後、血しぶきを浴びて戻って来たのだった。普段通りの様子だったが、やはり体力を消耗していたのかもしれない。
悪魔の相手をするのが面倒だったのか、アリアは、はいはい、と悪魔の言葉を聞き流し、悪魔も悪魔で、後でまた来ると言って転移する。何故、また来るつもりなのか。
正直、あの悪魔のことが気に入らない。アリアはあの悪魔と話している時は普段以上に砕けた口調になる。それは、それだけの年数分だけ相手のことをよく知っているのだという証のように感じて不愉快だ。
本当に、どんどん欲深くなる。自分がこんなにも誰かに執着することがあるのかと、自分で自分が信じられない気持ちだ。
そんな私の気持ちとは裏腹に、アリアはもう悪魔のことは気にしていないのか、湯に入って行った。しばらくして戻って来ると、そのままベッドに直行し、腰かける。私が遠慮がちに彼女に近付き顔に手を伸ばせば、隣の部屋を用意してあるから早く寝なさいと言われた。
彼女の頬に滑らせていた指が、思わず止まる。今夜だけは、傍にいたい。いや、できることならこの先もずっと……
「私の欲しいものをくれるんだろう?」
「今日は無理よ」
「私はただ、君の傍にいたいだけだ」
そのつもりはない、ということを理解してくれたらしく、だったら、と受け入れてくれた。
「あぁ、そう。あいつが番だ、交尾だと言うから、てっきりそうなのかと思ったわよ。いいわ。寝かしつけてあげましょう」
「私をそうやって煽るな。子供扱いされる度に、抑えが効かなくなる」
本当にそんなつもりはないが、軽く彼女をベッドに押し付けた。見上げてくる彼女は、何処までも涼しい顔をする。
屈服させたい。私に溺れる姿を見て見たい。私の中で膨らむ感情は、私の意思とは関係なく本能で彼女を求め続ける。何故こんなにも、抑えられないのだろう。その疑問を彼女は思いがけず話してくれる。
「魔族になりたてだからかしら? 今最も心に宿る欲望が剥き出しになっているみたいね。まぁ、しばらくすれば落ち着くわ。だから、飢えた獣のような目で見ないでくれる?」
「いつ、落ち着くんだ?」
「さぁ? 個人差があるから何とも言えないけど。とにかく、ここで眠りたいなら大人しく寝なさい」
そう言われても、すぐには眠らない。彼女の唇を食むように、角度を変えて口付けた。噛み付くようにではなく、戯れるようなそれに、やはりアリアは応えてくれる。
愛なんて無価値だと言いながら、私の求めに応じてくれる姿が愛おしい。それだけで、満ち足りていく。
アリアから香るクロラの匂いに誘われるように、少しずつ眠気が襲ってきた。自然と、彼女の隣に横になる。だがもう少しだけ、話がしたかった。なんでもいい。他愛のない話をしたい、と……
「君は、クロラの香りが好きなのか?」
「クロラ? あぁ、この匂いのこと? お前達はこれをクロラと呼んでいるのね。魔界では、この花のことをアリアと呼んでいたわ」
「アリア? 君の名前と同じだ」
「そうよ。そもそもこの花は、弟がこの世界に持ち込んだ魔界の花だもの」
まさか、そうだったのか。この花にそんな逸話があったなんて知らなかった。なるほどな。この世界が焦土と化したその後も存在し続けられたのは、そういうことだったのか。
クロラの花は、古い文献にも載るほど歴史が古いことは知られていた。世界が滅びかけた以降の文献しか残っていないとはいえ、それ以前の世界にも存在していた可能性があるとの諸説がある。ただの花に関する内容だったこともあってか、あまり重要視されておらず小さな記述だったが、トリクシーはそれを見つけた時楽しそうに私に話してくれた。
聞いた時は俄かには信じられなかったが、なるほど、魔界の花だから強く生き延びたのかと納得する。
「ここでは淡い水色をしているけど、魔界では真っ赤な花で、私の領地に沢山咲いていたわ。私の領地は常に血に染まるから、アリアの花はそれを吸って赤く染まる。だけど、誰も本当の花弁の色を見たことがない」
「それで、この世界に花を植えたのか?」
「恐らくね。一体誰の入れ知恵なのかは知らないけど、ある意味、弟を誑かしてくれたそいつのせいで起きた悲劇だったと言えるかしらね」
彼女の弟がこの世界に来なければ、人類は彼女の逆鱗に触れることなくいられたかもしれない。だが、そんなもしも話には意味がない。起きてしまったことがすべてだ。
世界が滅びかけたことも、トリクシーのことも……
「もう眠りなさい」
眠気に力をすべて奪われそうで、でも一言言っておきたい。どうしても、これだけは。
「アリア……愛している。君を愛している」
ぼんやりする中で、アリアの声が聞こえた気がする。だがもう、よく聞こえなかった。




