26.セオドア視点
顔を両手で覆いながら呻く女を射殺さんばかりに見ていた悪魔。しかしその悪魔の背後から、鎌の刃先が現れて首元に迫った。
「私の獲物を横取りするな」
無事に戻って来たのか、と一瞬安心したものの、彼女は血を纏って戻って来た。元々髪も目も赤い上に、血を浴びて全身が赤に染まる。怪我をしたのではないかと心配になってしまうほどの姿だった。
その目は爛々とし、今まで見てきた以上に悪魔らしい表情をしている。
「ソレは、背後の悪魔を炙り出すための餌だ。お前の謀略ではないのなら関わるな。さもないと、お前も共犯だと判断するわよ」
「まったく、信用がないねぇ。我等は、魔王陛下がお創りになった最初の悪魔だろう? 共闘することがあったとしても、殺し合うことなど有り得ないではないか。魔王陛下がそれをお望みではないのだからね」
「そう? 私はお前を殺してもいいんだけど」
お前は不気味で不愉快なのよ、とアリアは言う。纏う血が不快だったのか、魔法でそれを消し去って、未だ蹲り呻いている女の傍まで行く。
恐らく、女を完全に拘束していなかったのは意図的なものだとアリアも気付いている。侍女の悪魔へ咎めるような視線を送りはしたが口にはせず、女を覗き込む。
「リリス、コレを元に戻しておきなさい」
「おや、随分とお優しいじゃないかアリア。君の復活を阻んだ邪悪な人間だぞ?」
「そうかしら? どうせ契約した悪魔に寿命を吸い取られて死ぬしかないのに、それが分かっていて生かす方が酷じゃない? 死に際の苦痛に耐え兼ねて、悪魔のことを口にするかもしれないもの。口はあった方がいいでしょう?」
正式な契約を交わせていれば苦痛なく死ねたでしょうに、と体を引いて冷笑する。その間に侍女に治療を受けた女は、恐怖の只中にありながらも自分を救える唯一の存在は一人しかいないと考えたのか、アリアに縋りつく。
アリアはそれをただ見下ろしていた。
「ごめんなさい! 謝るから助けて!! わ、私はただ、恨めしかっただけ。殿下やテッドに好かれて、悔しかったの。何でも持っているくせに、男まで手に入れて腹立たしかった。殿下が欲しかったの! テッドが欲しかったの! 貴女が邪魔だったから、純潔を奪わせてテッドに嫁げないようにしたかっただけ。それで自殺でもしてくれれば私が愛されるはずだと思ったの。私が! 私だけが愛されるはずだったの!!」
「そう、それで? 悪魔がそうさせたのか、お前がそう判断したのか、どっちなの?」
恐ろしく冷静にアリアは聞いた。まるで、トリクシーの死に関心はないかのように。いや、そんなことはないだろう。彼女が完全な形で復活するには、トリクシーの幸せが第一だったはず。それを阻んだのだから、何も感じていないわけではない。
だが、今は相手の悪魔のことを知りたいという方が上回っている。己の陥れた悪魔の方に関心が向いているのだ。
あまりにも何でもない事のように聞き流されて、女は躊躇する。
清純な女性にとって、純潔は婚姻まで奪われてはいけないものだとされていた。それを本人の意思とは関係なく一方的に奪う行為は死に値する屈辱。清純を絵に描いたようなトリクシーであるならば、まさに耐え難いものだっただろう。
だからこそ、そのあまりの恐怖を前に絶命してしまったのだから。
今目の前にいるのは、トリクシーの姿のアリアだ。純潔を重んじることがない以上、それを重要視していないのは明白だった。しかし女にしてみれば、目の前にいるのが悪魔だろうとトリクシーだ。謝れば許してくれる清純な女性だと、信じて疑っていない。
己が口にした内容が内容なだけに、もしトリクシーだったとしても周りが許すはずがないとは思ってはおらず、完全に頭がおかしくなっていた。
「悪魔じゃないわ。神様よ。私に力をくれたの。幸せになる価値があるから。私は神様に愛されているの。だから神様が助けてくれるわ! 悪魔だから、皆に愛されていただけよ!! あんたこそ、心を惑わせていたんだわ!! 皆騙されていたのよ!!」
「はっ、愛されることに何の価値があるのかしら? 逆に悪魔だったら、愛されたいなんて思わないわよ。そんな無価値なものを得て何の得があるのかしら。人間如きに愛されることに何の価値があると?」
心底おかしなことを言う女だと嘲笑うアリアだったが、その言葉は女だけではなく私の心にも突き刺さった。無価値……君にとって私の愛は、無価値なのか。
私が抱いたのはトリクシーではなく彼女だった。だが、彼女の中ではトリクシーの代わりだと思われている……ということなのか?
欠落。あの悪魔の言っていた言葉が暗く重く圧し掛かる。アリアは大きく欠落していた。一端に見え隠れする愛情だが、それを本人は愛情だと認識していない。
アリアほどの力を持つ悪魔なら、私のことが煩わしければすぐにも殺せるだろうに、そんなこともせず私の望み通りに私に体を預けて隣に眠ってくれた。去り際に彼女を抱きしめてもそれを静かに受け止めてくれたし、口付ければ応えてくれる。それなのにそこに愛情がないなどと言えようか。
これは大きな欠落だ。まったく認識できていないのだから。
認識できていないだけでそれは存在すると分かってはいても、彼女の口から意味のないものだと言われることに心が凍る。思っていた以上に、彼女への気持ちが深いのだと思い知らされた。
一瞬、悪魔から視線を送られた気がするが、アリアから女へと視線を向ける際のほんの些細な間だったため、気のせいだったのかもしれない。心が定まらない中、周りのことを把握することは難しかったが、悪魔はアリアの言葉を肯定しながら別の話題に変える。
「まぁ、魂は君だとはいえ人間の際の人格は環境が作るものだ。意図して人心を惑わすことなどできないから、騙したわけではないだろうね。しかし驚いたな。神よりその系譜に与えられた特殊な力を有した一族の中に君が生まれるとは」
「所詮人間達の言う神力とやらは、神が与えた破魔の力の劣化でしかないもの。系譜へ付与されている力は確実に衰えている」
呪いによって人類が長きに渡って存続できる代わりに血が薄まったのだろう、とアリアは言う。確かに人類は、贖罪できるその日まで存続することを許された。
逆に言えば、許されるということは死を賜ることと同意に聞こえる。行い次第で許すと言っていたとは伝え聞くが、アリアを知れば確かに言いそうだと思う。
神力並びに魔法を封じられ、発展する機会を奪われた人類の危機は、実に2000年前のことだ。王族と公爵位の婚姻を推奨して行ってきたとはいえ、血が薄くなっているのは間違いないだろう。
「神は、この世界を見捨てたのか?」
悪魔の疑問は、私達人類がずっと抱き続けてきた疑念だった。アリアが暴れまわった後の世界は死の世界だったというのに、神は救いの手を差し伸べてはくれなかったのだ。復興するのにどれだけの時間を要し、内紛と戦争が度々繰り返され、疲弊する。
それでも神は救っては下さらない。やっと得た平和も、アリア復活への布石だったのだとしたら?
神は一体何をお望みなのか、分からなくなる。




