25.セオドア視点
悪魔だ、と瞬間的に悟ったと同時に、何かが横を勢いよく通り過ぎる。見れば、いつの間にかアリアがその悪魔に斬りかかっていた。武器の鎌を振り下ろしていたが、相手は難なくそれを受け止める。
「手荒な歓迎だな」
「貴様が胡散臭いのが悪い」
「我等は共に、魔王陛下の両翼ではないか。争う必要などない」
「一緒にするな。魔界に隠れ潜むしか能がない腰抜けめ」
大鎌を縦横無尽に振り回し、相手の悪魔もそれを受け流しながら戦闘は続く。しかし、侍女の悪魔や眷属となった私ならいざ知らず、普通の人間には見えない速さの戦闘だ。
会話だけは聞こえているだろうが、衝撃波のようなものを感じるだけで何が起こっているかは分かっていないだろう。
「私は、人間という汚らわしい生き物には触れなくないのでね。死なねば君とて、そのような恥辱は受けずに済んだだろうに」
「黙れ。古の悪魔と闘える機会などそうはない。命を賭しても価値がある」
「結局倒したのは神だったのに? いい所ばかり、神に持って行かれるな?」
やっと動きが止まったかと思えば、怒りからか魔力を放出する。己の手で倒せなかったことを腹立たしく思っていることが、そこからは伝わってきた。
多くの人間はそれで完全に失神し、残っているのはアリアの羽根で護られたフィッシャー伯爵夫妻とキッシンジャー伯爵夫妻とそれぞれの護衛。そして、王族の血を引く者達とあの女や他国の王族が数名だけだった。
「そんなことより、こんなことをしていていいのか? 今君が放出した魔力のせいで、下位悪魔共がこの星を取り囲んでいるぞ? 君が滅ぼさなくとも、奴等が下りてくれば滅びるだろうな?」
君の呪いで他の悪魔達はこの星を嫌厭していたのにね、と悪魔は言った。まさか、今までこの世界が悪魔の襲来を受けなかった理由が、彼女の呪いのせいだったというのか。
「私が全盛期の力を取り戻せないと知って寝首を掻きに来たか。愚かなこと。上位悪魔の恐ろしさを知らない下位如き、私に薙ぎ払えないとでも思ったのかしら。丁度いい、あの中にいないか確かめて来よう。いないとしても、鬱憤晴らしに突き合わせるとするか」
悪魔に向けていた大鎌を引いて、距離を取るアリア。独り言を言っていたが、その内容が穏やかではない。怒りに火がついて、完全にまともな判断ができていなかった。
元々の性格も後押しする形で、現状の進展のなさに苛立ちを感じている。あの悪魔は恐らく、それを狙っていたのだろう。アリアの逆鱗に触れるものが何か分かった上で煽っている。
とても頭の切れる男だと警戒していれば、一瞬だけ目が合い、ほくそ笑む。嫌な予感がしたと同時に、止める間もなくアリアは翼を出して姿を消した。
何処へ行ったのかは分からない。下位悪魔がどうのと言っていたから、恐らく奴等を蹴散らしに行ったのだろう。しかしこの状況で、同じく上位悪魔を置いたまま居なくなるなんてと絶望的な気持ちになる。
彼は、アリア程甘い男ではない。何が切っ掛けで死地に追いやられるかも分からない不気味さがある。慎重に対応しなければ危険だと直感する。
そんな悪魔が、何故かこちらに近付いてくるではないか。警戒するのは当然のことだった。
「そんな風に身構えないでくれたまえ。取って食いやしないさ。私と君は、親戚のようなものだろう?」
アリアの眷属になったのだから、と冷笑する。人間が悪魔の眷属になったことを蔑んでいるのか、或いは私がアリアの眷属になった理由を嘲笑っているのか、判断はできない。
それでも、私の存在を少なからず煙たがっていることだけは伺えた。なのに、何故かとても楽しそうに笑う。とても愉快だと言わんばかりに。
「魔王陛下の望み通りに事は運んでいるようだな」
それは一体どういう意味だ? 魔王が何を望んだというのか。しばらく独り言を言いながら笑っていた悪魔は、再び私を見て言った。
「アリアは、役に立たないものを傍に置くほど寛大ではない。まぁ、君の場合は潜在的な魔力も高いようだし大丈夫だろうけど、苦労すると思うよ? アレは、大きな欠落のある悪魔だからね」
まぁ悪魔なんて皆そうだが、と悪魔は言う。大きな欠落……それは、恋愛感情のことだろうか。彼女の中に、愛情というものが乏しいことは分かっていた。寧ろ無いに等しい。望んだからと言って手に入れられるようなものではない気がする。
だが、私が眠れていないことを気遣う彼女の心に一欠けらも愛情がないとも思えない。微々たる感情だとしても存在するのだと思いたいが、そうではないような気がして不安になる。
私の心がトリクシーとアリアの間で揺れ動くように、彼女も私との愛を育むことができないのではないか。トリクシーへの気持ちを切り離せないくせに身勝手だと言われても、彼女に愛されたいと願ってしまう。
己の感情ですら制御できないのに、望みだけを抱くのは不公平だ。
「しかし、アリアは面倒なことを特に嫌う。せっかくの魔力も教え導くものがいなくては宝の持ち腐れだろうが、アリアは指導者には向かないしねぇ……そうだ、私が教えてやろう」
元人間ということには変わらないが大目に見よう、と言う。私には決定権のないことをつらつらと述べていく。それを決めるのは私ではない以上、提案されても答えようがない。
そこに、侍女の悪魔があの女を拘束したまま近付いてきた。
「アリア様がお決めになることです。勝手なことをおっしゃらないで下さい」
「いやぁ、リリス。随分と見ぬ間に大人しくなって。趣味の拷問は鳴りを潜めたのかね?」
「アリア様のご命令がなければ致しません」
そうかいそうかい、と聞いておきながら特に返答内容を気にしている様子はない。ただの社交辞令のような会話だったのか、悪魔は侍女が捕まえていた女のことを見ていた。
人間が嫌いだからなのか、一定の距離を保って近付かない。しかしあろうことか、女は正気を取り戻したのか気が狂ったのか、目の前の悪魔にしがみ付く。
「た、助けて! たすけっ、うぐ!!」
衝撃が走る。悪魔は、汚らわしいものとでも言わんばかりに女に掴まれた右腕を振り払う拍子に張り倒した。女性に対して手を挙げることは、紳士としてあるまじきことと教えられている我々にとって、それは息を呑むような暴力だ。
私とて、先程アリアを助ける名目で女の腕を捻り上げはしたが、怪我を負わせるようなことはしない。どんなに憎かろうと、それだけはできなかった。しかしこの悪魔にとって、性別など関係ないようだ。人間は穢れた生き物、という認識だった。
「人間如きが高潔な悪魔に触れようなどと、汚らわしいにも程がある。不愉快だな。殺すか?」
先程アリアが発した魔力とは桁違いの魔力を放出する。何とか耐えていた他の人達も、気を失いそうになるほどだった。ここまで悪魔に耐えたからか、アリアの魔力に護られた両夫妻や護衛以外の人達は、ぐっと耐え忍んでいる。
王族の血を引いている者ですらつらい状況の中で、異国の王族数名が耐えている状況に不審を抱く。何故彼等は耐えられるのか。
まさか、王族の血を引いている?
有り得ない話ではない。今のように平和ではない時代に、和平を目的として王族同士の婚姻ということは有り得るものだったからだ。神力を持っていれば、悪魔の力に逆らえる。戦えるまではいかなくとも、受け流すことはできるのだから。
しかし、血が薄まればその限りではないとアリアは言っていたのに……どういうことだろう。
疑問は尽きないが、今はそれどころではなかった。殺伐とした空気が流れ、息もできない。このような状態が続けば、皆倒れてしまうだろう。




