14.セオドア視点
王宮の門前で起きた諍いを何処で聞いたのか、事務処理に飽きて抜け出してきたグレゴリーにからかわれた。なんで俺も呼んでくれなかったんだよと、楽しそうに言われる。冗談じゃない。お前があの場にいたところで、どうせ止めなかっただろうに。
大体、あの後が一番面倒だったのだ。落ち込んでいるのか何なのか、終始俯いたまま黙っていたアディントン男爵令嬢を心配したクロムウェル侯爵がとにかく煩わしかった。
交代まで持ち場を離れられない守衛を呼び寄せて、医官を呼べだの何だのと。困った彼等が私に助けを求めるように見て来るので、ここでは皆の迷惑になるから早くダリア宮に連れて行けと奴に言うと、その態度は何だと噛み付かれた。
騎士らしく抱え上げて連れて行けばいいだろうと提案すれば、抱え上げるという言葉に反応して徐にそれを実行する。なんとも単純な奴である。あの女の最終目的は、恐らく皇太子殿下の妃の座。お前が選ばれることはないというのに。
王宮での仕事の度にあの女の顔を見なければならないのかと思うと気が滅入る。今回は、申し訳ないことにキッシンジャー伯爵も巻き込んだ。だからこそ、彼等に危害が及ばないように善処しなくてはならない。
今回の件で、あの女が大人しくしているとは限らない。出来うる限り護衛はするが、それが及ばない場合はどうすればいいのだろう。トリクシーの時のような過ちを繰り返さないように出来るだろうか。
今回の騒動は、恐らく皇帝陛下の耳にも入ったはずだ。皇帝陛下が動けば、彼等の安全に万全を期してくれるだろうとは思うが……心配ではあるが、少なくとも目的の一つは達成された。
その他にもいくつか布石を打って置いたので、その何れかが当たれば作戦通りに行くだろう。ただ、これはとてつもない賭けになる。成功する可能性が五分五分なことが気がかりだ。
オークウッド卿は恐らく、一連の事件で私を疑っている。最も動機を持つ容疑者は私だ。疑いの目を向けられるであろうことは元より覚悟の上、証拠がないため、きっと泳がされるだろう。
直前で阻止されようものなら、すべての計画が無駄になる。それだけは避けなければならない。
目的の内容も日取りも、彼ならば気付いていておかしくはない。ただ、さすがにこちらに悪魔の共犯者が居ようとは思ってもいないだろうが。
決して油断はできない。例えグレゴリーの前であっても。
疲れを滲ませたまま屋敷に戻ったのは、真夜中のこと。使用人達が寝静まった頃を見計らって帰宅したが、執事が起きて待っていた。一人になりたいことを知っていて、彼は夜食や湯船の有無だけを確認する。どちらも不要と伝えると、何も言わなくても私のことが分かる彼は、御用の際は何なりと、と言って下がった。
やっと一人になった、と溜息を吐きながら寝室に入ると、暗がりの部屋に人影を見つけ身構える。しかし、すぐにそれが誰なのかを悟った。
「あら、随分と遅かったのねぇ。使用人達はほとんど寝ているみたいだけど?」
「アリア様」
何故ここに? 帰宅を遅くしたのはあえてのことだが、皆が皆寝ているわけではないのに何故会いに来たのか。とても危険すぎる。しかも……
「広くていい部屋じゃない。魔界にある私の部屋よりは小さいけど」
「何用ですか?」
「あら、用がなければ来ちゃ駄目なの? なら帰るわね」
腰かけていたベッドから立ち上がり、悪魔はそのまま窓辺へ向かう。その手を思わず掴んでいた。
私は一体、何をしているのか。己の行動に困惑していれば、目の前の悪魔は不敵に笑う。手首を掴んだことに不快感を示している様子はない。
「お前の言った通りにしてやったでしょ? その後どうだった? 面白いことになった?」
近況を聞きたい、とその顔には書いてあった。わざわざそのためにここに来た、と? 慎重に進めてきた作戦だというのに、楽観視しすぎている。しかし……ベッドに座っていたのには一瞬言葉を失ったが、傍にいると何故こうも安心してしまうのか。トリクシーではないと分かっているのに、この手を放したくないのは何故だろう。傍にいたくなってしまうのは、何故…?
手首を掴んだままの私に文句を言うでもなく、そのままソファーに腰かけた。自然と隣に座った私を気にした風でもない。ただ、さすがに手首を掴まれ続けていることに気付いたらしく、手首を目の高さにまで持ってきて確認していた。
失礼なことをしている、と咎められたわけではないがじっくり見られると羞恥心が湧いてくる。さっと手を引いて謝罪するが、あろうことか悪魔は逆に掴んできた。
「人間達は何故、理由もなく手を拘束するの? 片手を拘束する意味なんてある?」
「それは……」
純粋な疑問を投げかけられる。何と答えたらいいのか分からなくて口籠れば、答えを期待していたわけではないようで、話題を変えられた。
それ以前に、私が隣に座っていることを咎めないのだろうか。侍従とまでは行かないまでも、少なからず契約関係で結ばれた主従関係があるというのに、不敬だとは思っていない様子だった。
「待つのは性分じゃないのよね。いい加減、向こうが動いてくれないかしら」
「今のところは計画通りに進んでいます。このまま行けば、復讐の機会は巡って来るかと」
「でも、ここまで揺さぶりをかけても悪魔が出て来ないじゃない」
それを言われてしまうとどうしようもない。こちらの思惑通りに行くかどうかは向こうの出方次第だ。あの女は誘導し易くとも、その背後にいる悪魔のこととなるとさすがに何をしたらいいのか分からない。
それは彼女も同じなのか、面倒な相手だわと言っていた。作戦に乗ってくるような相手ではないとしたら、私の方の目的は達成されても、彼女の目的は達成されない。契約では、双方の目的が達成されるまで解除できないことになっている。
「やり方は完全に下位悪魔の特徴なのに、姿を現さないなんてどういうつもりなのかしら。敵に回したのが私だと気付いたとか?」
恐れをなして逃げているのではないか、と推測する彼女に言える言葉はない。私は結局、己の目的のためだけに行動して、彼女のことをよく知らない。悪魔としてどのように生きて来たのか、何をしてきたのか聞いたことはなかった。
それでも、知れば知るほど思い描いていた悪魔像を覆される。これが悪魔だというのなら、人間の方が悪魔ではないか?
答えを見つけられなかった彼女は、考えることをやめ立ち上がる。帰るのだろうかと私も立ち上がるが、何故か彼女はベッドに再び腰かけた。
「ちょっとここで寝ていくわね」
「……今、何と?」
よく聞き取れなかった。いや、耳を疑ったと言うべきか。固まる私に、再び同じ言葉を発する。その目には、決定事項だと書いてあるかのようで……
「失礼ですが、私の寝室をお使いになるのですか?」
「そうよ。お前も使用人に気付かれたくないのでしょう? だったらここしかないでしょう」
気付かれたくないと分かっていて、何故ここで寝ていくのか。どうしてそのように考えたのか分からない。だが、反論しても覆りそうにもない。
「分かりました。では私は、隣の部屋で事務仕事をしていますので」
「何を言ってるの? お前も寝るのよ」
思考が停止する。何を言っているのか聞きたいのはこっちだ。一体どういうつもりだ? 例え中身が悪魔でも、未婚の男女が同じベッドで眠ることがどういう意味なのか知らないのか。
「まだやることがあるのに、碌に眠らずに死ぬつもりなの? そんなことは許さないわよ」
「きちんと眠りますから、どうかお帰り下さい」
「何故? 好きな女が隣にいると、男は眠れるものだと聞いたけど」
そんなことをどこで聞いたのか。寧ろ、好きな女性が隣にいて熟睡できるような男はそうそういないだろう。長年の積み重ねを経て当たり前になっていくまでは無理だ。
一体何処で拾ってきた知識なのか。まさかそのために来たとでも? 頭が痛い。
溜息を吐いていたら、彼女は徐に立ち上がり私の前まで来る。背伸びをしながら私の顔を両手で引き寄せて、額に口付けをした。それはいつもの、別れ際にされるものだった。しかしいつもは私が傅いているので、見上げられているという新鮮さに胸が苦しくなる。
この高鳴りは、トリクシーへのものなのか、それとも……
「早くお眠り坊や」
坊や。急転直下だった。悪魔にとって、私など赤子も同然ということか。不敵に笑いながら言われた言葉に、何かが断ち切られる。
私は、子供ではない。




