15.セオドア視点
自分でも、何をしているのか自覚がない。ただ、気付けば彼女をベッドに押し付けていた。怒りなのか悲しみなのか虚しさなのか、判断のできない感情が渦巻く。
「私は男だ。それを証明する」
驚きもせず、怒りもせず、ただ見上げるばかりの彼女に噛み付くように口付ける。息が上がり、互いの熱が上昇した。彼女からトリクシーが好きだった花の香りが漂ってきて、眩暈がする。
ふと彼女の目を見た時、取り返しのつかない間違いを犯してしまったことに気付かされた。私は一体、何を……?
感情に流されることなく、ただ見上げてくる瞳。何を考えているのか分からなくて、恐ろしいと感じた。
「それで? 私を抱けば眠れるの?」
「っ!! 申し訳、ありません」
慌ててベッドから離れ、距離を取る。私は、何をやっているのだ。
己の立場が分かっているのか。この悪魔はただの悪魔ではない。この世界を滅亡させかけた厄災そのもの。何が逆鱗に触れるかも分からないというのに。
トリクシーのために共闘を決めたが、目的を半ばに彼女の機嫌を損ねるようなことをしてどうするのか。今までの努力すべてが無に帰す、そんなことはあってはならない。
何故、こんなことをした? 彼女はトリクシーではない。私の愛するトリクシーではないのに……
頭を抱え、その場に蹲る。自分自身のことがよく分からなくなって、混乱する。何度も頭の中にトリクシーの笑顔を思い浮かべるが、それらはすべて彼女の顔に変わっていく。
同じ顔だとしても、浮かべる表情は全く違う。それなのに、何故最後には彼女の不敵な笑みに変わるのか。
目の前に気配を感じる。それは、私の困惑などお構いなしに覗き込んできた。
「お前、欲求不満なのね。だから眠れないのでしょう。残念ながら私は淫魔ではないから、悦ばせ方を知らないのよねぇ……リリスを呼んだ方が良さそうね」
的外れな推測をし、あまつ侍女の悪魔を呼ぼうとするので制止した。いくら己の行動が信じ難く受け止めきれないからと言って、彼女の勘違いをそのままにして置くことはできない。
「そういうことではありませんので、とにかく今日はもうお帰り下さい」
「怒りを抑え込むだけに飽き足らず、性欲まで抑えるというの? 発散できるものは今の内に発散しておくべきだと思うけど」
私もいい加減暴れたい、と続いた言葉に不安が過る。まさか本当に暴れる気ではないだろうな?
トリクシーの体に傷をつけないというのが私と交わした契約だ。まさかそれを忘れたわけではないだろうか、と疑心を抱くと、今度はその意図をきちんと汲み取った。
「安心しなさい。この体を傷つけたりしないわ。でも、お前は例外よ。ベアトリスが目覚めたら、いくらでもこの体を楽しむといいわ」
それだけを言い残し、彼女は姿を消した。呆然と佇み、おぼつか無い足取りでベッドに近付き体を預ける。考えるのも疲れて、着替えることもせずうつ伏せのまま瞼を閉じた。
微かに香るクロラの花の香りが、私を眠りへと誘う。
この指が、この唇が、彼女を求めた。まるで媚薬に屈した獣のように触れた私をあの悪魔は見ていた。トリクシーには決して見せないような姿ばかり見せても尚、不敵に笑って幻滅もしない。
私は、心からトリクシーを愛している。だが…アリア、私は貴女のことを……
眠ることはできたが、体が休息を取ったからといって心は晴れない。自覚してしまった自身の感情に頭を抱え、全く仕事にならなかった。
アインツ公爵領の懸案事項の精査と、物価価格の統一案件、水路や路面建築の優先順位、納税価格の適正化など、抱えている問題はいくつもあるのに、全く頭が回らない。我々とは感覚も存在も違う相手に懸想して、どうするというのか。彼女はきっと、鼻で笑うだろう。
何者にも囚われず、己の生きたいように生きる。何にも執着せず、己の望みは必ず叶える。果たしてその時、人類は無事でいられるのか。
人類の悲願が達成されないように、私の想いも何の意味もなさないのだろう。何故、この気持ちに気付いてしまったのか。
ふと、ある考えが過った。以前、眷属にならないかと誘われたことを思い出す。もし万が一、眷属になれれば……一体、何を考えている? 冷静になれ。
頭を振って、その考えを消し飛ばす。それと同時に、執務室の扉がノックされる。執事のアーロンが入室してきて、私の様子に目聡く気付く。
「連日の騎士団での執務でお疲れのようですね。本日は一日休まれてはいかがですか?」
「そうも言っていられない。すべて早急に済ませなければならない問題だ」
「しかし、全く進んではおられないようですが?」
返す言葉もない。報告書類を睨み付けるばかりで、何一つ頭に入って来ないのだ。このままではいけないと思うのだが、頭が働かない。
アーロンは傍に来ると、机に花瓶を置いた。私に花を愛でる趣味はないぞと言おうとしたが、クロラの花だったため口を噤んだ。
「公爵様の身に何かあれば、心配なさいますでしょう」
誰が、とは言わない。意図していることが分かっているから。
一本抜き取り、鼻に花弁を近付ける。淡い水色の繊細なこの花は、北方の一部地域でしか咲かない貴重な花だった。
雪解けまで待って芽を出すが、草食動物の格好の餌となるためほどんと成長することなく終わってしまう。やっと咲いても一日で枯れ、その刹那的な盛りの後に残るのは、綿毛を纏った小さな種。
懇意にしていた貴族から数個種を譲ってもらい、温室を冷気で纏って育てていたトリクシーのことを思い出す。寒がりな彼女が、クロラの花のために温室の管理に気を遣っていた。
今でもあの温室は残してある。管理できる者を雇って育ててはいるが……そうか、もう咲いたか。
温室という特異な環境下で育てているお蔭か、咲く頃合いをある程度変えられる。今の時期に咲かせる理由は、アインツ公爵家の命日が近いからだ。
3年前のこの時期は、とても暑かった。長引いた残暑の中で少しでも涼を取って頂きたくて、トリクシーが皇帝陛下と皇后陛下に提案したことがあの悲劇の道筋を作ってしまう。
お二人は、アインツ公爵とアインツ公爵夫人のお二人にも同行させようと仰り、その護衛に第一騎士団の大半が割り振られた。王都の社交界の状況が芳しくない中で、トリクシーを一人残すことになるのは心配だったが、マクブライド卿に王都に残して貰えるよう願い出たが許可されず、皇太子殿下の言葉を信じて旅立った。だが、それが間違いだったのだ。
何もかも失って、生きる理由もなくなった。それでも、トリクシーは帰ってきた。悪魔公アリアとして。
すべてを失ったが、完全に失ったわけではない。少しずつ、取り戻していく。必ず……




