12.フレデリック視点
「よく来たな、キッシンジャー伯爵」
皇帝陛下にお会いするのは何年ぶりのことだろう。以前お会いしたのは、皇太子殿下として辺境視察に我が領に来られた際ではなかっただろうか。
身分の垣根を越えて接する皇太子殿下に対し、子供心に憧れと忠臣の心が養われたのをよく覚えている。それから数年後には母が病で他界したのだが、その際に教えられた。
母上は皇帝陛下の非嫡出子であり、皇太子殿下とは異母兄弟なのだと。何故、皇太子殿下が私にあんなにも親身に接してくれていたのかを理解することとなった。
それから数年も経つと皇帝陛下が崩御され、皇太子殿下が即位する。その際の我が領は厳しい真冬の只中にあり、領民の救済に尽力していたため即位式に参列することは叶わなかった。
結果として、私が皇帝陛下にお会いするのは此度で二度目となる。ドールとの縁談の話が舞い込んだ時でさえ、会えなかった御方だ。
ドールがこの王都でどんな辛い目に遭い、心身共に疲弊したまま我が領に来たのか、今でもよく覚えている。傷ついたドロレス嬢をどうか守ってやって欲しいという皇帝陛下の手紙が届いた際は驚いたが、彼女がどんな目に遭っていたのかを調べさせて知ることとなる。
王都から遠く離れたこの地では、王都の喧騒は特に重要視もしていなかったとはいえ噂には聞いていたが、余りにもお粗末な結末ではないかと眉根を寄せた。まさか、公式に先帝の非嫡出子として認められていたアインツ公爵家の血が途絶えるなどと、誰が予想していただろうか。
アインツ公爵家の嫡子であるベアトリス公爵令嬢と仲が良かったドール。長旅だったこともあり、屋敷に到着した際には病に倒れ、しばらくは話もできないほど衰弱していた。
うわ言でベアトリス公爵令嬢への謝罪の言葉を述べ、彼女に会いたがる。どれほど大切な親友を失って傷ついていたのかは、それを見れば一目瞭然だった。
病から立ち直るだけでも大変なのに、女手の少ない辺境の地で順応するのは大変だっただろう。けれど彼女は常に努力し、献身的に支えてくれた。
彼女への愛は募り、夫婦として困難に立ち向かって行くことを確認することに時間はかからず、そうして授かった第一子を安全な形で出産するため王都へと向かわせることに決めた。その際ドールに、王都へは来ないよう再三言われたが、その理由が辺境伯の私が赴いていながら皇帝陛下への辺境報告もせずにフィッシャー伯爵家に赴くだけでは居られないだろうという危惧からだった。
彼女にとって、今でも王都は悪夢の地であり、悪魔の住む地だ。王宮には悪魔のような女が住んでいて、その女のせいでドールがどれだけ傷つけられたか。それも、その女の好みそうな顔というのが私の様な顔なのだという。もし万が一にも私がその女に心が傾いたらと、ドールは涙を流した。
王族の血を引いている者には効かないと皇帝陛下が仰っていたと伝えてもドールの心は晴れず、不安を抱えながら彼女は王都へと向かった。彼女の心情を汲めば、王都へ向かわない方がいいのかもしれない。だが、第一子の誕生を心待ちにしている私としては、会いに行かないという選択肢はなかった。
ドールは悲しむかもしれないと思いながらも王都に到着しフィッシャー伯爵家に着くと、ドールは強い瞳で私を見た。最後に見た、不安を抱えていた彼女の姿ではなく、決意を宿した瞳で私に頼み事をする。
王宮へ赴き、すべての元凶である令嬢に会っても平静を装って対応して欲しいという。それも、必ず会うことが叶うように、第一騎士団のブラッフォード公爵に会ってきて欲しいとも。
その真意を詳らかにされた時、何故彼女がここまでの決意を以てそう願うのかを理解した。これは、私にとっても復讐だと言える。ドールのような心優しき女性を深く傷つけ、未だ彼女を後悔の水底に陥れているのだ。
あの事件がなければ、私は彼女と出会うことはできなかっただろう。しかし、だからと言って彼女の様な女性を傷つけていいはずはない。
彼女を苦しめたもう一人の元凶とも顔を合わせることになるだろうが、今は抑えることにしよう。あの愚か者がいなければ、私はドールと出会えなかったのだから。
皇帝陛下への北方報告という建前上の謁見を終えると、陛下は生まれてくる子供のためにと絹織物を下賜して下さった。他にもいくつか下賜されたものを侍従に持ち帰らせると、私は第一騎士団の執務室に向かう。
北方の国境警備の実務報告は、本来騎士団の者に報告書類を手渡すだけでいいため、こうして赴く必要はない。だが、今回ばかりは目的が違うため会う必要がある。万が一ブラッフォード公爵がいなくとも、謁見が叶い王宮に来ている内にアディントン男爵令嬢に顔を見せておく必要があった。
ドールを危険に巻き込みたくはないが、彼女の決意は固い。どんな困難が待ち構えていようとも、戦う覚悟を決めたドール。私はただ、それに従うだけだ。
第一騎士団の執務室に到着すると、ブラッフォード公爵がいた。堆く積まれた書類に埋もれ、哀愁を漂わせながらも執務をこなす様は、綺麗な顔が好みだというアディントン男爵令嬢の標的とされる理由が分かる気がした。
これからは私もその仲間になるのかと思うと何とも言えない気持ちだが、共に王族の血を引いていたがために彼女の執着心に抵抗することになる。彼の心労を表すかの如く疲れを滲ませた表情の中に、秘かに燃える復讐心が垣間見えた気がした。
彼と私の目的は同じなのだと、言葉にせずとも分かった。
人目もあるため、今後の意見交換をすることもできず、ただの実務的な報告だけを淡々と済ませていく。本当ならば詰めの話し合いを行いところだが、不審な行動を取るわけにもいかないため無理だろう。
淡々と済ませた報告が終わると、予想外なことにアディントン男爵令嬢の乱入もないまま帰らざるを得なくなる。再び王宮に赴く機会などそうそうないため、今回を逃すと会うことはないだろうと肩透かしを食らったが、それも杞憂に終わった。
執務室を後にする際にブラッフォード公爵が見送ってくれたのだが、そこに現れたのだ。案の定、私の顔を気に入ったのか目を輝かせていたが、元々社交的ではない私は愛想のない返事しか返せない。
それ以前に、彼女への評価が低いまま会うためか冷たさすら滲み出してしまう。全く気にした様子はないので、このままでもいいだろうと冷ややかに対応した。
「そう! 貴方はフレデリックって言うのね? じゃあ、フレッドと呼んでもいいかしら?」
私が既婚者であることを告げても勝手に腕を回してきて、その上勝手に愛称で呼ぼうとする。成程、先程からブラッフォード公爵の眉間に皺が寄っている理由も頷ける。腹立たしさと不快感、こんな女に心を奪われる男の気が知れない。まぁ、最たる例が目の前の男なのだろうが。
ドールの元婚約者だったクロムウェル侯爵。アディントン男爵令嬢が現れるまではドールのことを大切にしていたと言うが、今はこの女の下僕と言ったところか。とても憐れだ。
アディントン男爵令嬢に対して冷たく対応していることに不快感を示し、態度が悪いと一々文句をつける。分別のある者であるならば、そもそも既婚者に対してこのような態度を示す令嬢の方がおかしいと思うべきなのだが、この男にはそれが通用しないようだ。
完全に悪魔に心を奪われているこの男には、何も見えてはいないのだろう。正気に戻った時、まさかドールを返せとは言うまいが……少しばかり、ドールの不安が理解できる気がする。
彼女の心は私にあると分かってはいるが、彼女を奪われるかもしれないと思うと気が気ではない。ただ、この婚姻は皇帝陛下の決めたことでもある。奴が後々後悔して取り戻そうとしても、もう遅い。
ドールは、私の愛すべき妻だ。もはやお前の手には届かない。




