11.ドロレス視点
「ドロレス、着いたみたいよ」
お母様に呼ばれて顔を上げる。私達とは縁遠い場所である酒場の前で止まった馬車に、思わず不安を滲ませた。けれどお母様は、今日一日貸し切りになっているから安心してと仰る。その占い師は、宿屋も営む酒場を一日貸し切って占うのだという。
入ってすぐに侍女が私達を部屋の前まで案内すると、扉を開けて入室を促した。そこにいたのは、頭からフードを被って顔を隠した女性。
部屋は明るく、怪しげな雰囲気は一切感じない。恐々としていた分だけ少し安心していると、侍女に席へと誘導される。酒場の宿屋にしては調度品が清潔で、この部屋だけ小さなサロンのような安心感があった。
だからこそ不安を煽るというもの。どうして酒場の宿の一室の内装がこのようなことになっているのかしらと気後れしているのを見透かしたように、フードを目深に被った女性は微笑み、侍女に耳打ちする。
「こちらにある調度品はすべて、フィッシャー伯爵夫人のためにご用意致しました。少しでも安心して頂ける空間を作って占うのがアリア様の真骨頂ですので」
「まぁ、聞いていた通りのご配慮ですわね。以前、大変失礼なことをしてしまったというのに心を尽くして下さって、感謝致しますわ」
信じていいのか疑わしく思ってしまう臆病な私をお母様は微笑んで安心させてくれる。もしかしたら、手紙から微かに香ったクロラの花の香りも安心させるためだったのかしら。
「アリア様は、既にお二方の望みをご存じでいらっしゃいます。こちらのお手紙はお帰りになった後お読み下さい」
「まぁ、ありがとうございますわ」
「本日は、安産と健やかな生活が叶うかどうかを占えば宜しいのでしょうか?」
「えぇ、お願いできますかしら?」
目の前の占い師は一切言葉を発せず、代わりに侍女が口を開く。なんだかとても不思議な構図だった。占い師というものは、もっと己を主張するものだと思っていたけれど、違ったのね。
占い師は、手のひらを上にして両手を机の上に置く、侍女の指示で私とお母様はそれぞれ片手をその上に乗せてしばし待つと、占い師は手を引いて侍女に耳打ちした。
「前途は安泰でございます。ただ、秋の狩猟大会の後夜祭の宴にはフィッシャー伯爵家はご出席されない方が宜しいかと思われます」
「まぁ、それは何故でしょう?」
秋の狩猟大会は国を挙げた一大行事だとされている、ほとんどすべての貴族が参加し、諸外国の要人や商人など、あらゆる人々が集まる重要な行事。特に後夜祭の宴は、唯一一般市民が皇帝陛下に謁見できる機会であり、王都内の貴族は特別な理由がない限り参加しなければならない決まりになっている。
それを参加しない方がいいとは、何故なのかしら。私は無理でも、フィッシャー伯爵家として両親は参加しなければならないのに。
「時期的に出産と重なるでしょうから、特別な理由の範囲内と見なされるでしょう」
確かにそうではあるけれど、なんだかとても不思議な助言だった。その後もいくつかお母様は質問し、その内容はどれも心配は無用だという返答。胸を撫で下ろすお母様と違い、ほんの僅かな疑念が私の心の中に生まれる。
フィッシャー伯爵家を秋の狩猟大会から遠ざけているように感じるのだけど、何故なのかしら? お母様は私の付き添いとして傍にいてくれるのは有り難いのだけど、お父様まで参加してはいけないということ?
疑念を取り払えぬまま、屋敷へと戻った。
屋敷に戻って自室で刺繍の続きをしていたら、いつの間にか夜が更ける。もうこんなに経っていたなんてと椅子から立ち上がった表紙に机に置いていた封筒が落ちた。そういえば、占い師から受け取った手紙をお母様から預かったのだったと思い出していたら、侍女がそれを拾う。
もう寝るからと侍女を下がらせた後、ベッドに腰かけて再び封筒に目をやる。何故か、それが気になって仕方がない。不思議な力に導かれるように、机まで歩いて行った。
封筒の中身を取り出し、二つ折りの手紙を開いて言葉を失う。
ベアトリスがアディントン男爵令嬢殺害の嫌疑をかけられた際、私はただ恐怖に震えてその様を見ることしかできなかった。ベアトリスに限ってそんなことをするわけはないと分かっていたのに、あの場の空気に怯え、何一つ口にできなかったことが悔やまれる。
だからかもしれない。その出来事の後、ダンフォースから破談を告げられた時も悲しくはなかった。それ以上にベアトリスのことが心配で、助けられなかったことを後悔した。
それなのにベアトリスは、皇太子殿下にお願いをして信用の置ける騎士に直接届けて欲しいと、私を励ます手紙を送ってくれた。何もできなかった私を恨みもせず、ダンフォースとの破談で悲しんでいるだろうと、心を配ってくれる。
彼女の優しさに救われ、彼女の優しさに涙を流したその夜、彼女とは永遠に会えなくなってしまった。
それからの一か月は、辛うじて生きているようなものだった。心を病んで、塞ぎ込んで、心身共に患っていく私に、皇帝陛下は縁談話を持ちかける。
とてもそんな気分ではなかった私に、皇帝陛下はもしもダンフォースが私との縁談を破談にした際は力になって上げて欲しいと、事前にベアトリスにお願いをされていたのだと教えてくれた。
涙が止まらなかった。どこまで、貴女は私のことを考えてくれているの? 貴女が辛い目に遭っている時、傍にもいてあげられなかった私なのに。
『私は、ベアトリス・アークライト・アインツの名に懸けて、決してブリジット・アディントン男爵令嬢に危害を加えていないと誓いますわ』
高潔に言い放つ貴女の姿を私は胸に刻み続ける。あの言葉で、敵意を向ける人々の視線まで変わった。公爵位の者がその名に誓うのは、命を懸けるのと同意。
優しいベアトリスの、見たこともないほどの強い姿に皆が圧倒された。気を取り戻した幾人かの人達は尚も追求したけれど、場の空気は完全にベアトリスに呑まれていて、誰も彼等の言葉に耳を傾けなかった。
皇太子殿下もベアトリスへの敬意を欠いてはおらず、その丁重な姿勢に異を唱えるのは一部だけ。だから安心し過ぎていたのかもしれない。心配はしつつも、大丈夫だろうと思っていた。それは間違いだったのだと、今なら分かる。
誰かが望めば、人の命などいとも簡単に失われるものなのだと思い知らされたのだから。
「手紙を読んだのね?」
「えぇ」
あの手紙の文面には、何の変哲もないお祝いと、お母様や私の願いを叶える具体的な方法が書かれていた。けれど私は知っている。あの手紙の淵の絵柄に、私とベアトリスしか知らない暗号文字が書かれていたことを。
『今夜、青い月の庭で』
忘れもしない、二人で考えた二人だけの言葉。誰にも話せない秘密を手紙にしたためる遊びは、両家に向けた手紙の中にも書き入れるなど、幼い頃の出来心で行っていた。
成長する毎に必要性を感じなくなりあまり使わなくなったけれど、決して忘れることはない。
あの占い師は、二人だけの暗号文字や二人で勝手に青い月の庭と呼んでいた中庭の庭園のことを何故知っているのか。いいえ、そんなことは明白だわ。
フードを目深に被った占い師は、私の隣まで来るとフードを外した。あぁ、やはり……
「ベアトリス……貴女なのね」
涙が溢れてくる。会いたくて、申し訳なくて、後悔に胸を苛まれた親友がそこにいた。近付いて抱きしめたいけれど、そんな資格は私にはないと、子供のように泣きじゃくる。
ベアトリスは、そんな私に対して静かに言った。
「今、あなたの目の前にいるのはベアトリスの姿の悪魔よ。その証拠に、私とベアトリスは似ても似つかないでしょう?」
彼女は恐らく、言動や装いのことを言っているのでしょう。確かに、仕草や口調は違うけれど、その強い意志を宿した瞳は同じだった。
いいえ、貴女はやはりベアトリスだわ。
「私は悪魔公アリア。ベアトリスが幸せな人生を送りさえすれば全盛期の魔力を取り戻して復活を果たせたのに、何処の誰かさんに邪魔をされてこの体に閉じ込められたの。このような恥辱に塗れたままでは終われないから、復讐するつもりよ。手伝ってくれるでしょう?」
閉じ込められた? 復讐? 俄かには信じられない言葉の羅列に言葉を失う。けれど、これが私の贖罪なのだとするならば、答えは決まっている。
「何をすればよいのでしょう?」
私の返答に妖艶に微笑む彼女。例え悪魔であろうともいい。神に背く行為であったとしても、私は貴女の味方になると決めた。貴女のためならば、私にできるすべてで応えて見せるわ。
今度こそ、間違わぬように。




