十五呪 手掛かり
「友達って、いいな」
「ふふっ……そうね」
でもやっぱり、これって友達って言うよりカップルだよなぁ……
そんな思いが胸中を駆け巡るが、口には出さなかった。この微妙な関係はきっと、迂闊な事を口に出せば壊れてしまうものだろうから。
それがわかっていた叶真は、その想いを胸の奥底に封じ込めるためにも、話題を別の方向へ強引に逸らした。
「ところで蛇喰。一体何読んでるんだ?」
先ほどから気にはなっていたのだ。この部屋に来てすぐ鈴音が読んでいる、少なくとも英語ではないがアルファベットを使った分厚い本。
今日鈴音が叶真の部屋に来たのは、下校してそのままいるだけなので、何かしらの用事があったわけではない。だからここで本を読んでいても叶真としては一向に構わないし、会話があるので内職が嫌にならないためむしろありがたいのだが。
だからそれを訊いたのは、本当になんとなくだった。
「これ? これは呪術の本よ」
「じゅじゅつって……呪いの術ってことだよな?」
「厳密に言えば違うわ。もっと広範囲に、魔術とかそう言う系統全般よ」
「ちなみにそれ、何語?」
「ロシア語よ」
「お前読めんの!?」
「辞書があれば」
あろうがなかろうが、読める時点ですごい。叶真は頭が悪い方ではないが、何か国語も喋れるほど頭がいいわけでもない。そんなことは出来るだけで尊敬の対象だ。
「えっと……それってあれだよな」
俺の呪いを解くための。
そう訊かなくても、鈴音にはしっかり伝わっていた。
「まあ、そうね。図書館にはろくな本がなかったから、ゴールデンウィークにママの実家に行った時に、おじい様に許可を取って借りて来たのよ」
「そのおじい様って、勇者の家系の方?」
「そうよ。だから、見たこともない言語の本も……いえ、違うわ。見たことは……」
うんうんと頭を抱えて唸っていた鈴音は、唐突にハッと顔を上げた。
「思い出した! あの本、きっと勇者が書いたものよ! 前に見せてもらった魔王の日記と、使われていた文字が同じだもの!!」
「マジか!?」
異世界の言語で書かれているあの本の文字は、特徴的なものだ。地球で近いのは、韓国語だろうか。文字と言うより図形を組み合わせたと言うのが近い、変わった文字。叶真が知らない未知の国の言語で書かれたものであるかもしれないが、勇者の子孫の持つ本であればやはり異世界の本という可能性が一番大きい。
「そ、その本今どこに!?」
「ええと……ごめんなさい、多分倉の中よ」
「倉? って、あれか。離れの物置小屋みたいな」
「そんな感じね。だから多分、探すのは骨が折れるわ……しかもその本を見たの、私が幼稚園児の頃にかくれんぼしていてたまたま手に取ったものだから。まだ読める状態かどうかすら、わからないわ。
私ならテレポートですぐに行けるから、今度の休みにもう一度行ってはみる。言ってしまってからこんなことを言うのも何なのだけれど、期待しないでもらえると助かるわ」
十年も昔のことを、よくもまあそこまで正確に覚えているものだ。
叶真としては期待するよりも、そっちの方に感心していた。叶真自身は十年前のことなんて覚えてもいないか、覚えていたとしてもロクでもない思い出ばかりなので、あまり思い出したくなかった。
「ま、可能性があるってだけで希望は持てるさ。もしかしたら、一気に何かがわかるかもしれねーし」
「いえ、だからあの、微塵も期待しない方がいいと思うの。私の記憶なんて当てにならないし……」
「大丈夫だろ。それに今はもうなかったとしても、過去に存在していたってだけでも手がかりにはなるしな。なきゃないで、これまでと同じってだけだ」
「それはそうなのだけれど……」
よほど自信がないのか、そう言った声は尻すぼみに消えてしまった。そのせいで、沈黙が訪れてしまう。
「……あーっと、一息入れるか? お茶か紅茶かコーヒーがある、って、全部お前から貰った薄いもんだけど」
「それじゃあ、お茶でお願いするわ」
「あいよ」
叶真は組み立ていた文房具を踏まないように脇へ退け、キッチンへと向かう。
叶真が一人で暮らすこの家は、行政に色々無茶と嘘と泣き落としを駆使して格安で住まわせてもらっているもので建物自体は綺麗だ。
本来であれば未成年で身寄りのない叶真は施設なりなんなりでお世話になるべきなのだが、それだと借金取りが来た時に周りに迷惑がかかるなどの理由で、その案は個人的に却下した。
あちこちに掛け合った結果、名目上の保護者を見つけることでどうにか一人暮らしを成立させている。市の援助もありほぼタダのこの部屋なわけなのだが、一つ問題があった。ガスコンロが、最初から壊れているのだ。
普通、この時点で料理が出来ないので問題ありなのだが、そのうえこの家には電子レンジや冷蔵庫すら存在しない。ついでに言うと、エアコンを始めとした冷暖房器具、炊飯器や電気ポットもない。ならばどうやって叶真がお茶を用意しようとしているかと言うと。
「冷たいのと温かいの、どっちがいい?」
「冷たいのをお願いしてもいいかしら」
「はいよー」
シンクの下から年季の入ったヤカンを取り出した叶真は、キッチンの入口に置いてある水入りのタンクの中身をその中に入れる。そして蓋を閉めると、両の手のひらで包み込んだ。これだけでは生温い人肌の水が限界だろう。
だが、それは一般人の話。
叶真がヤカンに触れてから、およそ五秒後。確かに水を入れたはずのヤカンの口からは、真っ白い湯気が立ち上っているではないか。
それを不思議がる様子もなく、叶真は手早く取ってのない急須にお湯を注いだ。そのまま急須の適当な場所を掴むと、お客様用の欠けていないピンク色のマグカップと、自分用のうっすらとヒビの入った湯呑に中身を淹れる。
中に注がれているのは間違いなく緑茶で、しかもボコボコと泡を立て沸騰しているのだ。つまり百度のお湯が入ったヤカンを叶真は素手で掴んでいたことになるのだが、その手には火傷なんてどこにも見当たらない。それどころか、熱がる様子さえなかった。
そして極めつけは、今の今まで湯気を上げ沸騰していたそのお茶が、叶真がそれぞれのカップに触れた途端に沸騰を止めたではないか。しかもよく見れば周りに結露が付着し、そのお茶がキンキンに冷えたものであることを物語っていた。