十六呪 便利ではある
「ほい、冷たいお茶」
「ありがとう」
カップを受け取り中身を一口飲んだ鈴音は、ホッと息を吐いてから感心した声音で言った。
「何度見ても面白いわね」
「何が?」
「あなたのこの、温度を操る魔法よ」
「面白いかどうかはともかく、超便利なのは間違いないな」
しみじみと言いながら、叶真は湯呑を傾けた。
叶真の家に電化製品が全くなくても暮らせているのは、偏にこの魔法のお蔭であった。
火を使えなくてもお湯が沸かせるのはもちろん、腐りやすい食材に魔法を使えば冷蔵庫がなくても長期保存が可能なのだ。
キッチンには冷蔵庫代わりに一抱え程ある段ボール箱が置いてあり、その中の温度を操ることで中身を冷やしている。冷暖房がなくとも魔法があれば困らないし、上手く使えば熱湯の中に手を突っ込んでも火傷しないのだ。
叶真も詳しくは調べたことはないが、窒素は液体に出来るし鉄も溶かすことも出来るので、かなり広い幅で温度を操ることが可能でもある。もしかすると絶対零度も出せるかもしれないが、何が起こるかわからないのでやったことはない。
それでも鉄を溶かし窒素を液化出来るとなれば、日常生活で必要な温度変化程度なら余裕で操れるというわけだ。
「そう言えば訊いたことなかったけれど、持続時間とかはどうなっているのかしら? 連続使用の限度とか」
「やー、限界まで力使うこと自体なかったからなー。細かいことはわかんねぇ。とりあえず、今んとこ最大だと一か月くらいなら温度保ったままだったっけか。
もしかすると、俺が魔法かけ直すまでずっとその温度保つ仕様なのかもしれんが。連続使用とかは知らん。まあ、あんま激しい温度変化を連続でやったら疲れっけど。その程度だなー。魔力的なのって、俺達あるんかな?」
叶真が魔法を使う時は、温度を変えたいものの変えた先をイメージしてなんとなくでやっている。
そのため昔学校にあった本の中の魔法使いのように、魔力が云々とか精霊の意志がどうたらとかを考えたことがなかった。それで魔法が発動しているんだからそれでいいんじゃないかとも思うが、自分がどれくらいのことが出来るのか分かっていないと言うのは、存外モヤモヤするものだ。
叶真の何気ない疑問は、鈴音も同意するものだったようだ。
「どうなっているんでしょうね。私の魔法も距離が長ければ疲れるし、たくさんのものを移動させても疲れるの。魔力とかではなく、体力や精神力を削っていると言うことなのかしら」
「なくはないかもな。つっても、そんなの調べる手段がねえから、多分わかんねえままだろうけど。自分の使える力の由来とか詳しい仕様がわかんねえのって、結構怖いよな。いつどこで使い方間違えるかわかったもんじゃねーし」
「そうね。けれど、私は物心ついた時、すでに魔法の使い方は何となくわかっていたような気がするの。加減とか、どんなことまで出来るかってのはわからなかったけれど。百鬼くんは、そういうのなかった?」
「あー……言われてみりゃ、あったかもな。なんでか知んねーけど、『使える』ってことは最初から理解してたような気がする」
遠い昔の、今より幸せに見える風景を想いながら。叶真は言った。
今より幸せっつっても、今より物を知らなかったせいでそう見えたのかもな、と自嘲しかけた時だった。
ガン、ガン、ガンと、どこからか威圧感のある足音が響いて来た。それも一つではなく、複数。
「やっべ!?」
その聞き覚えのある聞きたくなかった足音に、叶真は湯呑をひっくり返しそうになりながらもなんとか堪えた。
「どうしたの?」
状況が呑み込めず首を傾げる鈴音にジェスチャーで声を出さないようにと伝えながら、足音と気配を消した叶真はゆっくりと玄関へ向かった。そして、横から恐る恐ると言った様子で外を覗き込んだ。
叶真の住むアパートは土地の都合上、上から見ると長方形ではなくLの形をしている。叶真が住む部屋は角部屋で、Lの逆部分にある階段はよく見えるのだ。例えば、喪服のようなダークスーツを身に纏う、強面の集団とかが。
それを確認した叶真は、慌てて鈴音のいる場所まで引き返す。そして叶真の指示通り黙ってその場を動かずにいた鈴音の耳に口を寄せ、出来得る限りの小声で話しかけた。
「蛇喰、まずいことに」
「ひゃんっ」
話しかけた瞬間、顔を真っ赤にして飛び退かれてしまった。
「く、くすぐったいのだけど!」
「悪い気を付けるから早く耳貸してくれ!」
まだ顔を赤くしていたが、鈴音もまずい状況だということは察したらしく大人しく従った。
「今からここに借金取りが来る。先月色々あったせいで、今月貰える給料少なかったからまだ払ってねえんだ。色々ってか、まあバイト先のラーメン屋の店主がぎっくり腰でだいぶ閉店してたからなんだが。
つーわけで金が用意出来るのは早くても、来週になるっぽくてな。あいつら何し出すかわかんねえからお前は今すぐ帰って――」
「却下よ」
「は!?」
「とりあえず、一度ゆっくり話しましょう」
「ゆっくりったって、もうそこにあいつらが――」
叶真が言い切らないうちに、アパートの扉が乱暴に叩かれた。
「おいごらいるんだろぉがよぉ百鬼の倅よぉ!! 今月分まだもらってないんだがよぉ、これは何かの間違いだよなあぁ? まっさか、返せねえだなんて、舐めたこと抜かすわけねぇよなぁ!? てめぇ、“また”痛い目見てぇってのか、あぁん!?」
今にも扉を壊さんばかりに叩く借金取り。やたら巻き舌で恫喝する台詞も見た目も総合的に判断して、あからさまにカタギの人間ではない。ヤから始まるような、百パーセントヤバい連中だ。
その声にびくりと肩を跳ねさせた叶真を見た鈴音は、有無を言わせず叶真の右腕を掴んだ。
「逃げるが勝ち、ってやつよ」
「え、いやなん」
ぶちりと視界が飛んだ。刹那にも満たない時間暗転した世界はすぐに明るさを取り戻したのだが、何かがおかしい。
そこは、見たことのない場所だった。




