第五話 いずれハゲる男
楽団:バンドのこと。
美容師:異世界だけど普通にある設定。
レオンの店に通い始めて一月が経つ頃には、アッシュはすっかりこの界隈に馴染んだ気になっていた。
トビアスとは、もはや世間話と呼べるかどうかも怪しい距離感で喋る仲になっていた。誰に頼まれたわけでもないのに、気づけば「フェリシオンに馴染んだ田舎者」という新しい肩書きを、勝手に自分に与えていた。
「アッシュさん、髪切ったことあります? この辺だとダリオさんのとこが一番なんですけど」
トビアスがそう言い出したのは、いつもの世間話の延長だった。実のところ、アッシュ自身も少し前から気になっていたことがあった。あの夜、ステージの上で見たガルシオンの髪型。長めの前髪を無造作に流した、あの形。あれを自分もやってみたいと、心のどこかでずっと思っていたのだ。
話を振られるがまま、アッシュはその足で紹介された美容店へ向かうことになった。
店に入るなり、鏡の前の椅子に座らされたアッシュの髪を、ダリオという美容師の男が無造作にかき分けた。
「今日はどうします」
「これ、こういう感じにしてほしい」
アッシュはそう言って、記憶を頼りに身振りで前髪の流れを再現しようとした。長めに残して、無造作に、けれど計算されたように流れる形。
「……なんかの楽団の人っすか、それ」
「ガルシオンっていう人」
「ああ、はいはい。首都の人ね」
ダリオは特に驚いた様子もなく、鏡越しにアッシュの髪質と輪郭を一通り確かめた。
「言っとくけど、あの人の髪型ってあの人の髪質と輪郭あってのやつだから。同じ形にはできても、同じ見え方にはならないよ」
「別にいい。近づけるだけでいい」
「はいはい。まあ、それっぽくはするけど」
ダリオはそう言うと、特にそれ以上は突っ込まず、淡々と鋏を動かし始めた。夜の店に出入りする人間たちの髪を長く手がけてきたというだけあって、腕は確かだった。世間話をしながらでも、鋏の動きに一切迷いがない。
「ただまあ、頭皮が結構やられてるね、これ」
「やられてるって、何が」
「不規則な生活してるでしょ。飲みすぎとか、寝るの遅いとか」
「……まあ、多少は」
「多少どころじゃないと思うけど、まあいいや。ただこのままだと、近い将来、割と本気でヤバいよ」
「ヤバいって何が」
「ハゲるよ、普通に」
(は……?)
あまりにあっさりとした調子で言われたので、アッシュは一瞬、何を言われたのか理解するのに時間がかかった。
「……は?」
「今すぐじゃないけど。三十過ぎたあたりから、たぶん来る。生活態度そのままだと」
鏡越しに見える自分の髪を、アッシュは思わず確認した。今のところ、特に異常があるようには見えない。だが、ダリオの言い方には、からかいの色が一切なかった。それが逆に、妙な説得力を持っていた。
「……冗談だろ」
「冗談で言うことじゃないでしょ、これ」
ダリオはハサミを止めないまま、鏡越しにアッシュと目を合わせた。
「てか、さっきの髪型やりたいなら尚更やばいと思うよ」
「……何が」
「ハゲたら、ガルシオンにはなれないでしょ」
(それは困る……!)
あまりに単純な事実を、あまりに平坦な声で言われた。アッシュはしばらく、その一言の意味を頭の中で咀嚼していた。
ダリオは特に慌てるでもなく、淡々と鋏を動かし続けている。この男にとって、客に不都合な事実を告げるのも、天気の話をするのも、大差ないことらしかった。美容以外のことに関しては、この男は総じてこの調子だった。
アッシュの中で、初めての種類の焦りが芽生えた。腕力の話でも、盗賊の実績の話でもない。もっと切実な、鏡の中の自分そのものに関わる問題だった。
「……直せるのか、それ」
「生活態度、真面目に変えれば多少はね。まあ、変えないだろうけど」
「変えるよ、これから」
「はいはい」
ダリオは特に本気にした様子もなく、軽く相槌を打っただけだった。長年この仕事をしていれば、こういう決意表明を何百回と聞いてきているし、それが実行された例をあまり見た記憶もない。
施術を終えて店を出るとき、アッシュはまだ落ち着かない様子で、鏡に映った自分の髪をもう一度確かめた。
「あ、アッシュさん髪切ったんすね! 似合ってるじゃないですか」
店の前で待っていたトビアスが、屈託なく声をかけてくる。
「……なあ、ダリオって、いつもあんな感じか」
「あー、はいはい、言われました? ハゲるって」
「……知ってたのか」
「みんな一回は言われますよ、あの人に。腕は確かなんで、まあ我慢して通うんですけど」
アッシュはそれ以上何も言わず、少し早足で歩き出した。この日から彼は、しばらくの間、真剣に生活習慣を見直そうと決意した。その決意がどれくらい保たれたかについては、特に記録が残っていない。




