第三十五話 絶妙なタイミング
「あれ、アッシュさん、また来たんですか」
トビアスがそう声をかけたのは、その週三度目のことだった。
「たまたま、近く通ったから」
「近くって、工房こっちの方向じゃなくないですか」
「……遠回りしたくなる日もあるだろ」
その答えに、トビアスは特に深く追及せず、「まあ、そういう日もありますよね」と軽く流した。だが、店の奥では、レオンが小さく苦笑していた。
実のところ、ボドの「絶妙なタイミング」は、この日に始まったことではなかった。
カインがフェリシオンに来て、レオンの店に顔を出す気配を感じるたび、ボドは仕事終わりに、何かしらの理由をつけてこの店に立ち寄るようになっていた。「新作の服が気になって」「たまたま近くで用事があって」「なんとなく」――理由は毎回微妙に違ったが、結果はいつも同じだった。
「カイン、今日来てないのか」
ある日、ボドが店に入るなり、開口一番そう聞いた。
「いや、来てないけど」
「そう、なら、まあ、ついでに寄っただけだから」
そう言いながらも、しばらく棚を眺めて時間を潰し、特に何も買わずに帰っていく。その日以来、レオンとトビアスの間では、ある共通認識が生まれつつあった。
「なんか、最近アッシュさん、カインさんが来るタイミングだけ、やたら勘がいいですよね」
「気のせいじゃないと思う、あれは」
「もしかして、見張ってます?」
「たぶん、見張ってるんだと思う」
二人の会話を、少し離れた場所でフィオナが聞いていた。
「何を今更。バレバレじゃん、あんなの」
フィオナがそう言って、笑いを堪えるように口元を押さえた。
「アッシュさんって、たまにこの絶妙なタイミングで来るよね。カインが来る日だけ、なぜか帰りが遅くなるっていうか」
「本人は気づかれてないと思ってそうですけどね」
「気づかれてないと思ってるとこが、一番面白いんだけど」
その日も、案の定だった。カインがふらりと店に顔を出してから、さほど時間を置かずに、ボドが息を切らせて現れた。
「お、ボド、お前も来てたのか」
「たまたまだよ」
「たまたまにしちゃ、毎回だな」
カインがそう茶化すと、ボドは何も言い返せず、視線を逸らした。
「別に、俺は普通に店に来てるだけだから」
「はいはい」
カインは特に気にした様子もなく、レオンとの世間話を続けた。ボドはその隣で、聞き耳を立てながらも、露骨に聞いているように見えないよう、棚の服を眺めるふりをしていた。
「今度さ」
カインが、思い出したように言った。
「地元のみんなでまた集まる話出てるんだけど――」
「その話、俺もいるところでしろよ」
「いや、今してるじゃん、目の前で」
「そうだけど」
店内に、小さな笑いが起きた。ボドの警戒は、皮肉にも、警戒すればするほど、その滑稽さを周囲に露呈させる結果になっていた。
本人だけが、まだそのことに気づいていなかった。




