第三十話 通信端末が鳴りやまない
通信端末:現代のスマホのようなものと思って下さい。通話やLINEみたいなことが可能
リゼットの家での生活は、想像していたよりも早く、ボドの首を絞め始めた。
朝起きると、まず通信端末を確認するのが日課になった。
『今日は何時に帰ってくる?』
『お昼、何食べた?』
『さっき、外歩いてる時、誰かと話してなかった?』
三十分おきに届くその手の文面に、いちいち返信する生活が、当たり前になっていた。返信が少しでも遅れると、次のメッセージの温度が、目に見えて変わった。
『ねえ、無視してる?』
その一言が届くたび、ボドは仕事もそっちのけで、慌てて返信を打つ羽目になった。
ある日、レオンの店に顔を出した際、たまたま居合わせたフィオナと世間話をしていただけで、事件は起きた。
「今日、フィオナと何話してたの」
夜、家に帰るなり、リゼットがそう切り出した。声のトーンに、いつもと違う硬さがあった。
「別に、世間話しただけだけど」
「本当に? 楽しそうだったって聞いたけど」
「誰に聞いたんだよ、それ」
「そんなことより、答えて。楽しかったの、フィオナと話すの」
その日の夜は、結局、明け方近くまでリゼットの機嫌を取り続ける羽目になった。何を言っても、火に油を注ぐ結果にしかならず、ボドはただひたすら、彼女の言葉が収まるのを待つしかなかった。
「私だけを見てて。それだけでいいの」
泣きながらそう訴えるリゼットに、ボドは「分かった、分かったから」と繰り返すことしかできなかった。実際のところ、何が「分かった」のか、自分でもよく分かっていなかった。
(前から、こういうところあるとは思ってたけど……一緒に住むと、こんなに濃度上がるものなのか)
付き合い始めた頃から、多少の束縛気質があることには気づいていた。だが、それは「時々連絡がしつこい」程度の話であって、こうして四六時中同じ屋根の下にいるとなると、話がまるで違った。逃げ場がない。それだけで、負荷は何倍にも膨れ上がるらしかった。
それでいて、厄介なことに、ボドの中には単純な嫌悪感だけでは片付けられない感情もあった。
(でも、まあ……顔は可愛いんだよな、普通に)
泣いて縋ってくる顔も、腹立たしさの反面、庇護欲をくすぐる部分がないと言えば嘘になった。そして何より、夜の相性だけは、皮肉なくらい良かった。あれさえなければ、とっくに見切りをつけられていたかもしれない。そう思う自分に、ボドは少しだけ嫌気が差した。
――こんな理由で流されてる自分も、大概どうかしてる。
分かっていながら、どうにもできない。この矛盾した感情の板挟みが、ボドの中で、日に日に重たくなっていった。
翌朝、ボドはやつれた顔で、通信端末を握りしめたまま、天井を見上げていた。
――このままじゃ、まずい。
自分の意志で決めていることが、何一つない気がした。何を食べるか、誰と話すか、いつ帰るか。全てが、相手の機嫌という、目に見えない基準に支配されていた。しかも、その相手から逃れるためには、まず経済的に独立する必要があった。今の自分には、それすらできていなかった。
その日、ボドはレオンの店に、いつになく真剣な顔で向かった。
「レオン、この前言ってた、馬車の装飾の仕事、まだ空いてるか」
「ああ、まだ空いてるけど。急にどうした」
「働きたい。すぐにでも」
その必死さに、レオンは少し驚いたような顔をした。
「まあ、いいけど。何かあったのか」
「……色々」
詳しくは語らなかったが、レオンにはなんとなく、その「色々」の中身が想像できた。
「とりあえず、明日にでも紹介するよ」
「頼む」
この時のボドにとって、その仕事は、もはや「ロックかどうか」を判断する余裕すらない、純粋な避難場所だった。とにかく、自分の足で立てるだけの金を、一日でも早く稼ぐ必要があった。
通信端末が、またポケットの中で震えた。
『今、どこにいるの?』
ボドは小さくため息をつき、返信を打ち始めた。




