第三話 寡黙という演技
冒険者ギルド:現代日本の人材派遣みたいなもの。勇者や英雄はいない。
あれから半月ほど、アッシュは暇さえあればレオンの店に通うようになっていた。
メルダの冒険者ギルドは、あの夜の熱が冷めないうちに、あっさりと辞めていた。地元の友人たちからは散々「もったいない」と言われたが、本人にとっては、もう気持ちの大半がフェリシオンに向いてしまっていた。折よく、一足先にこの街へ出て、戦士として冒険者ギルドに所属していたカインの部屋に、しばらく転がり込ませてもらう形で、フェリシオンでの生活を始めていた。
傍から見れば、それは「服屋通いにハマった田舎の青年」以上の何物でもなかったが、本人の中では違った。あれは単なる買い物ではない。自分を作り直す作業だった。本人にそう説明されたら、大抵の人間は聞かなかったことにして話題を変えるだろう。
「アッシュくん、また来たの! ほんとに好きだね」
カウンターの奥から、レオンが軽い調子で声をかけてくる。特に営業を仕掛けるでもなく、かといって冷たいわけでもない、あの独特な距離感の応対だった。
「まあ、な」
アッシュは短く答えると、視線を逸らすように棚の服へ向けた。誰に教わったわけでもないが、何となく、こういう時は多くを語らない方が「らしい」気がしていた。何が「らしい」のかは、本人以外の誰にも分からなかった。
その日、店には見慣れない顔が一人いた。常連客らしく、テンションの高さが服の趣味にまでにじみ出ている、いかにも「今夜どこか飲みに行こう」と誘ってきそうな男だった。
「レオンさん、これ、俺に似合います!?」
「似合う似合う! トビアス、お前は何着ても似合うタイプだから、あんまり参考にならないんだよな」
「またまたぁ」
トビアスは、そう言われても嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに笑っていた。
「あ、新顔?」
トビアスが、アッシュに気づいて声をかけてきた。アッシュが手に取った服を見て、食い気味に話しかけてくる。
「うわ、それめっちゃいいじゃないですか! 俺も似たようなライン狙っててー」
「……ああ」
アッシュは短く頷いて、それ以上は続けなかった。地元でなら、ここで「だろ? 俺このライン一番好きでさ」くらいのことを、勢いのまま喋ってしまっていたはずだ。だが、今は違う。多くを語らない男でいたかった。
短く相槌を打つだけの自分を、鏡越しにちらりと確認する。悪くない。むしろ、いい。(今の俺、めちゃくちゃ様になってるな……)本人はそう思っていた。多くを語らないというだけで、なぜか自分の言葉一つ一つに重みが出た気がした――というのも本人の感想であり、周囲がそう思っていたかどうかは、また別の話である。
トビアスは特に気にした様子もなく、勝手に話を続けた。
「兄さん、フェリシオンの人じゃないっすよね!? 訛り、ちょっと違う気がして。あ、じゃあ今度みんなで飲みましょうよ、歓迎会的な感じで」
「……まあ、な」
核心を突かれても、短い相槌でかわす。本人としては、これでいい。これが、あの夜に見た男の姿のはずだった。
「アッシュくんさ」
レオンがふと、思い出したように口を挟んだ。
「地元じゃ、何て呼ばれてたの」
不意打ちだった。
(まずい……)
本名を、ここで名乗るつもりは毛頭なかった。あんな野暮ったい響きの名前は、もう自分にはそぐわない。今の自分は「アッシュ」であるべきで、それ以外の名前は、いわば脱ぎ捨ててきた皮のようなものだ。誰かに本名を知られるということは、その皮をもう一度着せられるようなものだと、アッシュは本気で思っていた。もっとも、脱ぎ捨てたつもりの皮は、この後もしばらく地元との行き来のたびに彼を追いかけ回すことになるのだが、それはまだ先の話だ。
「……別に。特に、何も」
「へえ」
レオンはそれ以上追及せず、軽く笑っただけだった。だが、その笑い方には、何かを見透かしているような色があった気がして、アッシュは少しだけ落ち着かない気分になった。
誤魔化すように、棚の端にあった一着を手に取る。
「これ、試着していいか」
「もちろん。……あ、それ人気あるやつだから、サイズ合うといいね」
試着室のカーテンを閉め、一人になった瞬間、アッシュは小さく息を吐いた。
鏡の前で、もう一度、あの夜の男の立ち姿を思い出す。誰にも媚びず、多くを語らず、ただそこにいるだけの男。
カーテンの向こうから、トビアスの笑い声が漏れ聞こえてくる。
「あの人、寡黙な感じっすね! ちょっとカッコよくないですか?」
「まあ、そうかもね」
レオンの声は、思ったより軽かった。
「――でも、ああいうタイプ、大体すぐ喋りだすよ」
長年の経験から出た、ごく個人的な予想だったが、これがそう遠くないうちに実証されることを、この時のレオンはまだ知らない。
試着室から出た彼は、鏡の前でもう一度角度を確かめ、満足げに小さく頷いた。今日のところは、うまくいっている。そう、本人だけは思っていた。




