第二十七話 ロックな退職
あの酒場で働き始めてから、二年近くが経とうとしていた。二十七歳になったばかりの頃、その酒場の異変に、ボドが気づいたのは、給料日から数日過ぎた頃だった。
「給料? ああ、今月は無理だな」
店主がそう言い放ったのは、給料日から数日過ぎた頃だった。悪びれる様子も、申し訳なさそうな態度も、微塵もなかった。
「先月の分も、まだもらってないんですけど」
「知ってるよ、そんなことは。だからって、今すぐ出せる金がある訳じゃねえんだよ」
店主は、ボドの目をまっすぐ見据えながら、低い声でそう言った。凄むというより、それが当然だと言わんばかりの、揺るぎない態度だった。
「文句あんのか」
「……いえ」
その一言で、ボドの口は完全に閉じた。柄の悪い客たちを相手にしてきた店主だ。従業員一人を黙らせるくらい、造作もないことだった。
それでも、ボドはしばらくの間、この状況すらも「ロックな試練」として処理しようとしていた。
――金より、経験だ。こういう修羅場をくぐり抜けてこそ、本物になれる。
その理屈で、二ヶ月分の未払いまでは何とか耐えた。だが、三ヶ月目に入り、財布の中身が本格的に底を尽きかけた頃、さすがのボドも現実を無視できなくなった。
「あの、給料の件なんですけど」
「まだ言うのか、お前」
店主の声に、わずかに苛立ちが滲んだ。
「いや、もう三ヶ月分溜まってて」
「三ヶ月分とか、細かく数えてんじゃねえよ。こっちも店が回んなくなってきてんだから、仕方ねえだろうが」
凄まれたわけでもないのに、ボドは反射的に一歩、体を引いていた。
「……分かりました」
「分かればいい」
店主のその態度で、ボドはようやく、自分がロックな修羅場にいるのではなく、単純に、逆らえない相手に金を踏み倒されているだけなのだと、遅ればせながら理解した。
「辞めます」
「ああ、そうしろ」
引き止める素振りすら、なかった。危険な酒場での日々に、劇的な引き際は用意されていなかった。
その日の夜、レオンの店に顔を出したボドは、いつもより幾分か大人しい顔をしていた。
「どうした、元気ないな」
「あの店、辞めた」
「え、何かあったんですか」
トビアスが心配そうに聞いてくる。
「給料、三ヶ月分踏み倒された」
「うわ、それは災難っすね」
「まあ、ああいう店だからな。ある意味、それも含めてロックだったよ」
ボドはそう強がってみせたが、その声には、以前ほどの力強さがなかった。実際のところ、三ヶ月分の未払いは、彼の生活を目に見えて圧迫していた。
「次、どうするんですか」
「……考える」
レオンが、少し考えるように顎に手を当てた。
「馬車の装飾とか、興味ある? 知り合いのところ、ちょうど人手足りないって言ってたけど」
「馬車の、装飾」
あまりロックとは言い難い響きの職種だった。だが、財布の中身が、そんな贅沢な選り好みを許してくれる状況ではなかった。
「……考えとく」
そう答えながらも、ボドの頭の中では、すでに半分、答えは出ていた。




