第十四話 アッシュさんは今日も
「なあ、アッシュさん」
翌日、ハンスの家に再び集まった一同の中で、カインがにやにやしながらそう言った。
「呼ぶな、それ!」
「いいじゃん、向こうじゃそう呼ばれてるんだろ」
「地元でその名前出すな」
「なんで、アッシュさん」
「うるせえよ」
ボドが本気で嫌そうな顔をするのを見て、ハンスとゴランツが小さく笑った。
「なんかいいな、それ。俺らも呼ぼうぜ、アッシュさんって」
「やめろ!」
「アッシュさん、酒お代わりいります?」
「ジーク、お前までかよ」
ジークがにやにやしながら酒を注ぐふりをする。ボドは苦い顔をしながらも、結局それ以上強くは拒否できず、なし崩し的に「アッシュさん」呼びが、その日のうちに座の中で定着してしまった。
「にしても、なんでアッシュなんだよ、その名前」
ハンスが素朴な疑問を口にした。
「まあ、色々あってさ」
ボドは珍しく歯切れが悪かった。フェリシオンでの由来(ガルシオンの曲から取ったこと)を、この場で正直に話す気にはなれなかった。話せば、また別の意味でからかわれるのが目に見えていた。
「まあいいや。とりあえずアッシュさんな」
カインがそう締めくくり、それ以上は深く追及しなかった。地元にいる間だけ通用する、ちょっとした呼び名のからかいとして、この日から定着することになった。
もっとも、ボドの方も、やられっぱなしで終わるような性格ではなかった。
「そういやジーク、この前のコンパどうだったんだよ」
からかいの矛先を、今度は自分から変えにいく。
「……普通だったよ」
「普通って何だよ。また誰にも相手にされなかったパターンか」
「うるせえな」
「お前さ、風呂くらいちゃんと入れよ。それだけで多少変わると思うぞ」
「大きなお世話だ」
「絵描きの弟子入りだって、才能云々の前に、まず清潔感からだと思うけどな、俺は」
「うるせえよ、金の話は別だろ」
「金の話なんかしてねえよ、水道代の話だよ、水道代」
「うるせえ、水道代惜しんでも、どうせ触る機会もねえんだから節約になってんだよ」
「それ言うな!」
ハンスとカインが、堪えきれずに噴き出した。ジークは不貞腐れたように酒をあおるだけだった。
「お前らもさ」
ボドは、今度はゴランツの方へ矛先を向けた。
「この前の話、また盛ってただろ」
「何のことだよ」
「地元の悪い連中と揉めたとかいう話。この前会った奴に聞いたけど、普通に清掃の現場で怒鳴られてただけらしいじゃねえか」
「……誰から聞いたそれ」
「誰でもいいだろ。とにかくバレてんだよ、もう」
「うるせえ、黙れ!」
ゴランツが顔を赤くして声を荒げたが、その強面も、この場では何の迫力も持たなかった。(この顔で怒られても、正直怖くないんだよな……)
「見た目だけは怖いのになあ、お前」
「余計なお世話だよ」
カインが呆れたように言った。
「お前ら、フェリシオンじゃもうちょい大人しくしてんの?」
「してるよ、一応」
「一応、って何だよ」
「いや、まあ、色々あるんだよ、あっちじゃ」
「キャラ作りすぎなだけだろ、それ」
カインが冷静にそう突っ込んだが、ボドは特に反応を示さなかった。都合の悪い指摘は、聞こえなかったことにするに限る、というのが彼なりの処世術だった。
「それより、ジーク、さっきの話だけどさ」
まるで今の指摘などなかったかのように、ボドはまたジークの方へ話を戻した。
「まだ言うのかよ」
「水道代惜しんで女に振られるって、地味に人生の損失だと思うぞ、俺は」
「うるせえ、大きなお世話だ」
ゴランツも便乗するように笑った。
「言えてる。ジーク、それさっさと直せよ」
「お前らまとめて黙れ」
カインは、話が逸れていくのを横目で眺めながら、小さく肩をすくめただけだった。この手の話題転換に、ボドが慣れているのは今に始まったことではなかった。
窓の外はすでに暗くなっていたが、部屋の中の騒がしさは、まだしばらく収まりそうになかった。




