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灰になった男  作者: 中原九尾


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第十一話 趣味です

「これ、アッシュさんの忘れ物ですかね」


 試着室の隅に置き忘れられていたのは、小さな刺繍入りの巾着だった。トビアスがそれを拾い上げ、まじまじと眺めている。


「うわ、これ手縫いっすね。しかも結構、雑」


 巾着の表には、丸みを帯びた飾り文字で「ASH & LISETTE」と縫い付けられていた。


「名前まで入ってるじゃないですか」


「うわ、律儀!」


「アルノさん、見てあげてくださいよ、これ」


 ちょうど店に顔を出していたアルノが、巾着を受け取り、職人らしい目で縫い目を確かめた。


「……うん、これは素人の仕事だね。糸の張り具合が均一じゃないし、玉留めの位置もバラバラ。ただ」


「ただ?」


「気持ちだけは、ものすごく入ってる縫い方ではある」


 アルノがそう評したのを聞いて、フィオナが小さく笑った。


「愛が重いってことですね、それ」


「まあ、そう言い換えることもできる」


「それにしても」


 トビアスが、巾着の丸っこい飾り文字をまじまじと見つめながら言った。


「これ、全然ロックじゃないっすよね。アッシュさんの好きなガルシオンとか、絶対こんな可愛い巾着持ち歩かないと思うんですけど」


「たしかに」


 フィオナも同意するように頷いた。


 そこへ、当のボドが店に入ってきた。トビアスが慌てて巾着を隠そうとしたが、遅かった。


 (あ、まずい)


「あ、それ俺の」


「……これ、アッシュさんのなんですか」


「そう。俺の趣味」


 あまりに堂々とした即答だった。店内に、微妙な沈黙が流れた。


「趣味、なんですね」


「趣味だよ、悪いか」


「いや、悪くはないですけど……ガルシオン好きな人が持つ巾着には見えないっすね、それ」


「……うるさい」


 フィオナとアルノが、ほとんど同時に目を合わせた。何を言っても藪蛇になりそうな空気を、二人とも正確に察知していた。


「その、刺繍の柄も、アッシュさんが選んだ感じですか」


「……まあ、そんな感じ」


 正確には、選んだ覚えは一切なかった。気づいたら渡されていて、気づいたら着けさせられている。それが実情だったが、そんなことを説明する気には、到底なれなかった。あれを断れば、リゼットがどうなるか。想像するだけで、余計な波風は立てたくないという結論に落ち着いてしまう。


「へえ、意外な趣味っすね」


「まあ、人には色々ある」


 ボドはそう言うと、巾着をひったくるように受け取り、ポケットに押し込んだ。だが、ポケットに入り切らず、少しはみ出したままになっているのに、本人は気づいていなかった。


「アッシュさんって、地元でもそういう趣味だったんですか」


 トビアスが何気なく聞いた質問に、ボドは一瞬詰まった。


「……いや、こっちに来てから」


「じゃあ、フェリシオンで目覚めたってことですか」


「そう、まあ、そういうことでいい」


 この会話の後、店の中では「アッシュさんは刺繍が趣味らしい」という表向きの話より先に、「どうせメンヘラな彼女に捕まって、無理やり着させられてるんだろうな」という、もっと的確な見立てが定着していくことになった。本人が必死に取り繕った「趣味」という言い訳は、誰の心にも特に響かなかった。

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