第十話 彼女できたらしいぞ
この頃には、ボドは界隈でそこそこ顔の知れた存在になっていた。
毎回のようにレオンの興行に顔を出し、打ち上げにも欠かさず参加する。楽団に所属しているわけでもなく、何か特別な肩書きがあるわけでもないが、「あの寡黙な感じの人」という認識くらいは、界隈の中である程度定着していた。本人が望んでいた「有名」とは、少し違う種類の知名度ではあったが。
「そういえば、アッシュさん、彼女できたって聞きました? 前の打ち上げで会った子でしょ。リゼットだっけ」
開店前の店内、トビアスが棚の整理をしながら、思い出したようにそう言った。
「レオンさんが紹介したって噂、本当なんですか」
「まあ、紹介っていうか」
レオンは苦笑しながら、答えをはぐらかすように棚の陳列を直し続けた。
「リゼットは、店によく来てくれてた子でね。打ち上げで、なんとなく話す流れになって……というか、正直、向こうがかなりグイグイ来てた印象だけど。あっという間に連絡先交換してて、気づいたらもう付き合ってた、みたいな」
「へえ、レオンさんキューピッドじゃないですか!」
「いや、そんな大したことした覚えないんだけどな。というか、あれはもうキューピッドの矢がどうこうってレベルじゃなくて、向こうが一方的に射抜きにきてた感じだった」
レオンの声には、どこか歯切れの悪さが混じっていた。実のところ、彼自身、その子の性格について深く知っていたわけではなかった。店によく来てくれる、感じのいい子。その程度の認識で紹介してしまったことに、レオンは今になって、多少の後ろめたさを覚え始めていた。(あれは、迂闊だったな……)
「どんな子なんですか?」
「可愛い子だよ。ただ、まあ……」
レオンはそこで、珍しく言葉を濁した。
「まあ、なんだろうな。情熱的、っていうのかな」
「情熱的」
トビアスがその言葉を繰り返した。
「ちょっと、メンヘラっぽい、束縛強めって噂もありますけど」
「誰から聞いたのそれ」
「フィオナさんが言ってました。前にすれ違ったとき、なんかアッシュさんの持ち物、全部リゼットの手作りっぽかったって」
「手作り?」
「刺繍入りの帽子とか、そんな感じの」
トビアスが、微妙な顔をした。
「アッシュさん、ああいうの似合うタイプでもないと思うんですけど」
「まあ、本人が気に入ってるなら、それでいいんじゃない」
レオンはそう言いながら、心の中では少し違うことを思っていた。気に入っているというより、たぶん、断れないだけなのだろう。あの男の性格からして、断って機嫌を損ねられる方を、何よりも恐れているに違いなかった。
「今度、本人に聞いてみましょうよ」
「やめときな。あんまり触れない方がいい話題な気がする」
レオンがそう言ったところで、店の扉が開いた。
「おはよ」
当のボドが、いつも通りの顔で入ってくる。
「あ、アッシュさん、おはようございます」
トビアスが、示し合わせたかのように、一瞬前までの話題をなかったことにした顔で挨拶を返した。
「……何、その顔」
「いや、なんも」
「別に、なんもないっすよ」
ボドは首を傾げながらも、それ以上は追及しなかった。この日、彼の首元には、見慣れない刺繍の入った小さなスカーフが巻かれていた。誰も、それについては触れなかった。




