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第31話 転倒

気がつくと、足は鏡池へと向かう道を選んでいた。

除雪された道から、森の奥へと続く細い道は、人の手の入っていない雪原になっている。

昨日までの雪がさらに積もって、道の輪郭はほとんど消えていた。

引き返すなら、今だ。

そう思いながらも、もう少しだけ、と足を進めてしまう。

スノーシューが深く沈み、思った以上に体力を使う。

下ろした足を持ち上げようとしても、雪の塊がまとわりついて思うように動かせない。

だめだ――

池まではまだ距離がある。

ここで無理をしたら、帰れなくなる。

そう判断して向きを変えた、その時だった。

踏み出した足の下が、崩れた。

体が横に倒れ、そのまま斜面を滑り落ちる。

「……っ!」

柔らかい雪なのに、勢いがついて止まらない。

視界が白で埋まり、上下がわからなくなる。

止まったとき、体の下半分が雪に突っ込んでいた。

腕も脚も、変な角度で沈んでいる。

動けない。

もがくほど雪が崩れて、さらに埋まる。

焦りで息が浅くなる。

まず、落ち着いて。

ゆっくり。順番に。

自分に言い聞かせながら、片腕ずつ雪を崩し、足場を作る。

時間の感覚がなくなるほどかかって、ようやく体を引き抜いた。

立ち上がろうとして――右足に鋭い痛みが走った。

「……っ、」

くじいた。

体重をかけると痛い。

でも、ここで座り込むわけにはいかない。

ほとんど片足だけで、体を引きずるようにして進む。

半分も来てはいなかったはずだが、戻り道は、もっとずっと遠く感じた。

山荘の屋根が見えたときには、空は夕焼けに染まり、森には薄闇が降りていた。

駐車場に、トクヤマ電器店のバンが止まっているのが見えた。

耕平さんが来ているのかしら、と思った瞬間、山荘の玄関の扉が勢いよく開いた。

「さくらさん!」

耕平さんだった。

その後ろから、亮介さんも飛び出してくる。

「よかった、無事で……」

耕平さんの顔は、見たことがないくらい真剣だった。

「部品届けに来たら、いないって言うから――」

「心配かけて、ごめんなさい……」

耕平さんの、見たことのない怖い顔に、私は足の痛みを忘れるほどだった。

耕平さんの視線が私の足に落ちた。

「……足、どうしました?」

厳しい口調に、思わず身がすくんだ。

「転びました……ちょっと、くじいたみたい……」

ちょっと、ではないことは、自分でもわかっていた。


*****


夕暮れの薄闇の向こうに彼女の小さな姿を見つけた時、深い安堵に息が止まった。

足を引きずるようにして、よろよろと近づいてくる彼女に駆け寄った。

(無事でよかった……)

心は安堵でいっぱいなのに、口調と態度が、自分でも引くくらい厳しくなってしまったのは、どうしてだろう。

喋っているのが、どこか他人のように感じられた。

転んで足をくじいたという彼女から、俺はスノーシューを取り外し、有無を言わさず抱え上げると、山荘に運び入れた。何度も痛みに顔をしかめる様子が、痛々しかった。

――「心配かけて、ごめんなさい」

――「迷惑かけて、本当にごめんなさい」

山荘に戻ってからの彼女は、ずっと謝ってばかりだった。

綾子さんがコートを脱がせてブランケットを羽織らせ、亮介さんが手際よく湿布を貼って包帯で固定した。

「ほんとにすみません……」

世話をされる間中、亮介さんと綾子さん、そして何故か帰りがたくてここに残っている俺に向かって、彼女は謝り続けていた。

彼女はきっと、これまでの人生でも、こんなふうに、謝ってばかりだったのだろうか、と、ふと思った。

人に迷惑をかけることを極端におそれている。怪我をして遭難しかけてさえ、何とかして自力で帰り、心配をかけたことを詫びている。

助けを求めることや、誰かに頼ること――人から優しくされることに、慣れていないのかもしれない。

優しさをうまく受け取れないのは、多分、彼女の咎ではない。

多分きっと――


「耕平くん、手を貸してくれてありがとう。助かったよ」

綾子さんに付き添われてさくらさんが部屋に戻るのを見送ると、亮介さんが言った。

本当は、俺がここにいたかっただけだ。それをわかった上で、この人は俺に、助けられた、ありがとう、と言ってくれる。

「君も今日は帰ったほうがいい。さくらさんは明日病院に連れていくから。多分骨には異常はないだろうけど、念の為、ね」

根っからの山男の亮介さんは、こういう怪我にも詳しい。彼が大丈夫というなら、多分、大丈夫だろう。

「わかりました。さくらさんに、お大事に、って伝えてください」

俺は素直に亮介さんの言葉に従った。むしろ、彼女を山荘に運び入れた後、特にできることもなく、今までここに残る理由もなかったのだ。

「ああ、おやすみ。部品、ありがとう。早く持ってきてもらえてよかった」

「いえ……。それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ。帰り道、気をつけろよ」

「はい」

俺は頷くと、山荘を出た。途端に、夜の冷気に包まれる。

腕に、まだ彼女の体温が残っている気がした。

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