第30話 散歩
山荘に戻って、買った荷物を運びこむのを手伝ってから、再び私は外に出た。
森の中を、軽い散歩をするつもりで。
もともと雪に覆われていた白い森は、先日の大雪で、さらに雪深くなり、白い海に森ごと沈み込んでしまったようだった。
山荘のすぐ前からスノーシューを履いて歩き出す。
かろうじて車一台が通れる幅に除雪された道も、足元は厚く雪が押し固められている。
朝はよく晴れていたが、午後になってまた、空は墨を垂らしたように鉛色になっていた。
静寂に耳を傾けながら、私は、町での出来事を思い出していた。
昔ながらの電器店のご主人――耕平さんのお父さん――は、気さくで感じのいい人だった。
昔から丁寧に仕事をして、町の人たちから必要とされてきた人、という感じだった。
徳山さんの言った言葉のいくつかが、まるで小さくて柔らかい棘を持っているかのように、私の心に引っかかっている。
――「あとはいいお嫁さんが来てくれれば……」
――「街にいた頃はそういう話もあった……」
今の耕平さんに、特別な関係の女性はいないということだろうか。過去にはいたけれど……。
その推測が、私にとって、良いことなのか、残念なことなのか、私にはよくわからなかった。
雪を踏むたび、きゅっきゅっ、と乾いた音がする。
その規則的な音に合わせるように、思考がゆっくり進む。
もし、過去に大切な人がいたとして。
その人と、うまくいかなかった理由が「ここに戻る」という選択だったとしたら。
それは、誰も悪くない、ということだろうか。
街で生きたいと思うことも、
家業を継ぎたいと思うことも、
どちらも、間違いではない。
ただ、同じ未来を見られなかっただけ。
そういう別れ方は、きっと静かに深く傷を残す。
耕平さんは、人と話すのが好きだと言っていた。
この仕事が向いている、とも。
あれは本心だと思う。無理をしている人の言い方ではなかった。
でも――
選んだことと、失ったことは、別だ。
私は、雪に覆われた枝先を見上げた。
雪の重さにしなっているのに、折れずに耐えている。
私は、耕平さんのことを、まだほとんど知らない。
笑顔と、働いている姿と、少し不器用な誘い方と。
それだけだ。
それだけなのに、どうしてこんなに、気になってしまうんだろう。
答えは出ないまま、白い息だけが空にほどけた。




