第25話 事故
朝は、穏やかに始まった。
雪は止み、空は高く澄んでいる。
朝の日差しを受け、屋根から落ちる雪解けの音が、ぽつ、ぽつと響いていた。
私は、展望台日和だ――と、思った。
だが、その静けさは長く続かなかった。
朝食の後片付けをしていると、非常用の無線の呼び出し音が、食堂の空気を切り裂いた。
亮介さんが駆け寄って受信機を取る。通信を聞く亮介さんの表情が、みるみる険しくなった。
「……スリップ事故? 上のカーブで? 何台だ」
途切れ途切れの応答。雑音。緊張した声。
「研修センターの送迎車が動けない? 道路が完全に詰まってる?」
確認するように、亮介さんが相手の言葉を復唱する。
綾子さんは手を止めて、心配そうな顔で亮介さんを見ている。
「孤立?」
無線機を離れた亮介さんに、綾子さんが聞いた。
「その可能性が高い」
口早に答えながら、亮介さんはもう動き出していた。
防寒具、無線機、非常用キット――亮介さんは、慣れた手つきで準備を整える。
「山荘を一時の避難場所に使うかもしれない。受け入れ準備を頼む」
その一言で、山荘の空気が一気に変わった。
のんびりした山の宿が、災害用の臨時拠点に姿を変える。
毛布を追加で出し、ストーブを増やし、軽食を用意し、ポットを総動員する。食堂のテーブルも配置を変えた。
そこへ、もう一報入った。
「耕平くんも向かってるって。除雪班の車、物資積んで回してるそうよ」
名前を聞いて、心臓が一瞬、びくっと震えた。
考える間もなく、最初の避難者が到着した。
雪にまみれた人たちが次々と入ってくる。疲労と不安の混じった顔。子どもの泣き声。凍えた手。
お茶を渡し、タオルを配り、ストーブの前へ案内する。
雪も止み、静かに始まった朝は、急転直下、怒涛のような一日へと変わっていった。
亮介さんは無線連絡を受けた直後から山荘を飛び出して支援や救助に奔走し、警察や消防が到着してからも、むしろ率先して応援の人たちを指揮していた。
綾子さんは、山荘に一時避難してきた人たちへの対応を一手に引き受け、さらに救助や復旧に携わる人たちへの支援も担っていた。やるべきことはいくらでもあるが、綾子さんは、てきぱきと仕事をさばいていく合間にも、避難者への優しい気遣いを忘れない。
私も、綾子さんを手伝って、ストーブの火を維持したり、避難者に食事や毛布を配ったり、救助にあたる人たちへの軽食や飲み物を用意したりした。
初めての経験で少しも機敏には動けなかったが、そんなことは気にならないくらい忙しく、無我夢中だった。
昼頃に一度、耕平さんが山荘にやって来た。
玄関がばたんと開いて、冷気と一緒に、切迫した声が飛び込んできた。
「追加の毛布と燃料、持ってきました!」
聞き慣れた、低い声。振り向くと、耕平さんが、大きな荷物を玄関から運び込んでいる。
全て運び入れると、立ち止まる暇もなく無線機越しに何かやりとりをしながら、また外へ戻っていった。
目が合った、と思ったのは、私だけだったかもしれない。
耕平さんの広い背中が、外の白さの中に消えていくのを、私は黙って見送った。
気づけば昼を過ぎ、夕方になり、外はまた薄暗くなっていた。
嵐のような混乱がふっと凪ぐ気配を見せたのは、宵の口に入ってからだった。
事故車両は撤去され、現場の道路は応急的に復旧した。
しかしカーブ付近の損傷が大きく危険なため、研修センターは当面使用できなくなった。
あさひ山荘に一時避難していた滞在者たちは、町中の公民館に設置された避難所へ移動していった。彼らとともに、応援に駆けつけてきていた町の人たちも帰っていった。
辺りはすでに夜の帳が下りている。真っ暗闇になる前に片付いたことに、皆、心底ホッとしていた。




