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第13話 出発

翌朝、約束の時間より少し前に、耕平運転する車が山荘の駐車場に入ってきた。

談話室で落ち着かない気分で待っていた私は、すぐに立ち上がった。

私が荷物を持って玄関ホールに出るのと、木の扉が開いて耕平さんが入ってくるのが、ほとんど同時だった。

今朝の耕平さんは、紺色の作業ジャンパーではなく、アウトドアブランドのカーキ色のジャケットを着て、スポーツタイプのサングラスをかけていた。

(かっこいいな……)

男の人に対して、そんなふうに思う自分に、久しぶりに会った気がした。

胸の奥が、小さく跳ねるようなくすぐったい気持ち。

けれど、その格好良さが、耕平さんを私から遠ざけてもいた。

「おはようございます」

耕平さんが、明るい笑顔で挨拶した。

「お、おはようございます」

私は緊張して、うまく喋れなくなった。自分の心臓が、勝手にどきどきしてうるさい。

「いい天気になりましたね」

彼は、気さくに声をかけてくれる。低くて、穏やかで、優しい声だ。

「さくらさん、もう、準備万端ですね。似合ってますよ」

「……」

彼の言葉に、なぜか恥ずかしくなって、顔が熱くなる。

幸いなことに、私も、綾子さんに借りたサングラスをかけていたので、耕平さんに顔を見られなくてすんだ。



*****************



翌朝、約束の時間より少し前に、あさひ山荘に到着した。

車を、駐車場のいつもの場所に止める。

談話室の窓から、こちらを見ている小柄な姿がぱっと立ち上がるのが、ちらと見えた。

もう少し早く来ればよかったかもしれない、と思った。


エンジンを止めて外に出る。

太陽の光が雪面に反射して、眩しい。

見上げると、よく晴れた青空が広がっている。

晴れてよかった、と思った。彼女のために――


――昨日の午後、山荘で彼女と会って、一瞬目を疑った。

同じ人物なのに、前日の列車の中で、物憂げに窓の外を眺めていた女性とは、まったく別人のようだった。

化粧っ気のない顔のつくりは同じだが、青白かった頬はほんのり上気して、虚ろだった目は、生気に輝いてこちらを見ている。口元には、驚いたような、はにかんだような微妙な表情が浮かんで、何となく幼い印象を与えていた。

「さくらさん、て言うんですね」

あまりにぴったりな名前に少し嬉しくなって、思わず食い気味に話しかけると、彼女はぱっと顔を赤くして、目をみはった。

俺が、綾子さんのお茶の誘いを喜んだのは、パティシエ顔負けの手作りケーキの魅力より、素直な感情を表して、くるくると移り変わる彼女の表情が、少し気になったことの方が大きかったかもしれない。


俺は昔から、周りの人間の気持ちには敏感だった。

相手が俺に、何を期待しているかを察するのは、難しくなかった。

人と話すのが好きで、相手の期待に応えるのが得意――それが今の仕事に役立っている。


相手が欲しい言葉や行動を返すことで、相手が喜ぶなら、それでいいと思ってきた。


でも彼女は、少し勝手が違った。

静かで、気配が薄いのに、目が合うと強く印象に残る。

感情は素直に顔に出るのに、それ以上、俺に何かを期待しているわけでもない。

言葉も、多くない。

「林道、歩いたって聞きました」

「きれいでした……」

それだけの言葉に、何層もの思いがこもっている、そんな気がした。


扉を開けて山荘に入った瞬間、ちょうどホールに出てきた彼女と目が合った。

タイミングがぴったりすぎて、少し慌てる。

「おはようございます」

声をかけると、彼女は、小さく肩を揺らしてから、

「おはようございます」

と、丁寧に返した。

ちゃんと準備して、待っていたんだな、と思う。

手袋も帽子も、スノーブーツもきちんと装備している。小柄な白いコート姿は、何となく、『雪の子ども』をイメージさせた。

「もう準備万端ですね。似合ってますよ」

俺が言うと、彼女はなぜか、俯いてしまった。受け取ることに、慣れていないのかもしれない。


「じゃあ、行きましょうか。今日は雪、締まってて歩きやすいと思います」

外に出ると、空気がきんと冷たい。でもその澄み切った潔さが、心地よかった。

白い世界が、朝日で光っている。

振り返ると、さくらさんは少し緊張しているように見えた。何かに立ち向かう覚悟を決めた人みたいに。

「大丈夫ですよ」

気安くそう言ってしまってから、少し後悔した。

けれども彼女は、責めるふうでもなく、小さく微笑んだ。

「はい」

彼女は、小さくうなずいた。

そのうなずきが、やけに心に残った。


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