:白い仮面の中間管理職、大赤字に頭を抱える
漆黒の闇に包まれた、大気汚染の霧の奥底。
異界の軍勢すべての意識を繋ぐ集合体の核――それは、いつしかこの世界の仕組みの裏側から、畏怖を込めて『フェイス・ネオ』と自然に呼ばれるようになっていた。
彼の姿には、生物が持つような不完全な揺らぎは一切存在しない。
ただ、冷徹な理知の固まりとして、仕組みが編み上げたような無機質な顔の紋様が、白い仮面の表面に硬く、静かに刻まれているだけ。
迷いも、恐怖も、感情の無駄遣いもない、完璧な中央集権の頭脳だった。
だが今、その無機質な顔の紋様が、あり得ないほどの計算外の数値に直面し、歪な歪みを見せていた。
「……おかしい。大気汚染を放ったはいいが、思ったよりも全く進行できていないではないか」
彼らの目的は、ただ一つ。
滅びゆく故郷の種族を救うため、この世界の大気を自分たちの住みやすい環境へと造り替え、新たな生存の地を確保すること。
そのため、フェイス・ネオはまず、静かに世界へ黒紫色の霧を流し込み、最も合理的とされる手順で侵略を開始したのだ。
だが、最初の障害が彼らの計算を狂わせた。
防衛線の最前線には、大地の循環組織――龍脈から無限の力を得て戦う、エルフやドワーフという頑強な他種族が立ちはだかっていた。
彼らの生命の壁が厚すぎて、物理的な進軍は遅々として進まない。
そこで、フェイス・ネオは知性的な最初の手を打った。
名も魔力も宿さない無機物の斥候を世界へ放ち、こちらの世界の障害を確認させたのだ。
「ほう、人間という種族が見えるな。彼らは魔族に比べてあまりにも命が脆く、我が大気の波長に簡単に侵されていく」
超知性体は、効率的な成果を予測した。
人間たちの頭の中に、特定の物事に対する強い拒否感と、我が軍を迎え入れるための異常な使命感を植え付け、内側から『思考誘導』を仕掛けたのだ。
人間たちを笑顔のまま操り、魔族の防波堤を内側から爆破させ、魔族と人間を『共倒れ』にさせようとした。
だが、ここで致命的な不具合が起きる。
人間たちの知性が、植え付けた強烈な思考に引っ張られすぎてしまったのだ。
「魔族の殲滅」という衝動に脳の全てを支配された人間たちは、ただ我先にと狂い叫んで突撃するだけの無能と化し、防衛線を破るための高度な作戦立案すら誰一人として実行できなかった。
ただ無策に自滅していく人間たちの姿に、共倒れ作戦はあえなく失敗に終わった。
ならば、とフェイス・ネオはさらに莫大なエネルギーを注ぎ込み、次の大博打に出た。
「人間の王宮の地下に、異界と繋がる巨大な裏口を密輸せよ! そこから、魔族の殲滅を完全に実行できる高度な知識を持った別の世界の異界人を拉致し、そいつの頭脳を使って、防衛網を内側から崩壊させるのだ!」
これこそが、天城リクがこの世界に拉致された、本当の理由だった。
敵の超知性体は、理不尽な環境下でシステムの裏をかくリクの高度な知識と頭脳を吸い上げ、魔族を滅ぼすための最悪の道具として使い潰すつもりだったのだ。
しかし、これが最大の計算外となった。
「……動かない。どうして私の命令通りに、これっぽっちも動かないのだ!?」
拉致してきた異界人――天城リクは、理不尽な労働下で心が完全に死に絶えて最適化され尽くした、人類で唯一の完全な抗体だった。
敵の誇る思考誘導の電波を完全に無効化されただけでなく、リクは王宮の仕組みを逆に利用し、国家予算無限決済のカードを強制発行させて、エルフの国へと逃亡してしまったのだ。
「魔族の殲滅を実行できる者を一人拉致するだけで、我が軍の蓄えが半分消し飛んだというのに! 奴は味方になるどころか、王宮の財布を毟り取って消えただと!? 予算に対して赤字が酷すぎる!!」
さらに、追い打ちをかけるように悲惨な報告が届く。
大気汚染を使いすぎたせいで、侵略のためのエネルギーが完全に底を突いてしまったのだ。
そもそも、彼らがこの世界を完全に自らの生存領域として上書き(侵略)するためには、大気内の汚染(放射能)の濃度を最低でも『毎時五十ミリシーベルト』以上にまで引き上げ、定着させる必要がある。
それが、彼らがこの星で呼吸をし、生存するための絶対的な仕様だった。
現状のエネルギーでは、その濃度に達するまであと五年の歳月が必要となる。
「……いや、待て。もし、あの龍脈から力を得ている魔族どもを一人残らず排除できれば、大地の抵抗が消える。大地の抵抗が消えれば、環境の上書きに必要なエネルギーは大幅に節約され、五年かかるはずの汚染完了を、わずか二年にまで短縮できるはずだ」
魔族の殲滅こそが、彼らにとっての最大のコスト削減(インフラ整備の近道)だったのだ。
「仕形がない……。ここからの二年間は、大気の供給を一時的に抑え、力を蓄える『充電期間』とする。二年の間にエネルギーを満たし、次こそは出し惜しみなしの実力行使で、魔族どもを一人残らず消し去ってくれるわ!」
――これが、リクたちが二年間という長い準備期間を得ることができた、世界の裏側の真実だった。
無機質な顔を持つフェイス・ネオは、二年間死に物狂いでエネルギーを充電し、ついに満を持して、あの漆黒の霧を3倍に濃くする大進軍(戦争)を決定したのだ。
だが、超知性体はまだ知らなかった。
自分が死ぬ気で充電していたその二年の間に。
逃亡した巨大なエラー(リク)が、お菓子やステーキで精霊や古代竜を完全に味方に引き入れ、敵の洗脳電波を100パーセント遮断する「人間の檻」を完成させ、敵の学習能力すらハメ殺す「全自動の地形ハメ要塞」という、さらにおぞましい防衛インフラを敷き詰めて待ち構えているという恐怖の事実を。
二つの世界の、一族の生存を懸けた本当のシステム戦争が、今、グラディス砦の最前線で幕を開けようとしていた。




