リアとの約束と、決戦前夜の演説
雲を突く巨岩の山が消え去り、見渡す限りの更地となった前線の地。
二年の月日が流れた今、世界を包む大気は、おぞましい速度で変貌を遂げていた。
敵の親玉が仕掛けてきた大気汚染――黒紫色の不気味な霧は、ついに限界まで濃くなり、グラディス砦の目と鼻の先まで世界を完全に侵食し尽くしている。
見上げる空は、昼だというのに太陽の光を完全に遮られ、漆黒の夜のような闇に包まれていた。
ねっとりと肌にまとわりつく死の気配と、大地を揺らす不気味な地鳴り。
世界の誰もが、肌を刺すような寒気と共に、確信していた。
決戦の時は、今、この瞬間に満ちたのだ、と。
そんな漆黒の闇に包まれた砦の物見櫓、その静かなテラスに、リクは一人で立ち、前線の闇を見つめていた。
感情を殺したその横顔に、背後から近づく静かな足音が重なる。
「――やはりここにいたのね、リク」
薄紫色の外套を羽織ったリアが、静かにリクの隣へと並んだ。
見上げれば、漆黒の空を背景にして、彼女の可憐な美貌がどこか儚く浮かび上がっている。
他種族の将軍たちの前ではない、二人きりの静寂。
リアはそっと手を伸ばすと、冷たい夜風に晒されていたリクの手を、自分の両手でそっと包み込んだ。
何百年も一族を率いてきた女王の、けれど驚くほどに小さくて、温かい手の温もり。
「明日、すべてが決まるわね。……怖がってもいいのよ? あなたは世界を救う高潔な勇者ではなく、私の臆病な相棒なのだから」
リアの慈愛に満ちた瞳が、リクの顔を覗き込む。
リクは、迫り来る黒い霧をじっと見つめたまま、リアの手を少しだけ強く握り返した。
「リア。今から、黙って俺の話を聞いてくれませんか」
「え……?」
「俺は、ただの臆病なサバイバーです。明日が来るのが、本当は怖くてたまらない。ここで全部投げ出して逃げ出したいとすら思っている。……でも、ここで逃げてもどうしようもないんだ。何より、俺のせいでシステムが破綻して、目の前にいるリアが居なくなってしまうことが、世界が滅びることなんかより、何百倍も、何千倍も恐ろしい」
リクは深く息を吸い、迷いを全て断ち切るように、リアの体を真っ直ぐに正面から見据えた。
「だから俺は、あの日張った男の見栄を、勇者としての責務を最後まで全うしてみせる。……そのために、ここに、もう一つの誓いを立てさせてください。俺にとっては、世界の存亡よりも、種族間の平和よりも、何よりも大事な、本当に大事な誓いだ」
「リク、あなた……」
リクはさらに深く息を吸うと、いつもの冷徹な仮面を完全に外し、一人の剥き出しの男として言葉を紡いだ。
「今この瞬間から、勇者としてではなく、一人の天城リクとして誓います。――俺は、あなたを愛している」
漆黒の闇のただ中で、リクの真っ直ぐな言葉が、リアの耳に深く突き刺さる。
「どれだけ不甲斐ない弱音を撒き散らしても、どれだけ大きな、子供みたいな理想論を語っても、いつだって黙って聞いてくれた。すべてを包み込んで、隣に寄り添ってくれたあなたを、心の底から愛している。だから……この戦いが終わったら、俺と生涯を共にしてほしい。俺の魂は、俺の心は、ずっとあなたと共にいたいと願っているんだ」
それは、後戻りのための未練ではない。
絶対に生きて勝利し、その先の未来を掴み取るための、退路を断った「本物の誓い」だった。
リクの突然の、けれどあまりにも情熱的で真摯な求婚に、リアは驚きに大きく目を見開いた。
いつも冷静沈着な彼女の白い頬が、耳の裏まで真っ赤に染まっていく。
あまりの嬉しさと愛おしさに、何百年も生きてきた女王の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
リアは涙を拭いもせず、いつものように、けれど世界で一番愛らしく、ふっと呆れたように微笑んだ。
「……本当に、しょうがない人ね」
リアはリクの首元にそっと両手を回し、その顔を自分のすぐ近くへと引き寄せた。
「こんな決戦の前夜に、世界のことより私の方が大事だなんて言って、生涯を共にしてくれだなんて……。最高に自分勝手で、最高に愛おしい、私の自慢の男だわ。いいわよ、一生一緒にいてあげる。だから……その大きな理想と見栄、ちゃんと最後までやり遂げてきなさい」
囁くような言葉の直後、二人の唇が静かに重なり合った。
漆黒の霧が迫る冷たい世界のただ中で、そこだけが、奇跡のように温かく、深く、互いの魂を繋ぎ合わせていく。
唇が離れた時、リクの瞳には、かつてないほどの絶対的な闘志が宿っていた。
もう、ここには死亡フラグなどという生易しい隙は存在しない。ただ「愛する者を守り、共に生きる」という、最強の駆動インフラが完成したのだ。
リクが向かったのは、他種族連合の全軍がひしめく、広大な演習場の中央壇上だった。
壇上に上がったリクの顔には、いつもの冷徹な仮面ではなく、魂の底から湧き上がるような、凄まじい熱気が満ち溢れていた。
そこには、二年間、精霊たちに【ピー】野郎と罵倒され尽くし、最後の最後に女神の極上の包容力を授かったことで、おかしな方向へと士気を爆発させた他種族連合軍が、静かにひざまずいていた。
全員が瞳にドス黒い炎を宿し、命を投げ捨てる覚悟を完了させている。
リクは、自らの後ろに控える美しい五大精霊と、腕を組んで傲然と佇むオニキスを背景に、全軍を見下ろして声を張り上げた。
その咆哮は、漆黒の夜空を引き裂かんばかりの力強さだった。
「いいか、芋虫ども!! 泥水をすすり、罵倒を耐え抜いた誇り高き戦士たちよ、よく聞け!!」
地鳴りのような大音声が、演習場全体を激しく震わせる。
「……みんなも肌で感じていると思うが、決戦の時は近い。どうだ、緊張しているか? 高揚しているか? それとも、怯えているか? ――どれも正解で、どれも間違いだ。今すぐ隣を見ろ。誰と目が合った?」
リクの問いかけに、ひざまずいていた兵士たちが思わず左右を振り返り、互いの顔を見合わせる。
「その顔はどんな顔をしているか? そしてよく覚えろ。お前がだ、他の誰かじゃない。お前が助ける、あるいは自分を助けてくれる者の顔だ! よく覚えたな!?」
静まり返る演習場。全員が隣の仲間の顔を、その目に焼き付けていた。
リクはそこでニヤリと、最高に不敵で、熱い男の見栄を込めた笑みを浮かべた。
「さて。俺は、ここに立つ前に重大な決断をした。お前らの女王様に、本気のプロポーズをしてきた!!」
「「「――――えっ!?」」」
あまりの衝撃の告白に、全軍の心臓が一瞬止まった。
壇上の後ろで、礼服をまとったリアが、耳まで真っ赤にして両手で顔を覆う。五大精霊たちが「キャーッ!」と嬉しそうに飛び跳ね、オニキスが「おー、やるではないか」とニヤニヤ笑う。
リクはさらに声を大にして、全軍を巻き込むように叫びを畳み掛けた。
「侵略者? 世界の存亡? 人間どもの救済? そんなものは全部後回しだ!! 俺はそれらを全て後回しにして、あの美しくて腹黒い女王様にプロポーズした!! それが、俺の一番の戦う理由だ!!」
熱い、あまりにもどろっどろに甘く、けれど誰よりも漢らしい本音の叫び。
ただ生き残るためだけに心を殺していた男が、全軍の前で、愛する者のために世界を後回しにすると言い放ったのだ。
どよめきと熱狂が渦巻く演習場を、リクの鋭い眼光が再び射抜く。
「さて、戦う理由も再確認できたところで……宣誓を。俺は勇者だ!! 勇者とは勇気ある者ということだ! しかし、俺自身に本当の勇気があるかどうかなんて、これっぽっちも分からない……!」
リクはさらに壇上の最前へと歩み出ると、拳を固く握りしめ、魂の底から絶叫した。
「が!! 愛する者のためなら、文字通り命がけになれる!! 諸君らはどうだ!? 心に勇気がともっているか!? ともっているなら燃やし続けろ! その灯火はお前たちの根源だ! そして、燃やして燃やして燃やし尽くした、その遥か先にこそ勝利がある!!」
熱い演説の暴力に、泥にまみれた他種族の兵士たちがガタガタと魂を震わせ、拳を突き上げる。
「俺の名は天城リク!! 勇気ある者として、諸君らの勇気を力に変える者だ!! そして勇気ある者として、勇者として、己の誇りとすべての勇気にかけて、お前たちに完全なる勝利を約束する!!!」
リクは漆黒に染まった最前線の闇を力強く指差し、全軍の魂を完全に一つにする号砲を打ち鳴らした。
「姿を消し、呼吸を殺し、俺の敷いた全自動の罠にハマった害虫どもの急所を、後ろからただ淡々と、完膚なきまでに縛り潰せ!! 俺たちの愛する明日を、これっぽっちも奪わせてたまるかァァァ!! 全軍、進軍!!」
「「「おおおおおォォォォォ――ッ!!! 女王様のために! 勇者様のためにィィィ!! 進軍だァァァッ!!!」」」
死をも恐れぬ冷徹で残虐な集団と化した全軍の、世界を割るような凄まじい大歓声。
リクの放った、どろどろに甘く、そして己のすべてを懸けた大演説によって、兵士たちの魂は狂信的なまでの熱狂へと溶け合っていた。
すべてのパズルのピースが完璧にハマり、国中の魔石を合法的に強奪したあの第10話ラストの最高潮の最終決戦の幕開けへと、美しく、完璧に、そして最高に熱く合流するのだった。




